「光あるうちに」道ありき第三部信仰入門編 (三浦綾子著)から
(以下、抜粋)
仕事という字を見てみよう。
仕(つか)える事(つか)えると、二字とも、まさしくつかえるとと読む。
仕事とはつまり仕えることなのだ。働くという本来の字も見てみよう。にんべんに動くと書く。人のために動くこと、それが働くことなのだ。
私たちに、もし生きる意欲がなくなっているとすれば、それは適当な仕事がないからではなく、人につかえる、人のために動く気持ちが失われているからではないのだろうか。生きているということは動いているということだ。心臓がかすかにでも動いているうちは生きている。死ぬとは、全く動かないことだ。死ねば呼吸も止まり、心臓も全く停止する。だが生きていて死んでいる状態の人間がいる。それは、人のために決して動かない人間だと思う。
(以上、抜粋)
人間が生きる上で、「仕事」のなす役割は大きいと思います。
自分自身と他人の関係の中で、自分のミッションとポジションを知ることは、人間尊厳のこころを育ててくれます。
高齢者福祉に身を置く時、この重要性をいかに伝え、実践していくことができるか。またひとつの課題を見出しました。
アンディもブログを書いてるのご存知ですか?URL貼っておきます。
http://blogs.n1nj4.de/roller/page/andoree/
三浦綾子さんの言葉はすっと心に入る気がします。
働くという言葉、これを漢字の部首から”人のために仕える”ということを引き出す三浦綾子の観点に感嘆しました。確かに、人のために動く、それは心臓などの自律的に私たちのために動いているものもありますが、「仕事」の完成形は相手のために動くという精神性を超えた、”無の境地”で動けることなのかもしれませんね…。私たち教師という「仕事」も利休さんの課題意識に通ずる職業です。改めて自分を振り返ることができましたし、いい話、ありがとうございました。