Eos5D写真三昧 格安の海外旅行記と国内旅行のすすめ

海外旅行の情報を旅行記として綴った記録。EOS5Dとiphoneで撮った写真をあげております。

そろそろ

2023年08月28日 02時44分00秒 | 政治 経済
ロシアウクライナ戦争も1年数ヶ月経ち、そろそろ何かしらの意見を書いても良い時期になったと思う。
   今回の戦争は私たち日本人にとっては対岸の火事であり傍観者という立場である。少なくとも直接戦火を交えている当事国ではない。そこは第二次世界大戦とは大きく異なる。次に今回の戦争はかつてのベトナム戦争や中東戦争とは違う。これらの戦争はアメリカとソ連という超大国から離れた地域で行われた代理戦争である。翻ってウクライナ戦争はロシアにとっては国境を接する緩衝地帯であり、その地域が親米政権になり、あろうことかNATOの加盟まで求めているという状況だ。地理的に似ている場所といえば北朝鮮である。北朝鮮はロシアと韓国の間にある緩衝国という位置付けだ。だが金正恩は新米政権ではない。NATOにも入る意思は示されていない。そういう意味ではロシアにとってのウクライナとは、北朝鮮のような緩衝国とも違っている。では似ているのは何だろう。
   かつてキューバ危機というものがあった。ここから先はアメリカ目線で物事を見ていこう。アメリカのフロリダの南にキューバという国がある。キューバは宗主国スペインの支配下にあったが幸運にもハワイのように併合を免れた国である。ただ、スペインからの独立には成功しつつも、アメリカの介入によって半ハワイのような位置付けとされてしまった。そのときカストロやゲバラのような人物がキューバには現れ、そしてそこにソ連が支援をするという形を取りいわば親ソ政権がキューバに誕生する。そこにソ連が核兵器を持ち込み、アメリカはトルコに核兵器を配備するなどをしてキューバ危機に至った。このキューバとアメリカの関係性は、ウクライナとロシアの関係に似ている。アメリカはキューバという喉元に親ソ連政権が存在しそこに大量破壊兵器を持ち込まれたのである。
  次は、昔に戻ってナチスドイツ目線で物事をみてみよう。第一世界大戦に負けたドイツは多額な賠償金を連合国によって課せられ、ことにフランスからの賠償については過酷を極めた。約束通りの期間での賠償返済ができなかったドイツに、フランスはドイツのライン川にあるルール工業地帯を接収し物納を押し通した。同時に敗戦後のドイツはプロイセンの一部やチェコのズデーデン地方、ラインラントなどの領土を失い、ドイツ帝国時代からの領土から縮小させられた。このころから世界恐慌にかけて貧富の格差はドイツのみならずヨーロッパ各地にも広がったが、超裕福層には一定のユダヤ人がいた。ユダヤ人嫌悪をついてはドイツのみならず、ヨーロッパの各国は少なくともドイツと同等程度の嫌悪感はこの時代もっていたし、1世紀前の19世紀からすでにユダヤ人はヨーロッパ諸国から嫌われていた。あとは今日知られているようなドイツにヒトラーが現れ、政権を握りドイツの経済力を回復させると同時にユダヤ人を排斥し、失われた領土をつぎつぎと高圧的な外交と再軍備によって回復させ、それがエスカレートして西側諸国が最終的にはポーランド回廊の回復にNOを突きつけ戦争に突入していった。この第一次世界大戦に負けたドイツ→財閥などの貧富の差をある社会→ある強力な政治家が時流に乗って政権を獲得し経済復興や再軍備を経て失われた領土の回復からやがては戦争にいたるという過程は、ソ連が解体した後からウクライナ戦争に至る過程と似ている。ソ連が崩壊した後のロシアはそれまで衛星国としていた国々が次々と独立をして緩衝国を失ってきた。時系列をおうならソ連の崩壊の兆しがはっきりと見えたのは1989年のベルリンの壁崩壊である。そして同年のチャウシェスク政権の打倒、そして1990年の湾岸戦争。1991年のユーゴスラビア内戦。そして1991年のバルト三国独立のあたりでソビエト連邦は崩壊する。これら一連の事件は無関係な別々の事件ではない。明らかにソ連の弱体化にともなう動きである。イランイラク戦争が1988年に集結するのも無関係とはいえないだろう。さてソ連邦が崩壊した後のロシアは資本主義へと舵を切ることになるが、新興財閥オリガルヒの暗躍もあり、ロシアはこのオリガルヒを時には潰し、時には取り込んできた。そしてそれらのオリガルヒはユダヤ人である割合がかなりあるという。ロシアはソ連崩壊直後はスーパーに商品はなく、貧困著しかったがプーチンの強権政治のおかげもあってか経済力を一定の水準まで回復させた。同時に軍備についてもそれなりには回復させてきたのだろう。さらにロシアにとっては失ったとされたクリミアの回復である。クリミア半島はピョートルとエカテリーナがオスマン帝国との戦争によって獲得した地域である。ソ連時代にウクライナを懐柔する意味でフルシチョフがクリミア半島をウクライナの管轄にしたのが、ウクライナがクリミアの領有権を主張する根拠になっているが、ロシアの立場としてみたら、ソ連邦が解散したならクリミアはロシアに戻すべきと考えるのだろう。このクリミアはナチスドイツの失われた領土の感覚と似ているのではないか。
このように一次大戦敗北後のドイツとソ連邦崩壊後のロシアというのはなかなかに状況が似ている。ドイツがベルサイユ条約の屈辱とユダヤ人排斥から戦争に至る過程と、ソ連崩壊後のロシアがペレストロイカの屈辱と新興財閥の排斥から戦争に至る過程は実に似ている。

 最後の目線は、日本目線である。
我が国は幕末に西洋列強の外国の圧力から開国させられ不平等条約を受け入れ西洋式の国家改造を明治の時期におこない、そしてそれは戦争に突入していたった時代でもあった。1867年の大政奉還以前は徳川250年の太平の世の中であったが、1867年より20年後には日清戦争が。その14年後には日露戦争が。その10年後には第一次世界大戦が。その20年後には日中戦争が。その5年後には太平洋戦争が起こった。西洋列強のスタンダードに参加することは、国際戦争のスタンダードに参加することと同義のように思えてくる。我が国は緩衝国である満洲国を作った。これは新日政権である。現在これは傀儡政権と言われているが、そういうのであれば、北朝鮮も韓国も北ベトナムも南ベトナムもさらにいえばウクライナも傀儡政権と言えなくはない。上で述べてきた誰の目線に立つかによって、傀儡とするのか親◯政権とするのかの違いが決まる。つまりは宗主国がまければ緩衝国は傀儡になり、宗主国がかてば親◯政権となる。キューバはアメリカにまければ傀儡国家とおそらくは言われただろう。南ベトナムはまぎれもなく傀儡である。ロシアがどんなに主張しようとも、ウクライナ戦争に負ければ、ウクライナはかつてはロシアの傀儡であった、というレッテルは貼られる。
  さて、1920年代以降には日米対立がやってくる。これは遅れてアジアの植民地戦争に参加してきた日米の摩擦が原因の一つであるが、最終的にはハルノートによって、満洲からは手を引けという最後通牒に従えずに日本は戦争に踏み切った。日本は世界を相手に戦うことになった。ここでいう世界とは誇張した表現であり、実態は米英仏ソ中である。禁輸政策が取られ戦争中は重い経済制裁が課せられた。中国大陸で国民党と戦っている時も、援蒋ルートで西側の援助によって国民党側は持ち堪えていた。まだ太平洋戦争が始まる前の日中戦争の南京陥落において、米英の記者が書いた南京本が今日では中立の立場による貴重な資料として使われている。そういえば現在のロシアも世界を相手に戦ってましたっけ。歴史的にはウクライナとロシアの二国間の戦争ということにされるかもしれないが、太平洋戦争以前の日中戦争のころの援蒋ルートのように、中立の第三者的国が援助しているのである。そして中立的な第三者的な国の記者は、それこと中立的にウクライナを擁護し、ロシアを非難するわけである。
それはまるで、キューバ危機において中立な社会主義国である中国の記者に、キューバ危機の是非について記事を書いてもらうというようなものだろう。つまり中立的な第三者国の、、、というのは噴飯物であるということだ。
   第二次世界大戦を経験した日本の視点からロシアを見た時、ロシアは加害国であり同時に被害国と見ることもできよう。世界を相手に戦っているロシアを見る時、私はどうしても日中戦争の最中の日本に見えてしまう。日本はその後ABCD包囲網を敷かれ、西洋列強に潰され、最後は核兵器によって降伏し、そして戦争裁判で裁かれるのである。
  我々が今日ニュースで見る報道は、いわば連合国側の報道である。ロシアでの報道はいわば大本営発表である。大本営発表だけが嘘で、連合国の報道が全て正しいとは決していえない。というよりイラク戦争や最近の戦争の報道を見るにつけ、戦勝国も同様に嘘の情報を拡散し、大本営発表と変わらない。かつての大本営発表においては日本は当事国だったので戦争の渦中にいた。渦中で聞く情報というのは空気が支配するので騙されやすい。それはウクライナ国内において発表される情報もウクライナ人にとっては渦中なので、同様に騙されやすいのだろう。
  しかし我々は今回に限ってはかなり傍観者的な位置である。すくなくとも援蒋ルートで武器をながしているような、今日の西ヨーロッパと米国などとは傍観度が高い。
つまり物事を一歩引いて冷静に見られる環境が、我が国では他の欧米国や当事国と違って整っているということだ。
   

 80年前の日本が経験したあの戦争とは、一体何だったのだろう?ということを、私は今回のウクライナ戦争をみて考えさせられた。
  そして同時に、なぜアメリカはキューバ危機で第三次世界大戦ギリギリまでの局面まで突っ走ったのか。なぜナチスドイツは戦争に至ったのかということの新しい仮説も私に思い付かせてくれた。これはウクライナ戦争直後には気づき得ないものである。皆焦り、混乱し、戦争情報を得るべくニュース番組を貪る方に漁るというような、まさに情報戦にのせられてしまう、まさに大本営発表にのせられてしまう展開なのだ。
そろそろ書いてもいい時期というのはそういう意味なのであった。