2月から、アフラックの保険契約代理店に登録し、
今月でちょうど半年代理店の仕事をしてきたことになります。
正直言うと、保険の仕事は自分の中ではあまりしたくない職種ではありました。
かれこれ15年前にも、国内生保のセールスレディーの仕事を
無理矢理紹介されましたが、研修2日目でギブアップ。
それ以来保険会社で自分が仕事をすることはないだろうと、確信していました。
それから15年、まさか自分がアフラックの代理店になろうとは。
そんな私が代理店となった話は長くなりますので、省きますが、
仕事を始めてみて、たくさんの事を学び、感じ、保険に携われた事を
心から喜んでいます。
保険の大切さ、お金の大事さは勿論ですが、
何より、命、健康、医療の大切さを痛感しました。
とくにガンと闘う方々のお話を聞き、本を読み、実際自分の周りで
ガンを罹った人たちの気持ちを思うと、
保険の仕事というよりは、ガン啓発、ガンの怖さと、そして逆に
医学の進歩によって今や治る病気と進化している事、
そして命の大切さなどを、多くの方々へ伝えていく、
それが本来の仕事ではないかと考えるようになりました。
実は私は父を21年前胃がんで亡くしています。
そういう意味でも、がん保険のパイオニア的アフラックに所属しているのは
何か縁があるものではないかと思います。
あの当時は、まだ患者本人への告知はタブーとされていた時で
父は自分が「がん」とは知らずに入院し、治療を受け、そして他界しました。
さらに、3人きょうだいの末っ子の大学生だった私も、
父が「がん」であると知らせされていませんでした。
他界する1週間前に、姉は話してくれたのですが、
唯一同居している母からは何も話がなかったので、すぐには信じませんでした。
父が「がん」なのだと初めて認識したのは、危篤の知らせを病院から受け、
初めて父の入院する病院へ足を運び、意識は朦朧とし、
ただ苦しんでもがいている、ガリガリに痩せた父を見た時です。
あまりにも変わり果てた父の姿を目の前にし、いきなり大粒の涙が流れ出し、
ただ、ただ「お父さん」と何度も何度も、呼ぶことしかできませんでした。
そばで叫ぶ私の顔を見た父は、もう話す事もできず、私だとわかっているのか
どうかも定かではありません。
でも、ずっとこちらを見て、口を動かし、そして苦しみに耐えていました。
その3分後、医師が打った1本の注射で、
もがいていた父はおとなしくなって行き、そして・・・・
全く動かなくなり、息をひきとりました。
後から考えると、父は何も知らないで、約1年近くがんと闘っていたのです。
闘病中、身体がつらいにも関わらず、車を運転して私を大学まで送ってくれた
事もありました。
3度目の入院で病院へ出かけて行く際、いつも無口な父が私に言った言葉は
「ちょっと行って来るよ」
でした。
それが父から私への最後のことばでした。
「ちょっと行って来るよ」 父の最初で最後の私への嘘でした。
ちょっと行ってくるどころか、だいぶ遠くへ行ってしまったようですが、
この経験から、私は患者さんの身内の方にはいつも
「後悔しないように、自分がしたいと思う精一杯の看病をしてみたら」
とお話するようになりました。
今朝はがんを克服し、春に退院した友人から
「落ち着いたので、遊びに来てね」というメールをもらった事もあり、
このブログをアップしました。
最近は告知をして、がんと向き合い、闘病生活を送る方が増えていると
思います。本人そして家族の方々の気持ちは様々です。
そんな方々のメッセージを聞くと、私などは父を思い出し涙が出てきて
しまうのですが、
みなさんもメッセージに耳を傾けてみませんか?
「生きる.com」
http://www.aflac-ikiru.com/?waad=21rfo7M1&banner_id=af2009203
今月でちょうど半年代理店の仕事をしてきたことになります。
正直言うと、保険の仕事は自分の中ではあまりしたくない職種ではありました。
かれこれ15年前にも、国内生保のセールスレディーの仕事を
無理矢理紹介されましたが、研修2日目でギブアップ。
それ以来保険会社で自分が仕事をすることはないだろうと、確信していました。
それから15年、まさか自分がアフラックの代理店になろうとは。
そんな私が代理店となった話は長くなりますので、省きますが、
仕事を始めてみて、たくさんの事を学び、感じ、保険に携われた事を
心から喜んでいます。
保険の大切さ、お金の大事さは勿論ですが、
何より、命、健康、医療の大切さを痛感しました。
とくにガンと闘う方々のお話を聞き、本を読み、実際自分の周りで
ガンを罹った人たちの気持ちを思うと、
保険の仕事というよりは、ガン啓発、ガンの怖さと、そして逆に
医学の進歩によって今や治る病気と進化している事、
そして命の大切さなどを、多くの方々へ伝えていく、
それが本来の仕事ではないかと考えるようになりました。
実は私は父を21年前胃がんで亡くしています。
そういう意味でも、がん保険のパイオニア的アフラックに所属しているのは
何か縁があるものではないかと思います。
あの当時は、まだ患者本人への告知はタブーとされていた時で
父は自分が「がん」とは知らずに入院し、治療を受け、そして他界しました。
さらに、3人きょうだいの末っ子の大学生だった私も、
父が「がん」であると知らせされていませんでした。
他界する1週間前に、姉は話してくれたのですが、
唯一同居している母からは何も話がなかったので、すぐには信じませんでした。
父が「がん」なのだと初めて認識したのは、危篤の知らせを病院から受け、
初めて父の入院する病院へ足を運び、意識は朦朧とし、
ただ苦しんでもがいている、ガリガリに痩せた父を見た時です。
あまりにも変わり果てた父の姿を目の前にし、いきなり大粒の涙が流れ出し、
ただ、ただ「お父さん」と何度も何度も、呼ぶことしかできませんでした。
そばで叫ぶ私の顔を見た父は、もう話す事もできず、私だとわかっているのか
どうかも定かではありません。
でも、ずっとこちらを見て、口を動かし、そして苦しみに耐えていました。
その3分後、医師が打った1本の注射で、
もがいていた父はおとなしくなって行き、そして・・・・
全く動かなくなり、息をひきとりました。
後から考えると、父は何も知らないで、約1年近くがんと闘っていたのです。
闘病中、身体がつらいにも関わらず、車を運転して私を大学まで送ってくれた
事もありました。
3度目の入院で病院へ出かけて行く際、いつも無口な父が私に言った言葉は
「ちょっと行って来るよ」
でした。
それが父から私への最後のことばでした。
「ちょっと行って来るよ」 父の最初で最後の私への嘘でした。
ちょっと行ってくるどころか、だいぶ遠くへ行ってしまったようですが、
この経験から、私は患者さんの身内の方にはいつも
「後悔しないように、自分がしたいと思う精一杯の看病をしてみたら」
とお話するようになりました。
今朝はがんを克服し、春に退院した友人から
「落ち着いたので、遊びに来てね」というメールをもらった事もあり、
このブログをアップしました。
最近は告知をして、がんと向き合い、闘病生活を送る方が増えていると
思います。本人そして家族の方々の気持ちは様々です。
そんな方々のメッセージを聞くと、私などは父を思い出し涙が出てきて
しまうのですが、
みなさんもメッセージに耳を傾けてみませんか?
「生きる.com」
http://www.aflac-ikiru.com/?waad=21rfo7M1&banner_id=af2009203