分かったよーなこと、言ったって~!!

中途半端な知識で適当ぶっこく無法地帯へようこそ( ^-^)ノ

Twitterで回ってきた緊急情報

2011-08-24 17:57:22 | 脱・原発!!
 そのまま原文をコピペしましょう。

 発言者は伏せときますね。




○○○:竹村健一「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探り出しなさい」



×××:紳助ニュースで隠れてしまったと思われる事柄いくつか。昨日の再生エネルギー法案衆院通過の一方,新規原発14基の建設はそのままになっていること。葛飾の幼稚園・保育園の砂場29カ所が放射能汚染で使用禁止になったこと。アメリカでM5.9の地震が起きて,いくつかの原発が止まったこと。





 後は、皆さんでお考え下さいませ…………。







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怪しい宗教の見分け方って!?

2011-08-24 16:13:22 | 徒然の日常
 新興宗教がいっぱいありますね。
 信者さんはだいたい純粋で信じやすい方ばかりです。
 しかし、もちろん幹部は真っ黒という所も多いでしょう。

 友達が新興宗教にハマってしまった!! そんな時に、そこが大丈夫な所かどうか判断する目安はいくつかあります。



 危ない例は、

・脱退を許さない

 これは、理に適いませんよね。どこを選ぶかは個人の自由であって、個人の自主性を否定するのは単に金づるを減らしたくないだけです。
 ひどい所ですと、893さん並みに地の果てまで追いかけてきます。マジです。

・他の宗教を悪者扱いする

 つまり、自分の宗教主が絶対無二の神であって、他の宗教を語る者は全て悪魔である。
 やはり金づるを逃したくないのと、自己の正当性を磐石にする為です。異教徒間結婚を固く禁じ、穢れた血を混ざらないように、と、その宗教内だけで結婚をさせる所もあります。

・恐怖心を煽る話をする

 集団心理を支配するのに、恐怖は便利です。純粋な方相手でしたら、効果の高さたるや相当な物です。
 私が子供の頃に目撃した光景ですと、信者を前に幹部が説法をしてました。ある亡くなった方のお話として、足の爪が化膿したのが命を落とした原因だと言います。
 拷問に使われる程の激痛を伴って爪を剥ぎます⇒剥いだ所がまた化膿したので指を切り落とします⇒また化膿したのでくるぶしから切り落とします⇒また化膿したのでひざから切り落とします⇒化膿が止まらないので足の付け根から切り落とします⇒最後に下腹部を切り落とした所で亡くなりました、と、こういう論法でした。
 切り落とす度に脅かす様に声を荒げ、信者達はその都度、おぉぉ……を目を覆わんばかり。酷い話もあったもんだ、ちゃんと信心しないとああなってしまう、恐ろしや、恐ろしや……。まんまと引っ掛かるわけです。本当に酷い話ですね。

・教祖様の奇跡を売りにする

 しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー。あそこもそうでしたね。
 元々キリスト教などもそうでしたが、本分は奇跡の話じゃないですよね。奇跡が伝説になりつつも、教えの方が万倍多く語られます。
 奇跡の話がやけにウェイトが高い所は、一体何が本分なのでしょうか?

・やたら住居の世話に積極的である

 信者は有難や、優しい方々やわぁと感動しますが、要は逃したくないだけです。
 集団的に住まわせる設備が整った所は、特に危ないかもしれません。


 簡単にはこんな所でしょうか。

 あと、洗脳を行っている所もあります。そういう所の信者さんには、何を言っても頑なに譲りません。


 昔、こんなことがありました。

 職場の同僚で、某宗教信者の姉妹がみえました。姉も妹も、とても純粋でいい方でした。


 ある日、二人とも目が緑色に光ったんです。なんとも表現し難い、不思議な色をしていました。
 もう一人いる別の信者も同様でした。


 ところが同じ日に、全く関係なさそうな新人さんも目が緑色に光ったんです。

 おかしいなと思って、ちょっと探りを入れてみると、その新人さんも実はそこの信者でした。
 (妹さんは私と仲が良かったので話をいろいろ聞けた)

 そして、その目がおかしかった日あたりに集会が無かったか訊いてみたところ、その前日にあったらしいのです。おそらく何らかの洗脳が行われたであろうことは想像に難くないですね。



 さて、では洗脳とは?

 何らかの手段で催眠状態にして、教団の教えを叩き込みます。深層心理にまで埋め込むので、外部から否定されても頑なに拒み続けます。

 催眠状態は、聴覚からも可能です。(音で人を殺す事すら可能です!!)

 嗅覚からも可能です。(薬品などが揮発した気体。これも殺す事は可能)

 サブリミナル効果を駆使して視覚からも可能です。(現実的には一番手っ取り早いです)

 経口させる事で効果を発揮する薬品を混ぜる事も、もちろん可能です。(上手くやれば一番気付かれにくい?)


 また、禁断症状を起こさせる薬品や植物を使う事もあります。そうやって、教団に対する依存心を育てるわけです。



 こういった宗教は、必ずおかしな理論があちらこちらに見られます。
 しかし、お友達が信者だった場合、進言は頑なに拒絶されることでしょう。

 集団で住まわせている所は特に団結心も強く、手が付けられませんので、そこから引き剥がして、御本人にその宗教の矛盾点をじっくりと考えさせてあげましょう。






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気づかぬ奇跡、知り得ぬ幸福

2011-08-24 05:47:11 | 徒然の日常
 さぁ、ついに当ブログも『新着』アイコンが消えました。
 なんかブログっぽくなくて、ただのエッセイ集っぽくなってきてますけど、大丈夫ですか?^^;
 そんじゃ、今日もいつものようにつらつらと行ってみますよ?^^;


 『人生万事、塞翁が馬』なんて言いますよね。
 ↑のリンクの通り、正しくは『人間(じんかん)万事塞翁が馬』なのだそうです。

 御存知の通り、一見不幸に思える事が幸福に繋がったり、「やった!」と喜んだ事が不幸へと繋がってしまったりするので、見掛けの幸不幸では本当の禍福はわからないものだ、という故事ですね。


 実際、昭和初期~中期の頃にこんな事件があったそうです。



 ある商社マンが、急ぎで取引先に向かわなければならなくなったので、飛行機の予約をしました。

 タクシーを呼び、十分搭乗に間に合う時刻に出発したのに、道中で車はパンクしてしまいます。

 現代のように修理用品が充実しているはずもなく、確か一時間半ほど、そこで足止めされてしまいました。

 商社マンは、非情にも飛び立つ飛行機を遠目に睨み、怒りの矛先を容赦なく運転手にぶつけてはなじりました。それほど重要な取引先だったのです。現代のように便が多いわけでもないので、今後の収拾に頭を痛めつつ、落胆の極みの中、自宅へと踵を返さざるをえませんでした。


 自宅に着き、合わせる顔もなく呼び鈴を何度も押しますが、妻も母も出て来ません。

 どうしたことかと首を傾げるうち、やっと出てきた妻の様子がおかしい。放心していたかと思うと、自分をまじまじと見つめる。不審がる夫の手を引き、居間で付けっぱなしのテレビの前へと連れられた。


 そこで母が食い入る様にかぶりついていたニュースでは、搭乗するはずだった飛行機が墜落し、乗客乗員全員の生存は絶望的だと報じられていた………………というお話。御存知の方もみえますかね?
 (後日談で、その運転手にお礼を述べに訪れたとも言われますが、さすがにそれは話が出来過ぎな気がするので定かではありません^^;)


 このエピソードは、ちょっと規模が大きくてドラマティック過ぎますが、そんな大袈裟な物でなくとも、日常の中にこういった『思わぬ選択肢の妙』の様な物はあると思います。

 人生って、何かを選択したり、或いは望まぬ結果を強制されたりしますよね?

・急いでいる時に信号が黄色に変わった。このまま突っ切るか、大人しく止まるか。
 (止まったら後ろが覆面パトカーだったことがあります)

・旅行でどちらのホテルに泊まるか迷って安い方に決めたら、たまたま団体さんが連泊していて落ち着かなかった。
 (そのたまたまが、よくあります)

・寝坊をしてしまい、完全に仕事の現場に遅刻する時刻に出発して、渋滞を嫌って脇道に曲がったらすんごく便利な裏道があって現場に間に合っちゃった。

 (翌日から目覚ましの時刻を三十分遅くしました)

・友人達となんとなくぶらっと京都あたりまで行こうかと高速に乗り、京都あたりでみんな熟睡していたため大阪まで行ってやろうと通過、大阪でまだ誰も起きないため神戸まで、やっとみんなが目を覚ました神戸で降りたら、それが震災一週間前の貴重な思い出になった。
 (現地が落ち着いた頃に行ったら、道路の変わりように大変驚きました)


 皆さんもいろいろおありだと思います。
 道に迷った時、右に曲がるか、左に曲がるか。
 先生に叱られた時に、正直に言うか、嘘で誤魔化すか。

 自分で選択する場合だけではなく、車線変更し損ねて乗れなかった高速が事故で通行止めになってたとか。
 在庫切れで買えなかった電化製品が、実は火災を起こす欠陥が見つかって回収騒ぎになったりとか。


 あなたが今、幸せに五体満足で暮らせるのは、もしかしたら道に迷った時に右に曲がってますます迷ったおかげであって、その時正解の左に曲がっていたら事故に巻き込まれていたかもしれない。
 あなたが悪い意味で警察のお世話になっていないのは、もしかしたら先生に叱られて正直に答えた結果、大目玉を食らったおかげであって、その時上手に誤魔化した言葉が、秘匿されていた学校荒らしの情報と関連付けられたら、冤罪で捕らえられていたかもしれない。



 ……どうも例えが迂遠で分かりにくいですが、要は、あなたが何か小さい不幸を感じて「どうして私がこんな目に」と思っていても、実はそっちがより大きな不幸を回避した『幸福の正解』にあたるのかもしれない、ということです。

 普段からそう思っていれば、だいたいの日常的不幸は痛くも痒くもありません。(^-^)


・石につまづいて転び、膝から血を流した
 ⇒危ねぇ、あのまま歩いていたら制御不能のトラックに乗っかられて煎餅になるとこだったぜ

・目的の電車に接続するギリギリのバスに乗り損ねた
 ⇒おおっと、あれに乗っていたら今頃バスガス爆発だったかもしれねぇ

・鳥のフンが自分の頭に命中
 ⇒なるほど、今すぐ髪を洗えば俺のセクシーさがアップしてこの後思わぬ出会いが!!















 完璧じゃないか。( ̄ー ̄)+ ムフ







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