分かったよーなこと、言ったって~!!

中途半端な知識で適当ぶっこく無法地帯へようこそ( ^-^)ノ

ひさっしぶりにダムを見てきました(^-^ )

2013-08-26 21:23:48 | 徒然の日常
 夏となれば、皆さん海へ山へと足を延ばされるのではないかと思いますが、私は山派なんですよね。

 ドライブはもっぱら山の中へ向かっていきます。



 ま、岐阜県には海ってありませんしね!!(;^-^)



 いえ、海は行かないってわけではないんですよ。昔はよく、愛知県は飛島村まで海を見に行ったものですし(免許のなかった学生時代、当時の彼女がよくここへ連れてきた)、先日も三重県は桑名のあたりまで行きまして、我が家の近くを流れる長良川が太平洋へと注がれる河口を、のんびりと眺めたりもしておりました。


 ま、でもさすがに遠いのでね、普段はコンビニ行ったついでにそのまま山へとふらふら走ってしまうものなんでございますが、昨日は本巣市の山奥、もうちょっとで福井県ってあたりのダムまで登りました。



 地図で見れば、このあたりです。縮尺を自由に変えて御覧くださいまし。






 これは、発電用のダムです。

 揖斐川の支流、根尾川に建設された上大須ダム、そして併設される奥美濃水力発電所ですね。








 これは下の発電所へ向かう道なので、一旦戻って、上のダムに向かう道を登って行きます。








 あっ、指が映り込んでいますが気にしないでください!!!(;^-^)

 今、気付いたわ…………。



 ダムの上は、道になっていますので、そこからダム下を覗いてみましょう。







 さすがに高低差があります。結構怖いんですよ、これ。

 見事なロックフィルダムですねぇ。1995年(平成7年)に運転を開始した当時は、国内最大規模を誇っていたそうです。



 なんにも無い山の中に、これだけの大建築が威容を現すのはなかなか壮観ですね。







 ほんとに、なぁ~んにも無いところです。



 が、私、ここには何度も来ていますのでね、ダム事務所の先に、えっちなものがあるのを知っております。


 早速、行ってみましょう!!!









 はい、ヘリポートでした~!!!(^-^;)



 えっちでしょ?

 大きく  って書いてありますもんね!(;^-^)





 ま、そうこうしているうちに、トイレへ行きたくなって参りましてね。

 なにしろここまで来るのに時間かかりましたし、運転中はコーヒーをぐびぐび飲んでおりましたんで。(;^-^)




 どうしよっかなぁ~、そこらで…………いやいや、叱られますよね。

 私のお○っこで発電とか、なんかちょっとイヤですよね!(^-^;)


 ってなわけで、その先に休憩所みたいなスペースがあったはずなので、そこへ行ってみました。トイレがあればラッキーぐらいのつもりでしたが、いつの間にかしっかり整備されていまして、トイレはもちろん、他にもいろんなものが配置された、小さな記念公園っぽくなっています。






 ダムが一望できるように作られたはずですが、今は木が茂っていて、下が見難かったです。秋になればまた、景観も変わっているのでしょうねぇ。紅葉とかも綺麗そうです。







 オブジェっぽいものもありますね。

 発電タービンの実物っぽいものも展示されていました。それも写真撮ってこればよかったですねぇ……。



 また、ダム工事や仕組み、発電所の説明・紹介をする展示もありました。








 こんな山奥へ来る人は滅多にいないのですが、中部電力さん、いつの間にこんなの作られたんだろう(;^-^)




 そしてね、いつの間にか、綺麗な慰霊碑も作られていました。







 後ろ側に、小さめのが建てられてますでしょ。そちらは墓誌(ぼし)のようでした。ダム工事に於ける殉職者四名のお名前が刻まれています。

 山奥でこれだけの大工事、さぞ大変だったことでしょうねぇ。



 竣工賦の石碑がありました。







 これは、当時の中部電力社長、太田宏次 氏の手による漢詩です。この方がまた、古代中国文化に造詣の深い方のようでして、ま、古美術品に関する不祥事も囁かれて裁判沙汰にもなりましたが、他のダムにも漢詩を寄せられ、記念碑に刻まれています。




 少し離れた場所に、その説明文がありました。







 『太田偕風』というのは、太田宏次 氏の雅号です。漢詩を書く上でのペンネームみたいなものですね。


 中部電力がこのダムと発電所に注いだ情熱と、殉職者への追悼の意が滲み出ています。






 実はですね、どうしてこのダムへ来たかと言いますと、大昔に自転車で来たことがあったからなんですよ。

 私が小学校を卒業して中学校へ上がり、初めて学生服という『制服』に袖を通したばかりの頃にですね、席の隣り合った、出身校がバラバラの男子5人でサイクリングに行こうという話になりまして。まぁ、仲が良かったんですよね。すぐに馴染んじゃって。オトコノコのノリですよ^^;

 その中のひとりが、親の運転で上大須というところへ何度か行ったことがある、車のメーターでは往復120kmあったけど、行くか? ってことでね、元気な私たちは即決、話に乗ったわけです。まだ週休1日の頃でしたんでね、日曜日の朝早くに出発して、夕方日が暮れる頃には帰ってこれるはずでした。


 ま~~、車ならスイスイ行けましてもね、なにしろ、山をいくつも越えて行くわけですから、自転車では結構、負担が強いわけでして、自転車自体にも負荷が掛かりますから、何人もチェーンが外れちゃったりね。まだ小さな子供ばかりとはいえ、3人寄らば文殊の知恵、5人も居れば最強じゃね? ってことで、様々なトラブルに見舞われながらも、互いに知恵を出し合って、途中ケンカっぽい状態にもなりましたが、なんとかこの、最果てのダムまでやってきたわけです。


 今日の記事、最初の写真でダムを見上げていますよね。あれが、当時見た風景でした。中学に上がったばかりの私には、福井県へ抜けるための大きな壁に見えたものです。時は1982年、昭和で言えば57年。発電所の運転開始が1995年(平成7年)ですから、当時はまだ工事中だったわけで、工事車両も多かったですし、途中の道も整備途中でした。


 ま、その壁を見て「あそこから先が福井県なんだな!」なんて満足をして、帰途に就いたわけなんですが、実際はただのダムの壁でしたからね、福井県まではまだまだありました(^-^;)


 帰り道にもトラブルはいろいろ起こり、日は暮れて暗くなってしまうとまたチェーン修理に手間取ったり致しましてね。なにしろ、街灯もない山道を延々と走るわけですから、つい前の月までは小学生だった5人にとっては心が折れそうな状態でした。携帯電話など存在しなかった時代、さすがに親に心配をかけているだろうと、公衆電話ではそれぞれ自宅へ一報を入れ、その後も夜道で方向を誤って迷子になりと、もう、家に帰れるんだろうかという焦燥感たるや、相当のものだったのを今でも鮮明に覚えております。


 でも、5人居たから頑張れたんだよなと、おそらくみんな私と同様、終生忘れることはないんじゃないでしょうか。



 正直言えば、無茶かもしれませんがね。オトコノコには、冒険が必要だと思うわけなんですよ。

 その点、現代の子供たちって、冒険をさせてもらえないんだろうな、とか。

 冒険をしようという気持ちが生まれないのかもしれないな、とか。


 部屋に閉じこもってゲーム機をピコピコ言わせているだけでなく、そうやって仲間とリアルでクエストに臨んで頂きたい、大きな男になって欲しい、なんてね、生意気にも思ってしまいますし、また、私もそんな思い出を忘れないように、たまにこのダムに立ち寄るのでございます。


 ま、私はそんな大きな男になったわけでもないんですけれどもね!!(^-^;)






 皆さんもね、車でどっか、ふらっと行くのにいいところ無いかなぁなんて時には、記事冒頭の地図を頼りに、のんびりとダムの湖水を眺めに行かれてはいかがでしょうか?

 もしかしたら、数十年前の私が、ダムの下から見上げて「福井県だー!」と指差している姿が、だんだん見えてくるのかも、しれませんよ?




 あ、ちなみにですね。

 もし行かれたら、注意事項の看板を御覧くださいまし。







 今日の写真は全て、安全な場所から撮っておりますんでね、危ない場所には立ち入られないよう、気を付けられて、のんびりと楽しんでいらしてくださいね!(^-^)







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