Renaissancejapan

哲学と宗教、財閥、国際政治、金融、科学技術、心霊現象など幅広いジャンルについて投稿しています

ロスチャイルド財閥-214 ロイヤル・ダッチ・シェルの創始者 デターディング

2023-06-27 21:13:39 | 国際政治・財閥


Henri Willhelm August Deterding(1866年4月19日 - 1939年2月4日)
アンリ・ヴィルヘルム・アウグスト・デテルディング、KBE

 

アメリカで、ロックフェラーが石油王として辣腕をふるっていた頃、後の石油業界のナポレオンと称されるオランダの一青年は、アムステルダムのトウェンチェ・バンクの出納係として、月給60ドルを貰っていたこの青年こそが、後に個人名義の財産だけで3億4000万ドルといわれるヘンリー・デターディングです。

船長の子として生まれたデターディングは12歳にして父を失い、トウェンチェ・バンク本店で数年務めた後、オランダ領東インド(現インドネシア)の支店詰めとして登用に派遣されました。ここにいる時、トウェンチェ・バンクの所有するゾンデ島内の油井をみたのが、彼の石油に対する興味の芽生となります。

その後、ビナン支店の支配人に出世し、ロイヤル・ダッチ石油会社のケスラー社長と会う機会に恵まれます。 ケスラーはデターディングの才能を見抜き、彼を自社に迎え入れ、重要な地位に据えました。 時にデターディングは30歳。

彼の入社後、ロイヤル・ダッチ石油は新たに50万フロリン(オランダの旧通貨)の株式組織となり、その翌年には数ケ所に噴油抗を獲得したために、従来の
続きがたちまちに8%の配当をなしえるまでになります。 この噂を聞くや当時世界のランプ(まだ石油産業が灯油による照明の時代)を支配していたロックフェラーは、ロイヤル・ダッチの急成長に警し、彼らに対して挑戦を開始し始めました。

ロイヤル・ダッチの株主たちは石油王の攻撃を恐れて、今のうちにスタンダード石油と提携することを主張しました。しかし、デターディングは断固として株主たちの勧告を斥けます。 その頃、社長のケスラーは死去し、遺言によってデターディングが社長の椅子に納まっていました。

ロックフェラーの悪質な攻撃に、株主たちは戦々恐々とし、デターディングが敗退する日を待っているような状態でした。 しかし「若僧(ヤング・フェロー)」デターディングはよく闘いました。 わずか50万フロリンの資本で、ロックフェラーの数千万ドルに宣戦布告したのです。

この時、デターディングは有力な協力者を得ました。 英・シェル輸送会社の持ち主マーカス・サミュエルです。今日、英国の一大石油トラストが完成したのも、実にこの英国人サミュエルとオランダ人デターディングの提携に他ならないのです。

サムエルはロンドンのユダヤ人街に生まれ,船会社のひら事務員となったのが、経済人としての踏み出しでした。 彼は会社の船に便乗して、幾度か東洋に旅行し、国際貿易についての知識を獲得しました。 そして、彼はこつこつと貯めた金を資金として、独立して輸出入業を始めました。

サミュエルは先ずボロ船一隻を手に入れて、東洋の香り高い貝殻類や真珠を英国に輸入する仕事から始めました。 そしてその商品に因んで、会社名を「シェル輸送会社」としました。 会社は着々と利益を上げ、船の数も増加して、新式貨物船12隻の社船を持つに至りました。

彼の船は、東洋から英国に商品を運んでは、船腹を空にして日本や支那に帰ってくるという有様で、極めて不経済な話でした。 ある時、サミュエルの船は東洋への帰途、石油の輸送を依頼され、数個のタンクを積み込んで思わぬ儲けをしたことがありました。 

期を見るに早い彼は、石油輸送の有望なことに着目し、パリのロスチャイルド家から資金の融通を受けて、石油輸送用の汽船の施策を開始しました。これが世界の大洋にタンカーが出現した最初です 彼は引き続いて建造を続けました。 

こうなってくると自然の成行きとして、彼は石油生産について触手を動かし始めました。 北ボルネオに採掘権(コンセッション)を買収し、間もなく自分のタンカーを自分の石油で充たすようになりました。 各地の支店は、利益の薄い真珠貝の売買から、より利益の上がるランプと灯油を取り扱うことななりました。

油王国建設

マーカス・サミュエルのシェル輸送会社の石油業っへの転向は、当然ヘンリー。デターディングのロイヤル・ダッチ石油会社との抗争になりました。 当時、ロイヤル・ダッチ石油はオランダ領東インド(現インドネシア)の石油を輸送するために、わずか一艘のタンカーしかなかったのに対し、シェルはロスチャイルド・パリ家から融資を受け、次々とタンカーを建造して極めて安価な運賃で自己経営の石油を輸送することができました。

デターディングにとっては、このロンドン生まれのユダヤ人こそが当面の敵でした。少なくともロックフェラーはそう考えて、南洋における英・蘭の石油抗争を横眼で見ていました。 ナポレオンが倒れるか、ライオンが倒れるか、しばし形勢を見たうえで、おもむろに石油王としての実力を発揮すればよいと考えていたのです。

スタンダード石油から見れば、この両者の石油などは物の数ではなく、北米の油井は刻々と動く秒針の間に巨万の富を噴出していました。 ロックフェラーは1881年に39の石油会社を合併し、資本金7,500万ドルの資金力で、米国石油の95%を支配していました。

そして、その翌年に世界経済史上の怪物「スタンダード・トラスト」の成立を見るに至りました。 この石油トラストには、ジョン・ディ・ロックフェラーを中心として9人の委員からなる委員会があって、連盟39会社の代表機関となり、ここで最高政策を決定して、米国石油業界を自由自在に操っていました。


鉄道輸送からパイプライン

ロックフェラーが石油王国を築き上げるまでには、巧みな戦略と金権力を駆使した謀略がありました。1870年代、彼はまずペンシルベニア鉄道のスコット、ニュー、ニューヨーク・セントラル鉄道のヴァンダー・ビルド及びイリノイ鉄道のジョウェットと提携し、運賃割引の協定を結びました。 

これらの鉄道はは、米国東部の小工業地帯を走っていたので、石油輸送の点でも極めて有利な地の利を占めていました。 そして、これら諸鉄道の巨頭たちはロックフェラーの株をつかまされていたので、配当金の増加を謀るためにもロックフェラーに味方せざるを得ませんでした。

その結果、スタンダード石油の競争者に対する石油輸送の運賃は、2倍にも3倍にもなりビジネスは成り立たなくなり、競争相手が弱り果てた所を見込んで、ロックフェラーはこれを買収し自分の傘下に抱き込んでいたのです。 最初、ロックフェラーが石油業に手を染めた頃には、ペンシルベニア州各地に散在する製油所から石油を買い、これを木製の油槽馬車に積んで市場に運んでいました。

この木製油槽馬車が鉄の油槽と変わり、ついで油槽か車を製造して、鉄道との割引契約によってレールの上を走らせることに成功しました。 ロックフェラーは更に進んで、鉄道の割引運賃以下で輸送する事を考案しました。 パイプラインが初めて造られたのです。

このぴプラインによって油井から湧き出した原油は、滝のごとく製油所に送られ、最低運賃より約6分の1で、石油が輸送できるようになりました。 このパイプラインこそが米国におけるスタンダード石油石油専売を確立した大きな原動力です。

パイプラインの設置は非常に高価で、到底小企業の資金力では及びもつきません。 直系6インチの鉄管を何百マイルとつなぎ合わせるだけでも大変な費用なのに、ポンプ装置もいれば冬場凍結しないように保温装置も設置しなければなりません。その上に鉄管を設置するには地代も発生します。

当時の相場でいうと、米国では1マイルのパイププラインが約2万ドルかかると言われています。当時の米国内のパイプラインの延べマイル数は約20万マイル、実に地球5周分の長さと言います。(1マイル=1.6009km)

パイプラインを独占されてはいかに優秀な有為を持っていたところで群小石油業者は太刀打ちできません。城浦井通りにの運賃を支払って、スタンダード石油に対抗しようとすれば、それこそ元値を切って赤字で売らなければなりません。

一方、ロックフェラーは椅子にふんぞり返っているだけで競争相手を足下に屈服させ宇ことが出来ました、賄賂、筋力、政治力、ロックフェラーは全米の石油を一手に納めることになりました。

 

シャーマン法(アメリカの独占禁止法)

その結果、1892年、セオドア・ルーズベルト大統領のトラスト征伐となりシャーマン法の発動を見るに至りました。しかし、このトラスト征伐は外面的なものであり、依然としてスタンダード・トラストは実質的に存在していました。

 

タンカーの時代

地上に於いてパイプライン独占によって米国内石油産業を支配したロックフェラーは同じやり方で外敵(ロイヤル・ダッチ石油)に立ち向かいました。 西太平洋から挑戦してきたロイヤル・ダッチ石油は、わずか一艘のタンカーを保有しているに過ぎませんでした、蘭領東インドから産出する石油を世界の市場に配給するには」、どうしても運送用に船を雇わねばなりませんでした。

これに眼をつけたロックフェラーは、金の力で片っ端からタンカーとの契約を結び、たとえドッグに横たえておくにしても、一艘たりともロイヤル・ダッチ社利用されないようにしたのです。この悪辣な戦略はたしかに一時はデターディングを悩ませました。

折角の商品は空しく倉庫内に積み上げられるばかりで、これを輸送することが出来なくなってしまったのです。

ロックフェラーの横暴に対しデターディングはサミュエルと提携することになりました。 サミュエルが十数隻のタンカーを持っていたからです。

 

ロイヤル・ダッチ・シェルの設立とスタンダード石油への反撃

かくして、ロスチャイルドの仲介により、1897年、デターディングはロイヤル・ダッチ・シェル石油会社を創立しました。

ロイヤルダッチ石油会社は、シェル輸送会社と合同して、ロスチャイルドも資本参加し、改めてロイヤル・ダッチ・シェル合同会社となり、スタンダード石油に対して反撃を開始しました。


ロスチャイルドが出てくれば、当時はまだロックフェラーとは実力と格が違います。 ロスチャイルドの親戚であるクーン・ローブのジェイコブ・シフが、ロックフェラーに資金援助し、経営のアドバイザーとなっていて、ロックフェラーは今日のように巨大財閥になれたのであり、またアメリカ議会の調査によれば、1900年頃、ロスタイルド家はアメリアの富の約2倍、全世界の約50%の富を支配していたとされています。

 

・ロスチャイルド財閥-111 国際金融財閥の序列 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af41696ec05203f68b46d63b897e9b3d

・ロスチャイルド財閥-196  ロスチャイルド7代目当主 Alexandre de Rothschild https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eb9df5eb208317312b0a1bf276cdbde2

・ロスチャイルド財閥-195  2012年ロスチャイルド の投資会社RIT・キャピタル・パートナーズ  
              がロックフェラー 資産運用事業の株式37%取得 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6aeceba979c21512d0b651606778f7fc

 

この合弁から、ロイヤル・ダッチ・シェルは英国資本の会社と考えられるようになり、オランダ人デターディングも大英帝国の大石油業者であるかのように考えられるようになっています。 

世界の石油輸送組織をも独占しようとのロックフェラーの夢は惨めにも破られたばかりか、逆にデターディングに覇権を奪いされらることになりました。 

1900年までは、タンカーのほとんど全部は米国に属していましたが、今日では(欧州大戦前まで)世界汽船総トン数の10%を占め、約800万トンに達するタンカーのうち72%までは、デターディング及びその勢力下にあったのです。


デターディングは、ロイヤル・ダッチ・シェルを創設しジョン・D・ロックフェラーのスタンダードオイルの競争相手にして世界最大の石油会社の一つに育てています。

尚、ロイヤルダッチシェル(Royal Dutch Shell plc)は、2021年11月15日、社名を「シェル(Shell plc)」に変更することを発表。 2022年1月21日に拠点移転、および社名変更が実施されました。

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

哲学・宗教・思想 ここまでの投稿記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/7da98797504886d8b9eaa2e5936655e6

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (1/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1f87a836a42cfdcf5bc18c8a5e212fe5

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (2/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/40a30f12de3651f13810a90405370238

ロスチャイルド財閥 今まで投稿してきた記事リスト (3/3)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/47e334f8ba710639aefdcc8d7824f9fa

 

ロスチャイルド財閥-163  ロスチャイルド財閥について今まで投稿してきた記事一覧https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/fedeabe97fbe342e880f7195d00dabec

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

世界の財閥 ここまでの投稿記事リストhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/14d30c37bfae00d834c78d49da070029

 

日本の財閥 ここまでの投稿記事リストhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/6958fc72746302160416dd6dad039f68

 

 

ゴールドマン・サックス ここまでの投稿記事リストhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/0b4c5b8ba383a38e0af1df7b1a477ea3

 

Black Rock ここまでの投稿記事リストhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/93ef8de49c1ff9039ce7446f1f3fb0e8

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿