炎と水の物語 2013 Apprehensio ad Ignis et Aquarius.

広大な宇宙を旅する地球。私たちは今、どの辺にいるのでしょう. 

・「 仙台 吊り天井 」の裏側に・・・  想定を超えていた!地震加速度

2005-11-24 | 日本列島の災害

スリーマイル島.
Gimp Savvy.Photo: Courtesy of The US National Oceanic and Atmospheric Administration.


 宮城県沖地震で、だだ一つだけ天井の崩壊した屋内プールの施工、管理に批判が集中されるなか、運転を停止したままの女川原子力発電所のニュースが18日以降、皆無の状態です。その背景を考えてみたい。

 新聞の見出しを見ると、「 女川原発は設計時の想定を超える衝撃 」を受けた事を報じています。
・読売新聞: 『 地震で停止の女川原発、設計の想定超える揺れ 』
・朝日新聞: 『 女川原発、運転再開のめど立たず 宮城地震 』

 女川原発に関する最新の報道は,TBSインターネット版の19日のものですが、どうした訳か削除され、その後の新しい報道は見当たりません。

 これまでの新聞報道によると、女川の標高15メートルにある原子炉格納容器は、375ガルまで堪えられ、他の部分は、250ガルまでであるといいます。
今回の地震では、東北電力の発表では、女川原子力発電所が受けた衝撃は、251ガル。さて、例の『 仙台 吊り天井事件 』を考えるに、はたして信用に足る数字でしょうか。

 そこで、国立 防災科学研究所のデータを確認して見ましょう。
2005年8月16日 宮城県沖の地震による強震動について
このページ最初の「 MAX.ACC (Ground) 」とある図が、今回の地震の最大加速度を示しています。

 なんと、この図で見る限り、原子力発電所のある付近は、375ガルを超えた 赤い色に 塗られています。女川町の北隣りの河北町では、462.1ガル、南隣りの牡鹿町で、499.5 ガル。歌津町では、501.3ガル
仙台市の観測点でさえ261.7 ガル、塩釜で292.1 ガル、石巻で、259.2 ガルです。( 参照 :観測点の位置 ・ 250ガル以上では原子炉周辺設備の限界を超える) かようなカラクリが秘んでいました。

 日本の他の原子力発電所の耐衝撃強度は、東海沖地震に備える静岡県の浜岡原子力発電所が、600 ガルまで、新潟県柏崎原子力発電所でも、450ガルでと、女川原発の375 ガルよりも、丈夫に創られています。

 私は、別に原発反対論者ではありませんが、この程度の地震で運転出来なくなるようでは、仙台名物の牡蠣や、笹かまぼこ、それに銘菓「 萩の月 」も安心して食べる訳にはいかなります。

 尚、直下型の阪神淡路大震災では、600~800 ガルが観測され、中越地震では846 ガルが観測されています。もし女川が、直下型地震に見舞われたら・・・
さらに、スマトラ沖のような大規模な津波に襲われたら、いったいどうなるのでしょう。( 原発の標高は、15mもありますが・・;)私たちは、自然史上では、スマトラ沖 M9の地震などよりも,はるかに大きな地震や津波が有った事を忘れてはなりません。

唯一崩壊した『 仙台 吊り天井 』事件に戻る.

☆ 関連記事  ・「防災の日に思う」「 イギリス湖水地方の核汚染 」


-参考-

『 強振動の基礎 』 ウエッブテキスト版
木下繁夫(防災科学技術研究所)・大竹政和(東北大学教授) 監修

・社)日本建築構造技術者協会. 地震の大きさ

・日経新聞 今日の株価: 9506番. 『 東北電力 』

・日本の原子力発電所の耐震性については、朝日新聞の9月28日朝刊に、記事が載っています。



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
大津波と大噴火ですか (田中)
2005-11-25 23:42:18
今晩は。そんな大災害があったんですね。

当時の政治状況ってどんなんだったかなー。中央と対立してたのかな?政治の乱れ(人心の乱れ)と自然災害ってシンクロしますよね。

当時の人はあまり長生きではなかったと思いますがこの津波と噴火の両方に遭遇した人がいたのかな。幼い時分と晩年に。

ところでサハリン、大陸との地続き(船による交流でもいいか)である本のことを思い出しました。ご存知と思いますが「一万年の旅路」by ポーラ アンダーウッドです。これもあるカタストロフィーをきっかけに移住が始まったという話です。
返信する
URLお願いします。 (U-2)
2005-11-26 09:25:53
田中さん、おはようございます。まだ編集中のところを見られてしまいました(^^ゞ。



東北地方南部には、「大同年間の大異変」(九世紀はじめ)の大災害伝説があります。政府が掌握していない地域に、何か異変があった模様です。これをかわきりに、807年頃の鳥海山の噴火、830年の出羽の地震、850年の出羽南部の地震、863年の越後の地震、そしてこの陸奥国、貞観11年の巨大地震と、災害打ち続きます。



878年には、出羽北部に、蝦夷の反乱が起き、政府軍を圧倒、秋田城を焼き落とします。で、東北地方の地震情報は、この後、江戸時代頃まで、「正史」から消えます。



>中央と対立してたのかな?政治の乱れ(人心の乱れ)と自然災害ってシンクロしますよね。

その辺は次回のお楽しみに。十和田の噴火は仙台方面では、たいした事なかったと思います。火山灰の堆積が数センチメートルですから。旧石器時代の数メートルの火山灰の堆積と言うのは、物凄い爆発に連日さらされていた事と思います。



アンダーウッド面白そうですね。図書館で手に取った事はあります。アメリカにはさまざまな、時代、やってきた人々がいた事と思います。向こうの博物館では、各時代の『移民」に焦点を当てた展示が行われます。最後は、元の時代、中央アジアからの移民だったそうです。



返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。