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世界大戦の主原因は石油  北樺太石油問題

2023-06-27 13:24:57 | 麻薬・阿片・石油

これは、第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦が始まる前の頃の話です。

第一次世界大戦の中途で自壊を起こして没落したロシア帝国が、レーニンの登場によって暫定国家的体系を樹立し、社会主義国家として世界に再出現した時、石油帝国主義の将軍たちは困惑の極みに達しました。

ロイヤル・ダッチ・シェルのデターディング(元々は蘭ロイヤル・ダッチ石油の社長。 後に英シェル石油、そしてロスチャイルドが資本参加し、合弁会社のロイヤル・ダッチ・シェルとなり、その責任者)も、ロックフェラーも、旧ロシア帝国の資本家が持て余している石油利権を捨て値で買い込んでいましたが、ソビエトは国内の全産業を国有化して外国資本主義の侵入を禁止しました。

1922年にはジュネーブ会談が行われ、英・米が主となってその利権回復を図りましたが、遂に成功を観ずして終わります。 引き続いて、ハーグ会議となり、ソビエト代表のリトヴィノフとデターディングの間に了解ができ、社会主義国家の法令によって、没収された利権は返還することはできませんが、旧所有者を一括して一大会社を組織するという契約ができそうになりました。

スタンダード石油はこれに反対し、結局この会議も決裂してしまいました。 ロイヤル・ダッチ・シェル及びスタンダード石油の力をもってしても、ソビエトのために不法にも没収されタ石油利権を回復することはできなかったのです。 

このような情勢の下で、米国のオイルマンであるハリー・シンクレアが威風堂々と首都モスクワに乗り込むでいったことは、世界を驚かせました。 シンクレアは米国石油を支配するスタンダード石油に属せず、完全に独立独歩の道を歩んできた新参者です。

前回の投稿の続きです。

世界大戦の主原因は石油 米国石油業界の暴れ馬
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/bde02cb358cacc325be242f9f3135b03

 

前置きはこのくらいにして、本題について書きます。 北樺太石油利権に関する、対シンクレア契約によると、1923年1月7日から満1ケ年の間に採掘を開始することを条件としていました。 そこでシンクレアは1924年の冬、二人の技師を北樺太に送りました。
しかし、当時この地を保障占領していた日本軍が、この闇入者の活動を赦しておく筈がありません。日本は日露戦争で幾多の同胞が流した血の代償として、これを占領していたのであり、日・ソ間の政治問題が未だに解決しないのに、おめおめと第三国のために花園を荒らされるのを傍観している理由はありません。

シンクレアの二人の技師は、先発の労働者と共に本国に送還されてしまいました。 かかる間に、日本とソビエトとの間には協定が交渉され始めました。 しかし、彼らの要求と一致せず、大連会議も長春会談も東京会談も不結果に終わり、ソビエト使節ヨッフェも虚しく退陣せざるを得ませんでした。

1924年(大正13年)5月14日、北京においてソビエト大使カラハンと支那政府との間に露支条が締結されたのに及び、これがきっかけとなって、日・ソ間に再交渉の道が開け、吉澤(よしざわ)健吉大使とカラハンとの接触となったのです。 日本はシベリア出兵の代償として北樺太の利権を主張しました。

しかし、ソビエトはさきにシンクレアと契約を結んでいるために困惑し、米国をも引き込んで日・米・ソ三国協定を結ぼうとしました。 もちろん、これは日本が承認できることではありません。


会談、また会談、幾度か暗礁に乗り上げつつも、前後、実に67回に渡る交渉の結果、1925年(大正14年)1月21日に、日露条約は北京の日本公使館において調印されました。

この条約において、日本は天候の許す限り、速やかに北サハリンの撤兵をおこなうことを宣言し、本条約の批准5ケ月以内に、石油利権に関する協定で、日本は北樺太油田の50%の採掘権を獲得し、残る50%の油田に関する利権を第三国に許す場合には、日本も平等の機会を与えられるべきであると規定しています。

採掘者がソビエト政府に支払う地代は、石油生産額の5~15%で、利権期間は40年~50年間にわたるものとなっていました。日本とソビエトとの間にこうした石油協定が結ばれたことは、シンクレアにとっての重大問題でした。 彼は直ちにモスクワ裁判所に訴訟を提出して、ソビエト政府との間に結んだ契約の復権を主張しました。

しかし、ソビエト政府とシンクレアとの間に結ばれた契約には、1923年から翌24年1月7日までの間に、採掘を開始すべき義務を定め、かつこの期間後60日以内にその事業の範囲と結果とを示すグラフを政府に提出することを規定してありました。

をところが、シンクレアはこの義務を果たさなかったばかりか、契約による6ケ月の執行猶予期間中にも、石油採掘の作業は開始されませんでした。こういった理由によって、モスクワ裁判所はソビエト政府の米国シンクレア利権破棄を正当と認めたのです。


これに対して、シンクレアは以上の事実に否定はしないが、「不可抗力」のために契約履行を妨げられた事実を主張しました。 「不可抗力」とは、当時北樺太は日本軍の占領下にあって、採掘のために派遣された技師は行動の自由を得ずに送還されてしまったことを指しています。

しかし、ソビエト政府はこの事実は抗弁の理由にならないとしました。 何故なら、米シンクレアとの契約が結ばれた時、北樺太が既に日本軍の占領下にあったことは知っていた筈であり、同時に当時のソビエト国内事情は、日本軍駆逐のために開戦する実力もなければ、その意向もなかったことは明らかであるとしました。

従って、シンクレアは自ら契約事項の義務を果たすべく工作すべきであり、ソビエト政府はそう了解しているというのです。 モスクワ裁判所のシンクレア利権無効の判決に対し、シンクレアは全米国国務長官ロバート・ランシングを顧問弁護士として抗争につとめましたが、結局大勢を覆すことは出来ませんでした。

sンクレア、そして米国の極東における石油利権獲得の野望は虚しく挫かれたのです。 1925年8月、日本軍の北樺太撤兵の4ケ月後、シンクレア契約破棄後3ケ月、モスクワに於いて日・ソ両国委員の北樺太利権協定に関する会議が開かれました。 ソビエト代表はアドルフ・ヨッフェ、日本側は駐露大使田中都吉(たなかときち)を首班として、石油会社代表として中里海軍重次中将および三菱の重役である奥村正雄などが控えて、いよいよ北樺太石油利権に関する細目が討議されました。

大綱は既に日露条約に定められていたとはいえ、細目に渡る契約については、彼らの間に意見の相違があり、幾度か困難に直面しました。しかし両国代表の忍耐強い討議により、約4ケ月を経た1925年12月、北樺太石油利権に関する契約は調印を見るに至りました。

 

こうして、北。樺太石油開発を目的として設立された北樺太石油会社は、大正15年より稼行を開始し、同年には十数万トンを産し、以後、毎年最小3万トンから最大20万トンを本邦(日本と日本領土)に輸入してきました。 昭和11年をもってまず採掘権が消滅することになりましたが、延長交渉の折衝の結果、更に試掘権は5ケ年延長され、北樺太石油会社は5ケ年計画によって試掘および採油の拡張と増産に邁進しているのです。

日本の北樺太石油利権獲得は、明らかに米国の裏をかいたものです。「石油帝国主義」の著者ルイズ・フィッシャーがいうように、 

『日本をアジア本土から隔離するのは米国の伝統的政策であった。 ウィルソンがベルサイユにおいて日本を青島から分離させようと努力する所以、大戦中シベリアに於ける武力干渉に米国が反対する所以、またヒューズ氏が露領サハリン撤兵を固執する所以である

しかし、北樺太の石油は日本の需要を充たすには十分ではありません。 この石油利権に関する契約が成立した時、一部の人が言ったように

「サハリン利権は世界の二大石油強国、米国と英国に対する従属から日というものではありません。 日本は北樺太の利権を確保すると共に、他に必要な石油産地を求めなければならないのです。

 

続く、次の投稿は「シンクレアの敗退」を計画しています。

 

 

 

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