りんたろうのきときと日記

好きな事だけ只々綴る

安達ヶ原の鬼婆

2007年10月01日 00時10分37秒 | お出かけ♪
☆安達ヶ原と聞いて真っ先に思いつくのが鬼婆。
そうです、ここはあの鬼婆伝説の地。
ふるさと村より100メートルほどのところ阿武隈川沿いに鬼婆が埋葬されているといわれる「黒塚」があります。

☆安達ヶ原の鬼婆伝説
安達ヶ原の小高い丘の麓の岩屋に「いわて」という名のお婆が住んでいました。
いわては、かって京都の公家屋敷のお姫様の乳母で、そのお姫様は、生まれつき不治の病に冒されて、色々と手を尽くしても治りません。
しかしそんな時「母親のお腹にいる赤子の生き肝を食べると治るのだ」と、ある占い師が予言。
お姫様の病気を治したい一心から、いわてはその言葉を信じ、生き肝を求めて、遠くみちのくに旅立ち、辿り着いたのがこの一面ススキにおおわれた寂しい安達ヶ原の岩屋だった。
しかし赤子の生き肝などおいそれと手に入るわけはなく、いたずらに何年もの月日が過ぎて行き、そんなある年の木枯らしの吹く晩秋の夕暮れ時に旅の若夫婦が岩屋を訪ねて来ました。
「私は生駒之助という旅の者ですが、妻が腹痛で難儀しております。どうか一夜の宿をお願いします。」
見ると若妻のお腹はぽってりと脹らみ、今にも赤子が生まれそうな気配でした。
やっと待ち続けた時が来たのです。
いわては高ぶる気持ちを抑えて「ささ、狭くてむさ苦しい所じゃがどうぞどうぞ…」と二人を岩屋に通しました。
しかし 落ち着く間もなく若妻お腹をかかえて苦しみだし、
「ほれ、お前様は薬を求めに里へ行きなされ」
と言って生駒助を使いに出したお婆は、「生き肝」を取るのはこの時とばかり、出刃包丁を手に持って若妻に襲いかかり腹を割き、赤子の生き肝をむしり取ってしまう。
鮮血が飛び散り、辺り一面は血の海。
だがその時、若妻が苦しい息の下から、今にも消えいる様な声で、「お..お婆様。私は母を尋ねて陸奥へやって来ました。ここで死ぬのも運命でございましょう。も...もし"いわて"という私の母に会う事があったら、む...娘の恋衣(こいきぬ)は死んだとお伝え下さい。そしてこのお守り袋を渡してください。母様に、ひとめあいたかっ...」と言って息を引き取りました。
あろうことかその若妻はいわての生き別れになった娘だったのです。
お婆はお守り袋を握りしめ、身体を震わせて大声で泣き出し、やがて岩屋からよろめき出て、青白い月に乱れ白髪をなびかせながら安達ヶ原を彷徨い歩きたその姿は狂人そのものでした。
一方やっとの事で手にした薬をたずさえ、岩屋に戻った生駒助は妻の変わり果てた姿を目にして、嘆き、悲しみ、自らの胸を刺して妻の後を追ってしまう。
そして以来、宿を求めた旅人を殺し、生き血を吸い、肉を喰い、いつとはなしに「安達ヶ原の鬼婆」と言われる様になり、遠く京の都まで知られる様になる。
幾年かの月、日が過ぎ去って行き、晩秋のある日、岩屋の立って案内を請う一人の老僧がありました。
「旅の僧だが一晩泊めて貰えませぬか。」
それは熊野の那智社で修行を積んだ、阿闍梨東光坊祐慶と言う名の高僧で、岩屋の客となった祐慶はお婆が薪を取りに外に出た折り、何気なく覗いた隣室に山積みの白骨を見てしまう。
「さては噂に聞く鬼婆のすみかはここか」
身の危険を感じて祐慶は逃げ出しまたが、それを知って追うお婆の近づく足音に、もはやこれまでと覚悟の祐慶は、背負っていた那智社観音像をススキの根に立て一心にお経唱えると、不思議な事に観音様はすっと虚空はるかに舞い上がり、手にした白真弓から鬼婆の胸を目がけて金色の矢を放つ。
矢は見事に射抜き、お婆はどっと倒れて息絶えた。
祐慶はその仏像に白真弓観音と名付け、今でも観世寺観音像として残っています。いわては里人の手で葬られ、黒塚と刻まれた石碑も建立されました。

☆ふるさと村内にある五重塔。

石段を登っていくと

等身大の鬼婆がお出迎え。

リアルで怖いです(^-^;
子供たちのトラウマになること間違いなし(笑)


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
鬼ババ~ (シネマ大好き娘)
2007-10-01 06:12:33
ひ~~久しぶりに聞く言葉やなあ~~~>_<!
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Unknown (マリー)
2007-10-01 22:52:49
子供泣くよwww
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Unknown (りんたろう)
2007-10-02 02:43:01
☆[シネマ大好き娘さん]
前回、東京に帰るタクシーの中で運転手さんが話してくれました。
そういえば鬼婆って最近聞きませんね(^-^;(笑)


☆[マリー]
うん、泣くね(笑)
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