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秘密結社イルミナティと啓蒙思想、そしてフリーメーソン

2023-09-29 16:31:43 | 秘密結社 フリーメーソン、イルミナティ、秘密結社など、

 

 

            イルミナティの創始者 
     アダム・ヴァイスハウスト(1748-1830?)



 

啓蒙思想

啓蒙思想(けいもうしそう、英: Enlightenment、仏: Lumières、独: Aufklärung)とは、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想。その主義性を強調して啓蒙主義(けいもうしゅぎ)ともいう[1]。

ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光」あるいは「光で照らすこと」である[2]。自然の光(ラテン語: lumen naturale)としての理性を自ら用いて超自然的な偏見を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味である。

時代的に先行するルネサンスを引き継ぐ側面もあり、科学革命や近代哲学の勃興とも連動し、一部重複もするが、一般的には専ら(経験論的)認識論、政治思想・社会思想や道徳哲学(倫理学)、文芸活動などを指すことが多い。

17世紀後半にグレートブリテン王国で興り、18世紀のヨーロッパにおいて主流となった。フランス王国で最も大きな政治的影響力を持ち、フランス革命に影響を与えたとされる。ヨーロッパで啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけての時代のことを啓蒙時代という。 出所wiki



フリーメーソン

 啓蒙思想の落とし子である近代フリーメーソンの歴史は、1717年に始まります。 この頃のフリーメーソンのロッジのほとんどが居酒屋置かれていたことは、フリーメーソンがクラブとして発足したことを物語ってます。

クラブは、共通の趣味・関心を持つ男女が社交・娯楽・飲食を目的として集まる団体を意味しており、ほとんどのクラブは居酒屋で集会を開いていました。

グランド・ロッジ結成のための集会も、小規模で宴会を開くよりも大勢の方が賑やかでよろしいといった発想によるものであり、最初からフリーメーソン運動の組織化という構想はありませんでした。
 
1717年6月4日(聖ヨハネの日)に、ロンドンにあった4つのロッジが居酒屋「グース・アンド・グリドアイアン」に集まり、グランド・ロッジお結成しました。 近代フリーメーソンは、この時をもって発足しました。
 
「グランド・ロッジ」というのは、ロッジを統括するロッジという意味で、新しいロッジの創設を承認する権限が与えられました。

参加したロッジは、「アップル・トウリー」「クラウン」「ラマー・アンド・グレイプス」「グース・アンド・グリドアイアン」であり、すべて実在した居酒屋の名前をそのままとってます。 初代グランドマスターに選ばれたのは、アンソニーセイヤーでした。
 
マスターというのは、ロッジ運営の中心となる役職であり、グランド・マスターはグランド・ロッジのマスターという意味です。この段階では、フリーメーソンもロンドンに数あるクラブの一つであって、それほど大きな影響力をもっていたわけではありません。

会員数もスコットランドとイングランドを合わせても、せいぜい700人ほどであったと推定されています。しかし、グランド・ロッジが結成されると当時者も驚くほと大きな波紋を巻き起こします。 新しい加入者の中には、宴会だけを目的とする他に、思想的な面での整備を求める者も出てきました。

グランド・ロッジは、はやくも1721年にフリーメーソンの歴史・規約・目的に関する憲章作成の仕事に着手します。 グランド・ロッジは、長老派協会の牧師ジェイムズ・アンダーソンにその仕事を依頼し、アンダーソンは『ゴシック憲章』といわれる古いフリーメーソンの規約をもとに手際よく仕事を進めました。

作成された草稿は若干の修正を加えた以外はそのまま承認され、1723年に『フリーメーソン憲章』として出版されました。「歴史」「債務」「通則」からなるこの憲章は、思想的にはそれほど優れた内容ではありませんでしたが、その後のフリーメーソン運動の展開に於いて、極めて重要な役割を果たしました。
 


王室を巻き込んだフリーメーソンの発展
 
初期のイギリスのフリーメーソン運動に於いて、最も大きな影響力をもっていたのは、「近代フリーメーソンの父」と呼ばれるジャン・デザギュリエです。 彼は1717年のグランド・ロッジの結成から1723年までのフリーメーソン草創期に於いて指導的な役割を果たし,『フリーメーソン憲章』の「通則」作成にさいしてもアンダーソンに貴重な助言を与えています。

フランスのロシェルでプロテスタントの牧師の子として生まれたデザギュリエは、ナントの勅令の廃止とともにイギリスへ亡命。 オックスフォード大学のクライスト・チャーチ・カレッジに進み、「自然科学」に特に関心を寄せ、やがてアイザック・ニュートンの友人となり、ロイヤル・ソサイエティ(王立協会)の会員となります。

その聖職者・自然科学者としての経歴は、フリーメーソンの性格を考える上で重要な意味をもつことになります。彼は1719年に、ジョージ・ペインの後継として第三代グランド・マスターとなります。 彼のロッジ運営の手腕は高く評価され、疎遠になっていこうとした会員を呼び戻したり、貴族をかにゅさせたりし、発足して間もないフリーメーソン組織を軌道に乗せることに成功したのは、デザギュリエの力によるところが大きかったのです。

デザギュリエに『フリーメーソン憲章』を献じられたモンタギュ公爵が1721年にグランド・マスターとなり、それ以後は貴族がその要職を占めるようになります。その次のグランド・マスターとなるウォートン公爵フィリップは1698年に典型的なイギリスの貴族の家に生まれました。
 
1722年にウォートン公爵フィリップがグランド・マスターとなり、1730年代には待望の王族がフリーメーソンに加入してきます。1737年3月5日、ジョージ2世の長男長男であり皇太子であったフレデリック・ルーウィスが、ロンドンの宮殿で開かれた「臨時ロッジ」でフリーメーソンとなります。 主催者は座ギュリエ。
 
1738年には、『フリーメーソン憲章』の改訂版がでますが、アンダーソンはそれをフレデリックに献上しています。 しかし、フレデリックは王位に就くことなしに若死にしたため、彼の長男がジョージ3世として即位することになり、これ以後イギリスの王族は、フリーメーソンとの関係を持ち続けました。
 
 
 
ヨーロッパ大陸に進出するフリーメーソン
 
18世紀の初頭にイギリスで誕生した近代フリーメーソンは、瞬く間にヨーロッパに浸透していきました。 その背景として、当時のイギリスが政治的・経済的・文化的にヨーロッパ諸国の中で最も先進国であったからです。
 
政治的には名誉各目を経て一早く近代的な議会制度を確立し、経済的にはオランダとフランスとの植民地戦争に勝利をおさめ、オランダに代わって世界貿易の主導権を握り、17世紀後半から18世紀前半のギリスは栄光の頂点言いました。
 
文化的にはアイザック・ニュートンとジョン・ロックの登場でイギリスはヨーロッパの知的世界の中心的位置を占めていました。ただ、私が知らないだけかと思いますが、クラシック音楽・オペラ・絵画などの芸術面では?です。研究してみます。
 
フリーメーソンは、このイギリスの海外進出にともなって、世界に拡がっていきました。中世ではフランスの方がイギリスより何かと上でしたが、イギリス崇拝(アングロマニア)が最も高まっていたフランスに、フリーメーソンは入っていきます。
 
1725年にパリで最初のロッジが設立されます。1730年には、場所はロンドンですが『法の精神』で有名なモンテスキューがフリーメーソンに加入しています。 1736年には、パリにあった6つのロッジが合同して、ダーウェント。ウォーター卿をグランドマスターに選出しています。

グランドマスターの職務はやがてフランス人に受け継がれ、1738年にダンタン公爵、1743年にド・クレルモン伯爵が選出されます。 1740年代には、ロッジの数も22に増えています。 18世紀前半のフランスのフリーメーソン史は。アンドルー・マイケル・ラムゼイという特異な人物を生んでいます。
 
ラムゼイは、1686年頃にスコットランドのエアで生まれ、エジンバラ大学に進んだ後、オランダに行きます。 そこで神秘主義への関心を深め、1710年には神秘主義でカトリック神父であったフェヌロンの指導を受けるためにフランスのカンブレに行き、結局カトリックに入信します。
 
その後、ジェイムズ3世の子供たちの家庭教師としてローマに滞在したり、1728年にはギリスを訪れてオックスフォード大学から法学博士号を受けています。ラムゼイがグリーメーソンに加入したのは、1730年ロンドンの「ホーン・ロッジ」においてです。
 
彼は、フリーメーソンが中世の身分の低い石工職人の組合を起源に持つという見方を否定して,その起源が十字軍として遠征した王や騎士たちの結社『聖堂騎士団』にあると主張しました。 1737年にパリのグランド・ロッジでの有名な講演で提出されたこのラムゼイの見解は、歴史的な意味を持つものではありませんでしたが、

それまでの啓蒙主義・理神論・科学主義的なフリーメーソンに神秘的な要素を加えるものとして、広く受け入れられました。
 
 
 
 
グラントリアン(大東社)の創設
 
 
1756年には、ド・クレルモン伯爵をグランド・マスターとして、グランド・ロッジ(グラン・ロージェ・インタ-ナションル)が創設されます。 1771年、ド・クレルモン伯爵が亡くなり、ド・シャルトル
公爵(後の、ド・オルレアン公爵、平等主義者フィリップと呼ばれる)がグランド・マスターになると、フランスのフリーメーソンの改革・再編を目指す運動が起き、パリで新憲章を作成するための集会が開かれます。
 
さらに1773年には、グランド・ロッジの廃止とグラントリアンの創設が決定されます。グラントリアンの創設は、フランスのフリーメーソンのイギリスからの独立を意味するものでありました。イギリスのグランド・ロッジが神の存在と魂の不滅性を大前提としていたのに対して、グラントリアンはその前提を否定し、さらに急進的な無神論的な結社になっていきます。
 
オリアン(東)は、太陽が昇る方角として「光」を意味します。 フランスを導く「偉大な光」という期待がこの名称には込められています。 ド・シャルトル公爵は、ただちに居酒屋でロッジを開催することを禁じたり、入会に一定の基準を定めたり、意欲的に改革を進めました。
 
その結果・、多くの貴族・政治家・富裕商人・知識人がロッジに集まるようになりました。 当時は帝国主義の時代で、軍事行動、ビジネスに 王族・貴軍隊・大商人・金貸し・知識識人がかかわっていない筈がありません。そして植民地の現地人をどうやってコントロールするか? これが、フリーメーソンやユダヤ陰謀論につながっていると思われます。
 
ド・シャルトル公爵がグランド・マスターになったとき、104のロッジが登録されていました。その内訳は、パリに23、地方に71、軍事ロッジが10です。 1789年になるとパリに65,地方に442、植民地に39と合わせて600に膨れ上がります。
 
フランス革命の始まる時点で、ロッジ数600、会員数2万から3万の勢力を誇り、議会・軍隊・教会・宮廷から小さな町までいたるところにフリーメーソンがいました。

フリーメーソンがいかに政治活動とかかわりのない結社であると主張しても、これほどの組織と会員数を持っているだけでも政治結社ではないかという疑惑を持たれるのは十分です。
 
フランス革命の指導的原理であった「自由」「平等」「博愛」問標語もフリーメーソンに由来しています。実際革命後に、フランス議会にグラントリアンのメンバーが呼ばれた時、フランス革命は俺たちがやったと証言しています。登園フリーメーソンだけがやったというわけではありませんが関与はしていたという事です。
一方、王族であるがゆえに、ド・シャルル侯爵をはじめに王族・貴族のフリーメーソンも断頭台の露と消えています。
 
 
 
      フランス人権宣言           パリの自由の女神像
    「自由」「平等」「博愛」      (ローマ神話の自由の女神リベルタスをかたどった立像)
 
 
 
    ニューヨークの自由の女神像
 
アメリカ合衆国の独立100周年を記念して、フランスのフリーメーソンからアメリカ系フリーメーソンへの贈り物であったと wikiにも紹介されています。 右手には純金張りで象られた炎を擁するたいまつを空高く掲げ、左手にはアメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とローマ数字で刻印された銘板を持っています。
 
 
 


 
ドイツ啓蒙思想とフリーメーソン

フリーメーソンがイギリスからフランスに拡大した後、急速にヨーロッパ諸国に二ロッジが拡がっていきます。ドイツに最初のロッジが創設されたのは1737年であり、ハンブルグ、マンハイム、ライプツイヒ、フランクフルトに拡がっていきました。

ドイツのフリーメーソンは、イギリスとフランスを経由しており、ほぼ啓蒙思想と同義のものと理解されるようになっていました。 そのことは代表的な啓蒙専制君主といわれるフリードリヒ2世(大王)が、はやくも11738年にブラウン・シュバイクでフリーメーソンに加入したことで理解されます。
 
彼は1744年にグランド・ロッジ「3つの地球」を創設しています。 ドイツ啓蒙思想の頂点をなすゴットホルト・エフライム・レッシングが、フリーメーソンに強い関心を寄せ、みずから1771年にフリーメーソンに加入していることも、フリーメーソンと啓蒙思想との結びつきを象徴的に示しています。
 
彼の代表作の一つである『エルンストトファルク』は、「フリーメーソンのための対話」という副題がついていることから分かるように、その主題はフリーメーソンです。 みずからフリーメーソンとなったこの第一級の知識人は、1770年代のドイツにおけるフリーメーソンの現実の姿を冷徹な眼で批判しながら、真のフリーメーソンとは何かという問題を問いただしており、18世紀のフリーメーソン運動の成熟した形を示していると言えます。
 
レッシングの親友の一人に、クリストフ・フリードリヒ・ニコライという人物がいます。 彼がフリーメーソンの起源に関して、イギリスのフランシス・ベーコンの科学主義にあるという説を提出しています。
 
 
 
 
 
 
 秘密結社『イルミナティ』と創始者アダム・ヴァイスハウプト
 
 ドイツのフリーメーソン史は1770年代に極めて特異な結社を生みます。 ドイツのインゴルシュタット大学の教会法教授のアダム・ヴァイスハウプトが1776年にバイエルンで創設した啓明(啓蒙結社=イルミナティ)です。 フランス革命(1789年)の約10年前の事です。

 

ヴァイスハウプトは、1777年にみずからフリーソンに加入し、啓明結社をフリーメーソンの組織と運営を模して再編します。




フォン・クニッゲ男爵
(1752-1796)

 

ヴァイスハウプトとともに啓明結社の再編に参加したのが、フォン・クニッゲ男爵とヨハン・クリストフ・ボーデであり、ともに1764年にフォン・フントが創設した「厳しい戒律の儀礼」に属するフリーメーソンでした。

啓明結社の目的は、社会的な平等主義の徹底と会員の徳性の高揚によって社会改革を目指すことにあり、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ、ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーなど、多くの著名な文学者、知識人の関心を引き付けました。

ウィーンのフリーメーソン運動の指導者であり、モーツアルトの『魔笛』の成立にも影響のあった鉱物学者イグナーツ・ボルンもこの流れを汲むといわれています。

啓明結社は古代の密儀を模範としており、「養成」「フリーメーソン」「密儀」と三段階に区分された位階には、密儀という名称が直接使用されています。 第三位階はさらに「小密儀」と「大密儀」の二段階に区分されています。

古代趣味は、独特の会員名にも顕著に表れており、ヴァイスハウプトはスパルタクス、クニッゲはピロンという独自の会員名をもっていました。 さらにインゴルシュタットはエレウシス、オーストリアはエジプト、、ウィーンはローマと呼ばれました

独自の暦(こよみ)も持っており、月名も独特な名称がつけられていました。 会員は暗号を利用して手紙を交換していました。 フリーメーソン。のロッジを意味する この記号は。この啓明結社によって最初に使用されたものです。



イルミナティは、その目的を「知的に」有能な人々に世界を支配させ、「世界統一政府を作ることにある」とし、当時のもっとも聡明といわれた人々を含む2000人もの信奉者を集めたと言われています。

結社を結成した5月1日に、ヴァイスハウプトは『Novus Ordo Seclorum』という本を出版しています。
Novus Ordo Seclorum はラテン語で、英語では New World Order(ニューワールドオーダー) すなわち新世界秩序となります。 

私の知る限り,New World Order (新世界秩序)という言葉を最初に使ったのは、ルミナティを創設したアダム・ヴァイスハウプトです。

 

イルミナティ(啓明結社)の急進主義に不安を持った公開側は、バイエルン選帝侯を動かし、1748年に禁止令を出させることに成功します。 会員の多くは投獄されますが、ヴァイスハウプトのように国外へ脱出し、一時は2000名を誇った結社も、18世紀末までには消滅してしまいます。

この時、ヴァイスハウプトはアメリカに渡り、アメリカ初代大統領のフリーメーソンのジョージ・ワシントンは、ヴァイスハウプトであるという噂は今日も絶えることがありません。

 

    
 ジョージワシントンとアダム・ヴァイスハウプトは同一人物?   フリーメーソンだったジョージ・ワシントン

 



オーストリアのフリーメーソン全盛期が生む『魔笛』

オーストリアにもフリーメーソンは啓蒙主義とともに入ってきます。 マリア・テレジアの夫君となるロレーヌ公爵は、すでに1731年、オランダのハーグの「臨時ロッジ」においてフリーメーソンに加入しています。 

そのさい、マスターを務めたのがデザギュリエであり、オランダ大使として赴任中のチェスター・フィールド卿も同席しています。 のちにロレーヌ公爵は、ロバート・ウォルポール卿のノーフォークの館で開かれたロッジでマスターの位階を受けています。

1730年代はおーすとりあだけではなく、ヨーロッパ全土にフリーメーソンのロッジが創設された時期であり、さすがにこの動きを無視できなかったローマ教会は、1738年、教皇クレメンス12世の名でフリーメーソン禁止令を出しています。

フリーメーソンに加入したり、その思想を広めたり弁護士したりすれば、破門を以て対処するという厳しいものでしたが、この御禁止令の施行には国家元首の総人が必要でした。 オーストリアに於いてフリーメーソンが全面的に禁止されるのは、1764年になってからです。

1780年マリア・テレジアが亡くなり、ヨーゼフ2世がその後を継ぎます。プロイセンのフリードリ2世を啓蒙君主の鑑(かがみ)として尊敬していた彼はフリーメーソンにも寛容な態度でのぞんだため、その保護のもとでオーストリアのフリーメーソンは全盛期を迎えました。

知識人・芸術家・名門貴族・富裕商人などがぞくぞくと集まってきました。 フリーメーソン史の中でひときわ異彩を放っているモーツアルトの『魔笛』はその土壌のなかから生まれたものです。

 

 

これからのイルミナティ

設立者のアダム・ヴァイストハウプトは、当時「新世界秩序」という本を出版しました。

この中で、彼は「既成政府の廃絶と、世界統一政府の樹立」や「愛国心と民族意識の根絶」、「すべての宗教の撤廃」などを主張しています。

キリスト教的な社会から見ると、これは一種のアナーキズムです。 しかし別の方向からすれば、人種や宗教による人種差別のない世界を目指すユートピア論といえるかもしれません。

現在でも基本的な方向性に変わりはありませんが、目標に取り組む姿勢が大きく異なっています。

当初のイルミナティは「学者の知的サークル」といった言い合いの組織で、政治色もあまりありませんでした。

しかし、多くの組織がそうであるように、肥大化し、構成員が入れ替わっていくに従って、設立時の意識とはズレが生じ始めます。 

自由な学問追及を目指していた組織は、いつしか理想を現実化するためには手段を選ばない強硬な組織へと変貌を遂げていきます。

多くの陰謀論で指摘されているように、現在のイルミナティは政治や経済、医学からマスコミにまで介入し、人類を支配しようとしています。

彼らの行動はすでに自然の摂理を無視し、神を冒涜するレベルに達してきています。

悪魔が掲げる、新世界秩序によって全世界が支配される日は、もう,すぐ目の前にまで来ているのかも知しれません。

 

 

 

 

(関連情報)

 

・中国(清)に進出したフリーメーソン
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・サバタイ派・フランキストとは何か
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・ハザール王国
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・ユダヤ教の聖典とタルムード
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・明治以降、日本語訳の旧約聖書に書かれなかった一節https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/02df639b5ab25372db80ce9dca89b4af

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