http://www.hinox.com/rental_goi.html
五井駅西口の立体駐車場1Fにレンタルヒノックスという自転車屋がある。電動アシスト自転車は一日400円なので乗ってみた。市原市は旧上総国の国府が存在した場所で、これで観光してみようというのが目的だ。
これが今回の自転車である。
手動の3段ギアはハンドルの右側についている。水玉模様のゴムのグリップを回すと1、2、3と切り替わる仕組みだ。
電動アシストもハンドルの左側についている。モードは「エコモード、スタンダードモード、パワーモード」の3つだ。私はエコモードとスタンダードモードを道にあわせて切り替えて使った。電池は1時間はもつ。
私が通った道は、地図に赤線の通り。地図上に数字が書いてある所が見どころだ。
1:蒸気機関車 2:菅原孝標女の像(更級日記の作者) 3:戸隠神社 4:神門5号墳(東日本最古の前方後円墳 3世紀) 5:上総国分寺跡 6:上総国分尼寺である。1~6までの総道のりは約6キロメートル。往復で12キロの行程だ。自転車で12キロ走るだけなら40分で走破できる。
1:小湊鉄道所有の蒸気機関車。1960年代初頭まで運行していたという。イギリス製とアメリカ製の2両が置かれている。
2:更級日記の著者、菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)の像である。菅原孝標は京都よりはるばる上総国に赴任し何年かのお勤めの後に京都に帰った。更級日記は上総国のお勤めが終わり、京都への帰り道の出来事を菅原孝標の娘が記した旅行記である。
3:この戸隠神社は、上総国の総社であったといわれている。天平12年(740年)に建てられたといわれている。
4:お墓の後ろにある小山が神門(こうど)5号墳である。東日本最古の前方後円墳といわれている。
5:上総国分寺跡。この写真だけ2008年の冬に撮影したもの。
6:国分尼寺。国分寺と国分尼寺は対で作られた。復元された回廊。

すっかりラーメンのブログと化している。今回はつけ麺である。冬のつけ麺はキツかった。やはり最後までつけ汁が暖かくないのである。
結論からいうと、この店のつけ麺はイマイチであった。やはり王道は油そば、ラーメンのいずれかである。
麺の温度が低いと、ラーメンの麺の食感はウドンと同じようになってしまう。極太麺の食べ方としては、やはりスープに沈めるラーメンか、あるいは野菜などでフタをされた油そばである。しかし油そばはよく最後あたりまで温度があったかいものだ。これは野菜、あるいは麺自体がフタとなり保温効果があるのだろう。
うまい


最近二郎系のラーメンを近所で発掘しています。どうも炭水化物と油のセットというのは、食べた後にやみつきになるようです。一枚目の写真は、麺の再現がかなり二郎です。ただスープは薄く、飲み干せるくらいのまろやかな油です。
一方下の写真は、麺の再現は二郎とは少し遠いけど、ニンニクの利かせかたとスープの濃厚さは、二郎とは若干路線は違うけれどもこれはこれでうまい!値段もこっちの方が安くてお買い得です。

http://www.47news.jp/CN/201211/CN2012111701001748.html
いやー、維新の会。酷いですね。何が酷いかって、まずあの野合。政策が真逆なたちあがれ日本の平沼との合流という政策なき集合というのが、そもそも政党としての体をなしていない。第三極になって何がしたいのか?
そもそも平沼には失望した。財政出動で政府支出を拡大し、消費増税には反対し、TPPには大反対し、大きな政府でデフレに対抗するといったリフレーション政策の方向性でケインズ政策の方向だった正しい路線が、全く逆の新自由主義路線になってしまった。
消費税は11%で、中央集権打破、TPPは賛成とくれば、これはもうデフレ促進三拍子というもので、ハイパーデフレーションに突入します。経済政策としては落第点であり、この橋下という人は、国家経済というものをわかっておりません。
それを推す石原も同様にわかっていません。もうね、頭悪いんじゃないか。増税を主張するのは民主と維新。みんなの党。反対なのは自民。
中央集権でなくて、どうやって福祉とか社会保障とか復興支援とかできるの?地方分権なんて、自己責任体制ですよ。自己責任体制ってのは、新自由主義、小さな政府、リバタリアンの主張と同じで格差社会を拡大し、外国資本に雇用を奪われるグローバリゼーションの体制なのに、そんな政党を勢いがあるといって、選ぶ人達っていったい……。
もはや経済政策で正しい政策を打ち出している政党は自民だけになってしまった。この後の自民に対するネガティブキャンペーンは想像を絶する規模のものになろう。マスコミ、官民一体のバッシングにさらされることになる。それを鵜呑みにして、維新に投票などしたら、日本は本当に経済的に立ち直れなくなります。いい加減、民主という例で学んで欲しい。素人に政治を任せるとどうなるのかということを。
写真は倉敷です。
一眼レフを持って出かける余裕がないので、最近はもっぱら携帯からの写真である。くそー、夏の空はPLフィルターをかけたらかなり綺麗に入道雲が撮れるのに.....
ロンドンオリンピックにおいて、英国人は韓国に対する評価がすこぶる悪くなった。いわゆるスポーツマンシップが問われた。この傾向は日韓共催のワールドカップにおいても顕著であった。勝つためには何でもしていいのか?勝ったら何をやってもいいのか?スポーツマンシップとは何か?というものが非常に問われた祭典であった。一方経済においても、韓国は失業率の定義をあり得ないものにして、失業率3%を堅持しているというが、この国はスタグフレーションで苦しんでいるさなかである。日本と通貨スワップ協定を拡大しなければならないほど自国の通貨の信任はないし、景気は最悪なのに常識的に考えて3%はあり得ない。嘘なのである。嘘をつく理由は、自らの失政を隠したいという為政者の狙いもあるだろうが、他にもあるだろう。やはりコンプレックスと夜郎自大の気質が抜けないのである。そしてその気質を貫いているうちに、いつしか自分は本当に自大的な言葉と同じ実力を有していると思い込んでしまったのだろう。アメリカは軍事的な実力を実際もっていたし(それ以外の実力はないけど)、ソ連も同様だったので自大とはいささか無縁でいられたが、韓国は違った。
これは、おそらくはコンプレックスが深く関わっている日がいない。中国が未だに自大気質が抜けないのも、結局は歴史を紐解けば、清の時代に眠れる獅子と恐れられながら、結局は最後まで寝ていた獅子ならぬ猫だったわけで、西洋列強に対抗できなかったコンプレックスが、歪んだ形で夜郎自大として表れ、魯迅の阿Q正伝につながったのだろう。ロシアもそうだ。アレクサンドル・ネフスキーが過大評価されているのも、モンゴルに対するコンプレックスの強い表れだ。日本の卑弥呼の時代から律令時代にかけても、大陸の魏や隋唐へのコンプレックスがあったに違いない。ヨーロッパでもルネサンス手前まで、そしてルネサンスに入っても、モンゴルや中東コンプレックスがあり、自大気質があった。しかしながらこの自大気質というのは、時代が経つに従ってだんだん解消されていくものだが、解消されずにくすぶり続けている、もしくは強化されている国がある。これは紛れもなく教育の賜物、文化の賜物と言わざるを得ない。社会、習俗、慣習の中で血肉化してしまっているので、いまさらドラスティックに解消することは難しいであろう。
血肉化してしまっている相手に、相手が大人の対応をつらぬいても糠に釘であろう。政治というのは商売とも同じで、国益を追求するものである。対韓国輸出の対GDP比は1.12%、輸入が0.68%、貿易黒字が0.45%。そろそろ国益というものを考えて、メリットとデメリットを換算し、駆け引きを繰り出しても良いのではないか?少なくとも世界は、そういう駆け引きを普通に行っている。パワーポリティックスとは嫌な言葉だが、これを背景にしない外交などは現在の情勢の中ではあり得ない。過去にもあり得なかった。多分未来においても嫌なことだがあり得ないのであろう。
アカデミックに説明しても自大気質が血肉化してしまった対象に行っても無意味である。治るまでの時間を無為に待っていられるほど、経済は甘くはない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012081502000106.html
鵜原の海
GWの終わりに鵜原理想郷と海中公園に行く。強風で波がすごいことになってました。
最近iphoneでしか撮影していないな。
レインボーブリッジ
2230万画素 6枚/秒 高感度は常用で25600 拡張で102400らしい。ファインダー視野率は100%。その他61点AFや多重露光機能があったりと、盛りだくさんである。これだけついて、32万円!
いやー素晴らしいが高い。初代EOS5Dしか持っていない私としては、垂涎の的ではある。2008年6月に購入してからだから、もうすぐまる4年経つ計算になる。悪魔の囁きか、はたまた物欲の内なる声なのか分からないが、とっても欲しくなるじゃないか。だがまて、よくよく待つのだ。お前ははたしてその新しいカメラを買って、年間何枚の写真を撮るつもりだ?
そうなのだ。もっともな質問なのだ。子供が生まれて以来、旅行記は現在のところお預けとなっている。それに5Dに不満があるのかといえば、そういうことでもない。単に新製品っていいなぁ・・・という気持ちがおそらく8割方であろう。そりゃスペックは素晴らしい。全ての面において5Dを凌駕している。動画機能や多重露光なんかはそもそもないし、61点AFなんて羨ましい。だがそれでも撮影する枚数と値段が折り合わないじゃないか。ちょっと計算してみよう。eos5Dはこれまで4年使ってきたが、撮影総枚数は1万1千枚程度である。このカメラを私は18万円で購入したので、一枚あたりの単価は16.36円。実際に印刷した枚数となると10枚に満たない。印刷した写真で換算すると単価は1万八千円ということになる。ブログに載せた枚数でいうなら291枚。単価618円。
とはいえ、マスターカードのCMではないが、eos5Dと過ごした時間=プライスレス、ということでお金で買えないものもあった。実はスペックや新製品よりも重要なのはこの点で、新製品を購入しようというのは、結局それによってお金で買えないものを得るためのキカッケ作りをしているに過ぎないのだ。ならば新製品を購入しないで、それで(つまり5Dのままで)お金で買えないものを得るキッカケを今よりも促進させられないものか?と考えるほうが精神的に経済的にも健全であるというものだ。つまり上記した一枚毎の単価が618円とか何かという話は、そもそも本質的にはズレた話であって、本来は数値的には「積算できない」類のものである。積算するには、自分の欲求・テンションの高まり、なにか突き動かしてくれる衝動、この要因を加味しないことにはできないのだが、そんなことは本質的には誰も出来ない。
ちょっと、その難しいことに挑戦してみるとしよう。まだ具体的な明確な答えは出ていない。