分かったよーなこと、言ったって~!!

中途半端な知識で適当ぶっこく無法地帯へようこそ( ^-^)ノ

また先日のまどマギSS解説

2014-03-04 06:25:18 | SS・小説
 先日って言うか、まだ最後の投稿前なんですけどね!(^-^;)


 まぁ、キャプション(サイト上の投稿説明文)にリンクを貼るために、内緒でコッソリ書いておきます。

 小説とか、まどマギに興味ないって方や、「自作品の解説とかありえな~い」と仰る方はスルーしてくださいねぇ(;^-^)




 一昨年の年末にかけて前半を投稿し、一年以上のブランクを開けて今日完結するのがこのシリーズです。

 上から順番に読まれないと、後半部はサッパリ解らないと思います。



迷宮の時間軸【第一話】(全6ページ)

迷宮の時間軸【第二話】(全5ページ)

迷宮の時間軸【第三話】(全6ページ)

迷宮の時間軸【第四話】(全7ページ)

迷宮の時間軸【第五話】(全6ページ)

迷宮の時間軸【第六話】(全8ページ)

迷宮の時間軸【最終話】(全10ページ)

迷宮の時間軸【暁美B】(全16ページ)

迷宮の時間軸【詢子篇】(全6ページ)

迷宮の時間軸【和子篇】(全10ページ)

迷宮の時間軸【知久篇】(全14ページ)

迷宮の時間軸【仁美篇】(全16ページ)

迷宮の時間軸【暁美C】(全10ページ)




 これらは、前半部のキャプションにリンクを貼ってありますが、こちらの動画を元にした三次創作となります。




TeSh 氏 【劇場版予告】第0話【魔法少女まどか☆マギカ】




 この方の動画はどれも大好きなんですが、特にこちらには大変深く感銘を受けましてねぇ……。

 なんか書けそうだ、とはずっと思っておりまして、先人が見当たらなかったのを良いことに、自分で書いてしまいました。

 それが、想定を大幅に上回る賛辞をあちらこちらから賜りまして、誠に恐縮しきりでございます。



 ってか、TeShさんに見つかっちゃうのがもう、想定外すぎるんですけれどもね!!(;^-^)


 まぁ、前半部(【最終話】まで)は書きながら順次投稿、後半部は時系列の調整がネックになりますので、最後まで書ききってから六日に分けて連続投稿、という形を取らせていただきました。

 後半部は元々、前半部を書いている時に裏設定として頭の中にあったものなんですけれども、いざ書こうと致しますと、いろいろと矛盾点が出て参りまして。

 各話、10,000字程度で軽~く書くつもりでしたので、わざわざプロットを書かなくても頭の中でなんとかなるわぁ~、と甘く見ていたのが間違いでした。


 どんどんエピソードが広がっていきますと、整合性がまた、だんだんと難しくなっていき、時系列も怪しくなってきます。

 これは、自分の中で「世界がしっかり固まっていないんだな」と思い、長い時間をかけて、じっくりとイメージが頭の中で定着するのを待ちました。





 お待たせしてしまった言い訳でした。本当は猛省しております。m(_ _)m





 また、設定がまったく独自の物になりましたので、「こんなの、まどマギじゃない」と言われそうな層が忘れた頃に出そう、という目論見もございました。

 そうこう言っているうちに「頭の中は、しっちゃかめっちゃかよ……」という状態になり、公開に間に合わせるつもりでいた映画・叛逆は私の続編とダダ被りで頭を抱え、いいや、もう被せ返しちゃれ! と開き直って、叛逆内の台詞を流用したりも致しました。




 シリーズ通しての構成としては、前半部は公式の世界観に準拠、と見せかけて後半部で「ざんねん、嘘でした~!」という物になります。

 実は【第一話】からヒントを出してあったのですが、お気づきになられた方、どのくらいいらっしゃいますかね?


 『散弾銃』が、前半部では頻繁に出てきましたでしょ。そんなの公式本編で出てきたっけ? と違和感を持たれた方は多かったと思います。

 散弾銃と言いますのは、撃った瞬間に弾丸が無数に分割されて、対象に複数の穴をあける武器です。よくキュゥべえが穴だらけになった絵がネタで出てきますよね。あれは、アニメ本編では時間を停止している間にバキュンバキュンバキュンと連続で撃っております。しかし、それをこのシリーズでは、一回バキュンと撃てば、あの「キュゥべえ、ざまあwww」という状態になります。



 ちょっと、図解しましょうか。

 まず、アニメ本編の構造です。








 それに対し、このシリーズは散弾銃のような世界(時間軸の扱い)だったということになります。













あ、自分、ドヤ顔いいッスか( ̄ー ̄)+





 とまぁ、それが一番大きな”仕掛け”だったわけです。


 ”仕掛け”と言えば、いろいろやりましたねぇ。

 本編の台詞をそこらじゅうで流用しながら、実は違う人物にそれを言わせたりもしてます。【最終話】では、まどかとほむらの台詞が逆だったり、まどかパパに「クラスのみんなには、内緒だよッ!!」的なことを言わせたり、血の繋がっている設定の人物(まどか・詢子・知久・和子)に同じ台詞を流用させたり、本編のマミさん的な境遇だった和子先生にマミ台詞を多用させたりと、書いてて楽しい箇所は多かったです。

 ホムリリィを期待された方々には肩透かしを食らわせる格好になってしまいましたけれど、私の想定ではあくまでも(悪魔ではない)『アルティメットほむら』と、本編やスピンオフで不遇な目に遭っている早乙女和子先生、出番ですよ!! というシリーズでした。


 や、だって、先生かわええやん(^-^)




 作中では優に五十歳超えてますけどね!(^-^)





 そしてですね、なるべく整合性を持たせようと頭を捻ってはいたのですが(時系列としては大丈夫なはず)、矛盾に目を瞑りつつ書いた部分もございます。
 表現として、あえて手落ちがある状態のままにした部分もございました。

 まず、キュゥべえの生息数について。これは、読んでくださった方のコメントの中にもありました。
 今シリーズ中では、キュゥべえの個体はひとつだけしかありません。それは私の過去作でも書いた世界観ですが、世界中の過去の偉人たちは同じ個体のキュゥべえが契約したのであり、そいつが今、日本へ来ているということ。ほむらに撃たれて肉体が潰えても、また別の座標に新しい個体が生成されるということです。

 私はアニメ本編を見てそういう解釈をしていたのですが(ほむらとの契約を憶えていないと断言するなど)、制作者サイドのお話として「たくさん居るんでしょうねぇ」なんて発言も聞こえました。しかし、最後の最後のオチ(【暁美C】ラスト)はかなり早い段階から想定していたので、そのまま突っ走りました。これ以上、世界を広げたくなかったという意味もあります。


 そして次に、”アルティメットほむら”が存在する座標。それを地球に固定するならば、超高速で時間が前なり後ろなりへ流れ去る中、太陽の座標を中心として公転しつつ、自転もしているわけで(それを表す描写を入れていた)、星を見て呟く内容がおかしくなってきます。太陽さえ無ければ公転しないということならば、それを補足する文章が必要だったとは思います。が、そこまで突き詰めて書くとテンポを崩し、主眼が曖昧になってしまうのを嫌って、あのままとなりました。


 さらに、『宇宙の外側』という表現が何度か出てきましたが、これも捉えにくかったかもしれませんねぇ。
 要は、『”+1以上の次元”からは、同座標に見える』ということで、それを二次元と三次元で例えてみましょう。





 つまり、高次元から同じ場所に見えても、実際に三次元としては手を触れられない位置関係に居る、ということです。これも上記の理由で説明文を省いてしまいました。



 まぁ、こんな感じで自分でも気になるところは色々とありますが、今の実力ではここまでが精一杯で、これからそれらを改善していければなぁ、と思っております。

 私には過分なお褒め、激励等の暖かいお言葉をいくつも賜りまして、誠にありがとうございました!(^-^)




 そして最後に――――――


 需要があるかは定かでないのですが、お礼の意味を込めて、プロット公開をしてみようと思います。

 一枚目が前半部のもの、二枚目は結局後から書いて纏める羽目になった後半部のものです。

 サムネイル表示に致しますので、ご覧になられたい方はクリックで拡大されます。


 というか、見たくない方にまでお見せするのは恥ずかしいので!!(;^-^)



 書いているうちに、原案からだんだんズレていくのがお解りいただけると思います。

 前半部は、もう一度クリックしていただければ実物大になるはずです。





前半部プロット





後半部プロット表













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Web上の小説投稿サイト考――例:『てきすとぽい』様の場合

2013-06-10 22:13:57 | SS・小説
 いやいやいや、更新、ご無沙汰しておりました(^-^;)

 書きたいことや、ネタはいっぱい貯まっているんですけれどもね!!(;^-^)



 ま、置いときまして、昔は小説ですとか、漫画ですとかって敷居が高かったんですよね。どこか、「上手い人が書いて(描いて)いるものであって、自分は読み専だから」みたいにね、一般的には「作品というものは、出てきたものを楽しむものだ」的な意識がフツーだったと思うんですよ。

 それが、まぁ、どうしたことか、一般人が『作品の裏』に興味を持つようになりましてね。本来、名前がなかなか表に出てこなかった声優さんが、現在では顔やら経歴やら、随分と表に出てきていますでしょ。需要が高まったせいもありますが、作品の裏に隠れていることの多かった声優陣を、ビジネスとして前面に押し出すようになり、キャストを決める際の判断材料として影響を与えるまでになりました。

 また、作品のストーリーに関しましてもね、しきりに『伏線』というワードが飛び交うようになりましたでしょ。昔はそんな言葉、滅多に出てこなかったものでして、ナニカが終わってから「ああ、あれは伏線だったのだな」とか、そんな程度だったはずです。

 ところが、ですね。最近ではニコニコ動画なんか、コメントが付きますでしょ。もうね、伏線として言わせた台詞がすぐにバレてしまうんですよねー。「これは伏線だな」「伏線っぽい展開だね」「これ、後でまた出てきそう」みたいなコメントが、リアルタイムで付きます。『フラグ』というワードも同様です。視聴者や読者がシナリオ展開を能動的に読もうとするようになったので、いわゆる『死亡フラグ』なんてものはすぐに見破られてしまい、「嫌な予感がするな……」「あ、こいつ死にそう」のようなコメントが流れます。


 それだけ一般に『シナリオについて、考える』人が増えているのが現在なんですよね。王道展開も熟知していたり、キャラの立たせ方も見ていたりしますので、作者にとっては非常に怖い『目の肥えた読者(視聴者)』で溢れているわけです。逆に言えば、自分である程度展開することの出来る層とも呼べるわけで、「それじゃ、書いてみよう」、或いは「書いてみたい」という方は実際に作品を創る側へと足を踏み入れていきます。書きたい人、描きたい人って今、すんごく多いんだよって、その筋の方が仰ってました。(^-^;)


 同人活動なども盛況ですよね。東京の大イベントなどは、それに付随して動く二次的な金銭流動も含めれば、国家予算規模の経済効果があると試算した学者さんもみえます。



 しかしインターネットの発達した現代、もっと気軽な手もあるわけでして、様々な『小説投稿サイト』が生まれました。

 老若男女入り乱れて、匿名で作品を出し合うコミュニティなわけですが、これもなかなか奥が深いです。良いこと、楽しいことである反面、問題が発生するケースも様々にあるんですよね。


 まず、基本的に作品を出す側って、いろんな事にビクビクすることが多いです。

 他人からの評価、或いは自身による判断に苛まれ、意気揚々と書き上げて出した後になってからいろいろと悩んでしまわれる方をよくお見かけ致しました。おおまかには、褒められて伸びる方と、叱られて伸びる方に分かれます。


 そこで、だいたいのサイトさんでは厳しいコメントを控える傾向にあるようです。もうトップページから『叱られるのが怖い方はこっち』『じゃんじゃん叱って欲しい方はこっち』と、入り口を分けられたサイトさんもありました。叱られて萎縮してしまい、書けなくなってしまうのは避けたい。逆に、正直に欠点をズバッと突いてもらえないと不安を感じる人も居る。その両者を別々に固めるのは良い手だなと感心したものです。


 ま~~、私は割りと後者なわけですが、それでもガンガン欠点を突くのが前提のところに出せるほど、まだまだ自分の文章に自信を持てない状態でしてね(;^-^)

 そんなわけで、そのバランスが取れている場所はないものかと、探してみるわけです。


 シリーズを書いている途中の息抜きと言ってしまってはさすがに失礼にあたりますが、とにかく気軽に書けるものを数こなせる場が欲しかったので、最近はこんなサイトさんにお邪魔しておりました。



てきすとぽい


 ま~~ね、サイト名のセンスが非常に気に入りまして。(^-^;)

 某氏も仰ってましたが、小説でもね、タイトルとか、第一行目っていうのは非常に重要だと思うわけですよ。言いたいことをシンプルに表して、アピール出来なければならない。ファーストインパクトで読む者を惹き込まなくてはならないと思っております。慣れていない方には、作品を投稿する勇気がなかなか出ないものですからね。「書いたテキストを、気軽にぽいっと出しちゃいなYO!!」みたいな、オープンな気風を想像したわけです。


 ま、サイト運営者の想いは、本当にそうだったのかもしれません。

 しかしまぁ、集まるのは『人間』なわけですからね。しかも書き手が集まるわけですから、特に『熟慮する人間』『知識・造詣の深い人間』『こだわりのある人間』といった、猛者と呼べる方々の団体になるのは当然だったのかもしれませんね。

 そして、プロを目指す方や、書籍として既に出してみえる方も混じっています。出版が視野に入りますと、なかなか一筋縄では行かないケースも発生するものですよね。



 こんな事件がありました。Twitterのやりとりを集めた『togetter』というもので御覧頂きますが、先に御注意を申し上げておきます。

 少々偏った視点による誹謗中傷も含まれています。
 『実際に起きた事実』を読み取って下さい。


 では。


このホラ吹きがすごい!2013:文芸サイト・てきすとぽいがブラックすぎてむしろ秀逸になってる件w


 はい、問題のある言葉も多々、出てきましたけれど、流れを細かく記録したものとしては、ここが最も適してましたので、読まれた方を不愉快にさせる恐れもありましたが掲載致しました。

 お金が絡むとさすがに反応が激烈になりますね。
 肝要だと私が思う点を、順番にひとつひとつ考えていきましょう。

 あくまでも、私個人の見解です。



●作品料・売り上げ 云々

 これは、サイト内で企画立ち上げ時の説明文に、出版云々あったと思います。私が最初に過去ログを見た時にはあったはずですが、修正されているのかは判りません。まず、最初に企画主が明示義務を負うべきもので、参加者はそれを隅々まで熟読する前提で投稿すべきもの、というのが私の認識です。
 出版の可能性に触れられている時点でこうなる可能性は予見できると思いますので、それを嫌う方は『その企画』に投稿しない方が、お互いに嫌な想いをしなくて済んだのではないでしょうか。企画ごとに主催者の方針は違ってきますので、そこは投稿者が読むべきでしょう。


●運営の責任 云々

 私がサイト内を見回った感じでは、おそらく責任を負う立ち位置ではないように思います。
 作品というものは、書くだけでは完結しないんですよね。どうしても、読む人間が必要になってきます。実力十分、作品に自信アリという方が出版社の企画に応募しても、実際に読んで下さるのは、たった数人の審査員なのだと嘆かれた方もみえました。より多くの方に読んで頂くためにこういった場所が存在意義を持つわけで、例えてみれば「スポーツしたい人々のために、運動場を作ったよ」というのが運営さんだと思っております。その運動場でサッカーの試合を行ったとして、「さっきのはファウルなのに審判が笛を吹かなかった」と地主にクレームを付けるのは、いささか酷ではないかなと感じましたね^^;


●出版 云々

 出版されるのが嫌な方もみえれば、逆に、より多くの方に読んでもらえる出版を歓迎する方もみえるでしょう。
 金銭が絡んでこじれた今回、まぁ企画概要の読み零しかなという気もしますけれど、私はどんどんプロの出版社が介入してきてもいいんじゃないかなとも思いますね。もちろん前提として、企画概要で全てを正直に書かれることと、作品群がプロの興味を引くことが必須になりますけれど。
 実際にプロを目指す方も参加されてますし、他のサイトさんでも逸材は埋もれていたりすると思います。プロの編集者から見て「この先伸びる」などはある程度判断可能でしょうし、条件さえお互いに納得できれば活発にそういったことが行われてもいいんじゃないでしょうか。
 企画概要を参加者がしっかり読んで、把握するのももちろん必須になります。


●文芸サークルか、オープンなサイトか

 これ。実はこれなんですよ、今日の記事の眼目は。
 私は参加した経験がありませんけれど、文芸サークルといったものはいろんな意味でクローズなのではないでしょうか?

 違ったらごめんなさいねぇ(;^-^)

 書く側の好みも様々だと思います。重視するのが文章の綺麗さだったり、世界観や人物像だったり、表現力だったり、ミステリーなどのような論理性だったり、感情の琴線に触れるものを求めていたりと、いろんな方がみえるでしょう。そういった好みの似た者が集まったり、作風が影響を受け合ったり、なんてことはありませんか?

 また、先ほどの出版云々のような場合でも、似たスタンスの方が集まったりして、そこに安心感を覚えるケースもあると思います。それはそれで、気持ちよく書ける環境なのかもしれませんね。しかし、そこへ先ほどの方みたいに、全く異なるスタンスの方が混じった時にどうなるでしょう? 異分子は『悪』扱いされ、本人もなんか居心地の悪さを覚えたり、或いは怒ってしまったりして去るのではないでしょうか。

 そんな感じで、クローズなサークルというのは拡大傾向を辿りにくいと思っております。気持ちよく書けたとしても、やはり、書く側の成長を阻害する環境のようにも感じますね。世界がクローズするというのは、そういった弊害も否めないでしょう。



 先ほどのサイトで、こんな企画がありました。


朝の情景コンペ


 いやあ、これは非常にテーマの秀逸な、私のイチオシだった企画なんですけれどもね、残念ながら作品数はあまり集まりませんでした。

 このサイトでは投票機能というのがありましてね、最近、他でも流行りつつあるようですが、その五段階評価の得票平均値によって順位が決定されます。


 ま~~ね、主催者としてはおそらく、作品数が伸びないことにやきもきしてみえたんじゃないかと心中お察し致しますが、主催者自ら三作品を投稿、これが力作揃いでして、一位から三位までを総ナメ致しました。力を見せ付けた感もありますが、ま、主催者ということで優勝は御辞退されました。

 となると、繰り上がって優勝は四位の方かと思いましたら、なんと飛び越えて、七位の方を優勝と定められました。


朝の情景コンペ 総括



 いやぁ…………私、正直なところ、背中に冷たい汗が滴り落ちた心地でしてね、かなりゾッとしました。ゾクッと言っても良いかもしれません。

 投票はやはり、それぞれの個人の好みで決められますんでね、同じ作品でも評価は分かれるでしょうし、評価が低ければ悪い作品かと言えば、そういうものでもないんじゃないかと思っています。低くなっても恨みっこナシよ! という、お互いの好感度の総計といった印象でした。

 しかしここで、飛び越えられた四位、五位、六位(七位と得票内容は一致)を評価した『参加者の総意』より、『主催者の好み』が優先されたところに恐ろしさを感じてしまったのです。もちろん運営さんに責のない、独立した企画者の意向でしかないわけですが、「あれっ、もしかして……文芸サークルだったのかしらん?」というのが感想でした。(※私自身も高評価を付けた作品なので、七位の作品の価値を疑っているわけではありません)


 まぁ、そもそも投票機能の意義はなんだったのか、という話にもなってきますけれどもね、先日、全く違うサイトさんの企画でいっぱい作品が集まった時に、投票機能の存在が遅れて明らかになったのが、参加者から問題視されていました。また、その投票結果にも疑問が投げかけられていましたね。


 今のサイトさんは『競作』という主旨を掲げられて、こうした投票機能を採用されたようなんですが…………さて、参加者にとってその投票機能というのは、一体、どういったスタンスなのか、ちょいと参加者のTwitter過去ログを拝見してみますと――――――

















ええっ、そうなの?(;^-^)





 うーん、私には正直、よく解らない価値観なのですが……それを励みに頑張っておられる方も多いんでしょうか。


 もちろん、他の方もみんなこう考えておられるのかは判りません。



 ただ、『一度は投稿した』という方は結構な人数いらっしゃるはずなのに、ここまで稼動が減ってしまったのが残念でしてね。

 去られるには、去られるだけの理由がどこかにある、と思うのですが…………某企画で最低得点だった方は、その後、他で精力的に書いていらっしゃるのを把握しております。挑戦を込めて書かれたのが低評価だったようですけれど、それが彼の実力の全てだったとは、私は思っておりません。




 『オープンな場』なのか。

 それとも『文芸サークル』なのか。



 相容れない両極を融合させるのはおそらく困難で、どうしても、どちらかに特化して行かないと難しいように思いますが、何がこういった迷いを生じさせているかと言えば、私は『分母が小さすぎるんじゃないか』と思っております。

 人数が増えれば増えただけ、運営さんや企画主さんの苦労も比例して大きくなってしまいますけれど、とにかくもっとたくさんの人数と価値観を吹き込まなければ、いろいろと偏ってしまうでしょうし、企画主さんが複数投稿を余儀なくされることもあるでしょう。

 人間だって、いえ動物自体、同族交配を繰り返せば未来は先細りです。違う遺伝子が入ってこなければ、弱いところが成長を阻みますよね。





 つまり、ですね。







みんなも、来ない?(^-^;)








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佐渡島庸平 氏の『プロ・アマ論』に対する考察

2013-05-09 20:46:21 | SS・小説
 今、書き手(小説等の執筆愛好家)の間でですね、すっごく話題になっているんですよ。

 編集者として界隈で一目置かれている 佐渡島庸平 氏が某イベントで語られたトークに対して、賛否両論入り乱れまして。


 こんな感じです。


佐渡島庸平トークイベント 「超一流のプロとその他のアマ」論の行方


 ま、本来のテーマは『うまい編集ってなんだ? プロとアマの境界線』ってことだったんですが、ちょいと違う方向へ話題が逸れた件にもたくさんのツッコミが入っています。


 が、しかし!!(^-^;)


 これは私の邪推に過ぎないのですが、もしかしたら、敢えて違う方向へ論点をズラしたのではないか、という可能性もあるんじゃないでしょうか。


 イベントであるからには、だいたい客層が定まってきますよね。

 編集仲間が興味を持って参加するよりも、プロの小説家になることを視野に入れた『プロ予備軍』が、編集者が書き手に求めることを何か教えてくれるだろうという期待を伴って訪れるのを前提としているのではないかと思います。


 あ、ちなみに途中ですが、たまに言われます校閲校正の違いはこんな感じです。

 ⇒ 『校閲と校正の違い 』

 『校閲』も現在、ホットワードと言って良いぐらい話題に上ります。主にこのツイートの影響ですが。

 ⇒ 『新潮社の校閲すごいっ!校閲のプロの仕事っぷりが話題』


 ま~、そんな感じでですね、最初のリンク(『~~論の行方』記事)にも出てきましたが、佐渡島 氏も編集者として常々、『嘆かわしいプロ』にも触れてこられたのかもしれません。

 ところがトークイベントを聴いているのは、プロの世界を夢見て目をランランと輝かせる若手たち。そりゃあ、編集者としては未来の名作を生み出す金の卵を見つけては育てたい、世に良い作品を出していける編集者になりたいと望んでおられるのではないかと思うのですよ。いくら御自分に思うところがおありでも、目の前でいくつも希望に満ちた瞳が並んでいるのを、


 (´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)


って雰囲気にしたくないじゃありませんか!?(;^-^)


 締めとして使われたのは、こういったお話でしたよね。



 このトークイベントの話題が、ここに主軸を置いてしまうのは、甚だ困ると思うわけです。

 当然、『超一流でないプロ』の話に繋がってしまいますし、
「どういった著者に困らされましたか?」
みたいな質問も飛び兼ねません。下手な事を正直に話してしまいますと、当然、プロの界隈にも伝わってしまいます。プロだってナイーヴな方が多いですから、下手打ってモチベーションを下げてしまうのは回避したいところですし、界隈全体の『編集者』信用も失墜させてしまう可能性だってあります。

 ですから、そちらに話を進めたくないがために、わざわざ
「超一流と、それ以外のアマがいるだけだ」
という、センセーショナルな切り口から始めたのではないだろうか、と、私は思うんですよ。


 もしそうならば、見事な誘導だと言わざるを得ません。

 編集者だってね、本を出版する時に帯の煽り文句を捻ったり、巻末で解説を書かれるケースまでございますでしょ。

 それぞれ「本を手に取って頂ける・買って頂けるように」「その本を、より愛して頂けるように」と文章を考える、これも一種の『著者』と言えるかもしれませんよね。いかに消費者・読者の心を掴むか。その命題に対して真摯に取り組む姿勢は、作家と編集者を両側に乗っけた天秤を一方的に傾けさせるものではないと思います。


 しかし、プロの編集者として
「天秤の向こう側が上がりっぱなしじゃないのか(=内向きの思考ばかりで誠実に読者と向き合っていないのではないか)」
という嘆きを感じる時があり、それをおっぴらに口に出せない。

 さらに言えば、逆に
「こちらがいくら頑張っても、なかなか天秤のこちら側が下がらない(=担当する作家が凄すぎて追い付かない)」
みたいな場面もあるのかもしれません。


 その後者を『超一流』と呼び、前者を『それ以外のアマ』(職業小説家だとしても)と表現されたのかもしれないなぁ、と思うわけですよ。

 良い本を出すために、前者の時、編集者はせっせと天秤の向こう側へ分銅(重り)を載せて行く。

 その分銅を、にべも無くポイポイと捨てて行く作家にも出会う。


 そんなやるせなさも、この『話題の摩り替え』には込められているのかもしれないなぁ…………なんて考えると、胸中複雑ですね。








ま、全て私個人の邪推に過ぎないんですけれどもねっ!!(;^-^)






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創作について、最近考える事。

2013-04-05 01:20:26 | SS・小説
いやあ、今日は構成とか特にしっかり考えていないのですが。(^-^;)


 って書きますと、なんだかいかにも私が普段、しっかり構成を練って記事を書いているかのごとく響きますが、まー大体
「これと、あれと、それは言いたい。それぞれ発展させて、順番はこうして、あの画像貼りたいからあんな感じにして、オチ(締め)はこれで」
ぐらいは、多少考えるぐらいですんでね、そんなにガッチガチのことは今までもしていないです。

 気楽~に読んで頂こうと思えば、こちらも気楽~に書くべきかなって。ま、言い訳なんですけどね!(;^-^)


 で、今日は特に、今の時点でオチ(締め)とか考えていないのですが、普段いろいろ、最近もやもやと考えていることを、適当に呟いていこうと思います。

 創作する人って、結構みんないろんなことに悩んだりしますからね。私は今、こんな感じですよって、本当にただの呟きでございます。






 まず、よく言いますのが
「書きたいものを書くのか、読者が読みたいものを書くのか」
って問題ですね。これはこのブログでも何度か触れた葛藤です。

 プロですとね、売れなければならない、本を手に取ってもらわなければならないって前提になりますよね。
 自分が食っていけるかどうかというより、出版社に収入を発生させられるか、って思考になると思います。

 私はあまり、そちら関係に詳しくないんですけれども、確か、北村薫の小説で
「出版社は、時に赤字覚悟で本を出すことがある。だから、その分を他の本で賄えなければならないのだ」
というお話が出てきたことがあります。覆面作家シリーズだったかなー、円紫さんと私シリーズだったかなー、それとも、ただの対談でしたか、とにかく出てきたんですよね。赤字覚悟というのは、専門的な書物だったり、なにか社是を示すような企画だったりしたと思います。そのあたり、お詳しい方には「ああ、あーゆうのね」とすぐピンと来られるかもしれません。『出せば赤字確定』、それでも出さないという選択肢は無い、というスタンスなのだそうで。

 昨今ね、業界も大変なようでして、出版社も書店も苦しいのだそうです。そうなると、プロの作家さんは必ず利益を業界にもたらさなくてはならない。売れなければならない、と。


 こんな事情ですとね、『書きたいものを書きたい』なんて、言ってられないんだろうなぁって。『売れる・買ってもらえるものを書かなければならない』ってことでね。

 じゃ、これを『創作』という視点でなく、『商業』という視点で考えるとどうなるか。
 読者が『何を読みたいのか』を考えますよね。

 日本国内で売るわけですから、現代日本人が何を欲しているか。何に憧れるのか。何に悩んでいて、解決させたいのか。


 ま、不況なわけですから、そこで「ハッピーエンドを読みたいんだろうな」「ほっこりしたいんだろうな」「敵を倒してスカッとする主人公に自己投影したいんだろうな」といったあたりが出てきますかね。実際、テレビのドラマなんか、こんな感じだったりしませんか? あの業界も視聴率の動向にピリピリしますんでね、放送作家さんは常に国民が求めているものを追ってみえるのではないでしょうか。

 ただ『ハッピーエンド』というだけなら、昔からあることですよね。音楽の世界でもあります。
 ヨーロッパやロシアで書かれたオペラなど、アメリカで上演する時には『ハッピーエンド』にシナリオを書き換えるのが常識だった時代があります。国民性の問題で、アメリカンドリームと申しますか、とにかく成功に向かって邁進し、勝利を勝ち取るのを是とするお国柄ですから、そうしないとお客さんが来てくれないのでしょう。


 そんな感じでですね、商業として創作をするとなりますと、求められる物しか書けないのかもしれないなって。それが、作者自身の価値観と違っても、それを曲げざるをえないのかもしれないなぁ、と。

 例えば、就職難ですとか、リストラ問題を考えれば、『自分を否定されることに悩んでいるのかもしれない』わけで、主人公が他から認められる物語にするとか。

 また、アニメなどでは昔のように『男の子が女の子を守ってハッピー』が王道ではなくなってきて、下手をしますと『女の子が戦って、男の子(主人公)は守ってもらえる』なんてのが売れたりしますので、そういうシナリオにするとか。
 
 『ゆとり教育』を考えるならば、昔のように競争社会で勝ち抜くという価値観は『良くない』と叩き込まれた世代も今では購買層で大きなシェアを占めるようになり、作品でそういった競争を排除して、あくまでも個人の成長というシナリオにするとか。


 こんな感じでですね、プロは違うものが書きたくても、売るためには『書きたくないもの』を書かされるのかなぁと、たまに思うわけです。
 それに比べれば、我々素人の創作者は『書きたいものを書くことが許される』わけです。実際、『ハッピーエンド』『ほっこり(癒し系)』は閲覧数やブックマーク数が伸びやすい傾向はありますが、それでも『書きたいものを書くことが許される』。しかし、すんごいシナリオ、すんごい文章力、すんごい発想の作品でも、悲劇はどうしても伸びにくかったりしますし、もう一度読むかと言えば、やはり『ハッピーエンド』『ほっこり』が再度クリックされるのでしょう。現実でうまくいかないから創作物でぐらい良い思いをしたい、というのも当然の流れなのでしょうねぇ。



 で、まぁ、私の先日のシリーズ(ドロッドロの悲劇がハッピーエンドに向かったと思わせて最後に結局バッドエンド)もですね、アンケート機能で感想を募ってみますと、やはり
「ハッピーエンドにして欲しかった」
という意見を少なからず頂きました。やっぱ、そうだよなぁ……という気も致しますが、アレは思いのほか伸びまして、いろいろと欠点や、私の力量不足はバレているでしょうけど、それでもよくお読み頂けまして恐縮しきりです。やっと前半終了(この時点でバッドエンド)というところで止まっています。半ば意識的に止めているのもありますが、この後、また展開が変わっていくのを早く書きたくもありますが………………そういったドロドロが良い、という層もまた、一定シェア存在するようです。

 私のようにバッドエンドの多い作者は、そういった層が少ないのを承知しつつも書きたいものを書く。それはそれで、素人だからこその楽しみなのだろうなぁ、と思いますね。中には
「読者からの支持が大きいほど偉いのだ」
といった価値観を主張される方も多くいらっしゃいます。支持を広げるために需要を意識して書く、また、それに足る実力をお持ちなのは評価に値しますが、しかし、需要からちょいと外れていて支持が狭かったとしても、やはり好きな人は好きなわけで、私はそういった方に「そのまま好きに書いて欲しいなぁ」と思いますし、自分も好きに書いてやるんだーってスタンスですね。件のシリーズは、最終的にそんな悪い方向へ行かない予定ですが^^;



 うん。終着点を定めてないのもありますが、今日は特に文章に纏まりが無い。

 さっきからずっと横から話しかけられていると集中力が切れがち。きぃーーーーっ!!


 ま、置いときまして(・・)



 素人の創作って、本当に一人称小説が多いんですよね。主人公視点、つまり
『私がそのドアを開けると、思いもかけない人物が立っていた。ここに来るのは秘密だったので、顔を見るのが怖くなり、つい、目を逸らしてしまう』
みたいな、主人公が決まっていて、主人公から見える事柄しか書かれていなくて、主人公の感想や感情が明示される小説ですね。これが多いということは、書く人も主人公に自分を重ねる傾向が強いのかもしれません。また、それがウケるということは、読者も自己投影したいのだろうなぁと思います。

 でも私は、どちらかと言えば三人称小説を書く方が、性に合っているように思います。つまり
『プロデューサーが待つこと二時間。ドアを開けて入ってきたのは、自宅でおとなしくしているはずの春香だった。「あっ」と口を押さえて目を背ける彼女に、彼はしばらく言葉が出てこないようである』
のように、どちらかと言えば読者は傍観する立場になる書き方ですね。感情は想像に委ねられますし、書く側はなるべく読者に悟ってもらえるよう頭を捻る。

 書こうとする作品が、どちらに向いているのか、どちらが不便(不足)なのかをよく考えてから決めているつもりです。先日のシリーズでは珍しく一人称を採りましたが、それは必要性を考慮してそうしたわけです。


 ところが、まぁ、おそらく読者と同じ感覚・感性を持っていれば、最初から迷うことなく一人称で書き始めていただろうなぁ、と思うわけなんですよね。その時点で、私が作品を出している界隈から、私の価値観・考え方が『外れている』んだろうなぁ、と。一般的・常識的じゃない、と申しますかね。

 で、それじゃどうするのって話になりますと、やっぱりさっきの「書きたいように書く!」って話に戻りますんでね、素人なんですから、好きなように試行錯誤を重ねればいいのかなと。なにせ、許されているわけですから。またね、そこで読者からイイと思って頂ける作品が書けるようになれば、もしかしたら他の方も三人称で書き始めるのかもしれない。

 ま、現時点で滅多に他の方で三人称って見ないわけなんですけれどもね!(;^-^)なんでかなー





 そして、ここで話がガラッと変わりますけれども。(・・)


 文章による創作、ちょっと分解して考えてみたんですよね。

 このブログでチラッと触れた気もしますけれどもね、ただ「良い話だった」「文章が良かった」ってだけじゃなくて、いろんな方が作品を書き上げるまでの過程と申しますか。


 最初に湧き上がる『発想力』があって、それを一貫性のあるものにする『テーマ(主題)』があって、それを纏める基礎的な『文章力』があって、読者に様々なことを感じ取らせる『表現力(技術)』があって、それをより効果的に演出する『構成力(プロット)』があって、最終的に不自然さを排除して説得力・納得力を削がせない『推敲力』がなければ、良い作品は出来ないんだろうなと。


 どれも私はまだまだなんですが、試行錯誤を重ねながらも、鍛えるのが最も困難なのが最初の『発想力』なのかな、と最近思うんですよ。
 どれだけ技術が向上しても、卒の無い文章が書けるようになっても、発想自体が読者にインパクトを与えるものでなければ、『ただ纏まっているだけの文章』になってしまうのかなと。自分は、このまま行けばそっちに向かってしまいそうな怖さがあるんですよね。まだ全然纏まっていませんけれど(;^-^)


 その点、先日のシリーズはカリスマとも言える動画作者の作品を着想元としたため、最初の『発想力』の時点で凄いわけですよ。私はただ、そのインパクトに引っ張られるまま筆を運べば良かったわけで、あのシリーズは本当に『私の作品』という感じがほとんどしません。一番の元である原作作者の虚淵玄さん、そして二次創作として動画を投稿なさったカリスマ動画師TeShさん、御両名のとんでもない発想力が私の筆を動かされたんだと。私はただの語り部(うーん、違うか?^^;)だったのだと。それならば、より良い語り部でありたい。そんな気持ちで書いていたシリーズでした。なので、一旦の区切りである【最終話】(実は通過点でしかないが)のラストに、どうしても御両名のお名前を入れたかったのです。


 いや、TeShさんに叱られなかったのが奇跡と申しますか、寛容な方で良かったです(^-^;)

 虚淵さんを唸らせてやるぅと言いながら、実際に虚淵さんに読まれたら死ねる気がしますね(;^-^)



 そんなわけでですね、やはり、最初の『発想力』というものが如何に大事であるか、痛いほど思い知らされたシリーズとなりました。

 これ、なんとか鍛えられないものでしょうかねぇ?




 『才能』の一言では片付けたくないのですが。









 やっぱ、片付いちゃったりするもんなんですかね?(;・・)





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日本語が難しくて頭痛が痛い(;^-^)

2012-12-29 22:29:47 | SS・小説
 えー……まぁ、『頭痛が痛い』は重言という誤用なわけですが。(;^-^)


 こんな感じで、日本語って誤って使われたり、違う意味で定着しつつあったり、熟語が混ざってしまっておかしくなったりしますよね。

 漢字の読み方ですら、三十代あたりでも「えっ、読み方こうだったの!?」なんてこともありますでしょ。




 え、あるでしょ?


 あるよね?(;^-^)






 ま~~、そんな『正しい日本語』って言いますのがどんなものなのか、纏めたサイトがあったんですよ。




誤用にご用心。









タイトルに何仕込んでんだよって気もしますけどね!!(;^-^)



 まぁ、『誤った例』と『正しい例』が、それぞれの項目別に五十音順で並べられています。



言葉にご用心
「微妙に何か変……、そんな言葉はありません」という間違い。

意味にご用心
「そこで使うの変ですよ……、言葉の使うところが違う」という間違い。

誤字にご用心
「合ってると思って書いていたら実は……」という記述の間違い。

誤読にご用心
会話中に指摘されて初めて知ることが多い、読み方の間違い。

重複にご用心
「間違ってない事もないような……、だけど言葉としては変」という間違い。



 まぁね、その『誤用レベル』も、結構まちまちです。

 『一生懸命』などは現在普通に使われますが、厳密には間違いなので『一所懸命』にすべき、と言われましても、私の世代は確か小学校で『一生懸命』と習っています。文部省(現:文部科学省)のお墨付きなわけですよね。

 また、『おざなり』と『なおざり』等、意味の違う別の類似音の言葉が、片方でどちらの意味にも使われてしまう例もありますよね。


 こういったのはテレビやラジオのアナウンサーなどに厳しく叩き込まれるものだと思われますが、実際、言語なんて生き物ですからね、『一般的な使われ方・認知度』は、年とともに移り変わって行きます。前も申しましたが、どっかの偉い言語学者が「日本語が乱れていて、嘆かわしい」なんて厳しく仰ったとしましてもね、その学者さんだって、厳密に言って古来正しい日本語を話しているわけではありませんし、『正しい』の定義をどこに(どの時期に)定めるのかって問題も発生致します。


 ただ、日本語や中国語は『漢字自体が意味を持つ』という性質を持っておりますから、漢字の意味と齟齬のある表現や使用法は、改めた方が良いのではないか、と個人的には思います。


 よく取り沙汰されましたのは、厳しく教育されたはずのアナウンサーが、野球中継で
「先程、痛恨のエラーをしました○○が気合十分にバッターボックスへ入ります。ここで一発、汚名挽回と行きたい場面でございますが――――」
なんて言ってた例ですね。

 もちろん、正しくは『汚名返上』、或いは名声のある選手でしたら名誉挽回でも良いでしょう。

 強引に正しい意味で使おうとすれば、
「打ち上げた残念、平凡なセカンドフライに終わりました。先程のエラーに続き汚名挽回をしてしまいました!」



 いや、やっぱオカシイよね!(^-^;)





 まぁ、私もね、SS(小説)を書きながら、「これ、使い方合ってたかな」と自信の無い場面はちょくちょく国語辞典や、辞書サイトのお世話になっております。

 それでもやはり、今のサイトに出てきました言葉を使ってしまった記憶がチラホラあるんですよねぇ。




 元々、今のサイトのURLが私のところへ回ってきましたのは『文章書き必見!』みたいな感じだったわけですが、どうですか。


 クリックして、頭を抱えられた方も多いんじゃないですかね?








 え、ない?


 あるよね?(;^-^)





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