宮城県気仙沼の牡蠣養殖をされている漁民たちに「森は海の恋人」という言葉があります。それは山村に住む歌人熊谷龍子さんの「森は海を、海は森を恋ながら、悠久よりの愛を紡ぎゆく」という一首から生まれた言葉です。海中生物の減少に気がついた漁民が、その原因が荒れた山にあることを知りました。
そして海を守るために、山に漁民自ら植林を始めるという活動が生まれました。
海と山を結ぶ一本の川、それは命の源であり、生命を育む広葉樹などの腐葉土層を通ってきた水は食物連鎖の底辺を支える食物プランクトンを大量に育ててくれます。その水が水田に注がれ稲穂を育て、また海に流れつき多くの生物の栄養素になります。
かつては生野銀山で栄えた兵庫県朝来市生野町は、瀬戸内海に流れる市川、日本海に流れる円山川の分水嶺です。生野の土地に蓄えられた水が、海に至るまでの数々の町に住む人々の生活を支え、そして海を生かしていることを思う時、「生野は海の恋人」になります。また瀬戸内海と日本海の豊富な海の幸は、生野の森が補完しているという自然の摂理から多くのことを学ぶことができます。
私は高齢者福祉の担い手として、豊かな自然の恵みの中で、生活文化を営んできた人たちの歴史を継承していきたいと願っています。それが地域福祉の原点であり、地域の活性化に対する私の役割だと思います。
アクセス数を上げるために当コミュニティサイトに登録しませんか?
http://profile.zmapple.com/cgi-bin/profile.cgi
より多くのひとに貴方のブログを見てもらえます。
参加するにはこちらからが便利です
http://profile.zmapple.com/cgi-bin/profile.cgi?mode=edit&title=%97%98%8Bx%82%CC%92%83%8E%BA%93%FA%8BL&address=http%3A%2F%2Fblog%2Egoo%2Ene%2Ejp%2Frequeriver%2F
お問い合わせはコチラから
http://profile.zmapple.com/cgi-bin/fmail/cmfmail.cgi
ブログ開設おめでとうございます!
先日、三重県久居市の高原に風力発電所を見に行ってきました。久しぶりの休暇でした。
久居市の高原に20機の風力発電が立ち並ぶさまは、日本の風景とは思えないものでした。オランダの風車(今は倒産)で、デンマークおばさんとしては残念なことなのでしたが、紀伊半島は風の通り道としても有名なところだそうです。ちなみに、オランダの風力発電機は静音設計においてすぐれているらしいです。と、一緒に行った風車おじさんが言っていました。
そこで見かけたのは「森は海の恋人」のフレーズ。この森が海へとつながっていることを、山の頂上からやさしいメッセージとして投げかけていました。自然はつながっているんですね。紀伊半島の風にのってそのメッセージは海へと、そして電力の形となって各家庭に届けられているのでしょう。
てなことを、ふと思い出しました。
写真きれいですね。
デンマークおばさんのデンマークの話を寄せてくださいね。
この地は、父の誕生の地なんです。
父はよく姉を連れて行き来していました。
しかし、私が訪れたのは、昭和46年に、弟と甥・姪を車に乗せて、一度だけ訪問したことがあります。
私の郷里は、京都府北部に位置します、大江町です。
途中から、林道をくねくね曲がり、時には清流の音を聞きながら走った想い出があります。
到着しますと、それはお寺さんの近くで、従兄弟は、そこの檀家総代をしているとのことで、いろんなお話しを聞くことが出来ました。
山あいの田園風景を、今も思い出しています。
そこで、滞在したのは3時間くらいで、暗い夜の林道をゆっくりゆっくり戻って行ったのを覚えています。
その後、再び当地を訪れる機会には恵まれませんでしたが、当時お世話になった従兄弟のお子さんは、私が都内に住んでいた頃、大学受験の為に、役一ヶ月同居したことがございます。
利休さまのおいでの頃はどんな想い出をお持ちでしょうか。懐かしく思い投稿致しました。
さくらさんが聞いた清流の音は市川、瀬戸内海に流れています。
生野の歴史そのものが、誇りの町です。
今年も2度、黒川の奥の「やまびこ山荘」に宿泊しました。宿の奥さん、ご主人、あまご料理、そして漆黒の暗闇、久しぶりに訪れてみてはいかがでしょうか。
今は町村合併して、朝来市生野町黒川となっていると思います。