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ドイツ脱原発1年、電力輸入は超過 くすぶる再稼働論

2024-04-16 22:37:00 | 資源メジャー、環境エネルギー、資源・素材、


  廃炉となったドイツ西部のビブリス原子力発電所(23年8月)=AP

 

【フランクフルト=林英樹、ベルリン=南毅郎】ドイツで最後の原子力発電所3基が停止してから15日で1年がたった。

過半となった再生可能エネルギーの拡大や天然ガス価格の下落で電気代は4割下がった。2023年は21年ぶりに電力の輸入超過に陥り、原発再稼働を求める声がくすぶる。

 

「原発についてもはや議論の余地はない」。独化学工業協会のマルクス・シュタイレマン会長は電気料金の引き下げを政府に求めつつ、原発再稼働の必要性は明確に否定する。

ドイツ政府は23年4月15日、西部「エムスラント」など原発3基を止め、脱原発を実現した。

 

独連邦ネットワーク庁によると、1メガワット時あたり約100ユーロ(約1万6000円)だった電力卸売価格は足元では約65ユーロに下がった。

当初は電気代の上昇を不安視して脱原発への反対が賛成を上回ったが、懸念は打ち消された。

 

 

電気料金の下落はウクライナ侵略でロシアからの供給が途絶え、22年末に高値に達したガス価格が下がった影響が大きい。

23年のガス火力発電量は前の年より4%増えた。石炭火力の発電量は二酸化炭素排出に関するコスト高から31%減った。代わって風力と水力発電の稼働率が上がり、総発電量に占める再エネ比率は47%から56%に高まった。

 

再エネが拡大しても国内だけで充足するのは難しい。23年のドイツの電力輸出総量は42テラワット時、輸入総量は54テラワット時で02年以来、21年ぶりに輸入が輸出を上回った。

国別では大規模な洋上風力発電を抱えるデンマークに次いで輸入量が多かったのは、総発電量の6割を原発が占めるフランスだ。

 

独連邦ネットワーク庁は「経済的な理由から電力輸入は理にかなっている」とするが、脱原発後も割安な原発エネルギーに供給の一部を依存する状況は変わっていない。

 

 

最大の国政野党キリスト教民主同盟(CDU)は安定供給に欠かせない選択肢として原発を重視する。

24年1月に公表した党の政策指針は、経済競争力の維持を念頭に「原子力という選択は断念できない」と明記した。

 

気候変動対策は経済成長が前提になるとの問題意識がある。メルツ党首は稼働を止めた23年4月15日を「暗黒の日」と呼び、ショルツ政権の判断を批判してきた。

与党内からも、産業界に近い自由民主党(FDP)で異論が出る。独メディアによると、最後の原発3基のうち「ネッカーベストハイム2」のある南西部バーデン・ビュルテンベルク州の地元議員が「政治状況が変われば原子力に対する姿勢も変わりうる」と原発回帰を示唆する。

 

原発を運営してきた独電力大手は「すでに廃炉作業が始まっている」として再稼働に反対の立場をとる。

最後の原発エムスラントを所有するRWEのマルクス・クレッバー最高経営責任者(CEO)は「積極的に原発を運営するつもりはなく、原発がドイツに戻ってくることはない」と独紙に語った。

 

ドイツは原発の新設を禁じている。安全リスクから年数十億ユーロの保険料もコストとして上乗せされる。

新設に向けて動き出しても稼働開始となる2040年代には再エネの発電コストがさらに下がり、二酸化炭素を排出しない原発の利点は小さくなる可能性が高い。

 

日本や韓国で開発機運が盛り上がる次世代原発「小型モジュール炉(SMR)」に関しても「不透明な部分が多い」(クレッバー氏)と産業界は否定的だ。

課題は米国や日本より3倍程度高い、産業用電気料金の引き下げだ。ショルツ政権は全製造業を対象に電力税を下げ、特定企業については支援額や期間を拡大する政策を検討する。状況が改善しない限り、原発再稼働を求める声は消えそうにない。

 

 

 


[FT]南欧4カ国の経済好調 独停滞、ユーロ圏で明暗

2024-04-16 22:30:32 | 世界経済と金融

Financial Times

欧州南部の経済規模上位4カ国を合わせた国内総生産(GDP)は、2017年以降でドイツをおよそ5%上回る水準にまで達した。

直近の経済ショックからの復活ペースがユーロ圏内で二分されている様子を浮き彫りにしている。

 


南欧4カ国では新型コロナ禍の収束後に観光業が回復していることも経済の
追い風となっている(ギリシャのバルテノン神殿)=ロイター

 

フィナンシャル・タイムズ(FT)の委託で英調査会社キャピタル・エコノミクスが行った分析によると、イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャのGDPの合計は、ここ6年間に物価調整後で2000億ユーロ(約33兆円)超拡大した。

この増加幅はポルトガル一国のGDPを上回る。一方、ドイツのGDPの伸びは850億ユーロにとどまった。

 

新型コロナウイルス禍が始まった20年から、ドイツ経済はほぼ横ばいが続いている。規模の大きい製造業が急減速したうえ、ロシアのウクライナ侵略に端を発するエネルギー高が追い打ちをかけた。

これとは対照的に、南欧諸国にはコロナ禍後の制限緩和による旅行需要の回復という追い風が吹いている。

 

製造業の落ち込みや、安価なロシア産ガスの供給停止の影響をあまり受けていないことも幸いした。

だが17年からの経済成長で取り戻せたのは、08年の金融危機以降に失ったGDPの一部でしかない。キャピタル・エコノミクスのチーフ欧州エコノミストのアンドリュー・ケニンガム氏は「金融危機前はこれら『周縁国』のGDPが(ドイツより)20%大きかった」と説明する。

 

同氏によると、南欧経済が比較的好調なことから、欧州中央銀行(ECB)内で将来的な利下げの見通しがおおむね一致しているもようだ。

ECB理事会メンバーの多くは、物価上昇圧力が弱まり続ければ、6月に利下げ局面に入る可能性が高いと見込む。

 

「10年代の大半とは違い、南欧諸国が中核国より緩和的な金融政策を明らかに必要としているわけではない」とケニンガム氏は指摘し、「どちらかと言えばその逆かもしれない」と続けた。

こうしたユーロ圏内の「二速経済」のおかげで、南欧諸国とドイツの借り入れコストの差も縮小している。指標として注目されるイタリア10年債とドイツ10年債の利回り格差(スプレッド)は最近、21年以来の低水準をつけた。

 

By Martin Arnold

(2024年4月3日付 英フィナンシャル・タイムズ電子版 https://www.ft.com/)

 

 

日経記事2024.04.16より引用

 

 

 

 

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聖人ゆかりの人名と地名

2024-04-16 19:59:59 | ヨーロッパ・ロシア・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

 

ジョンもヨハネも同一のルーツ

 

米国では、『ジョン』とか『スミス』などの名前が多く、欧米人の名前の多くはキリスト教の影響を大きく受けています。

もちろん、キリスト教徒として洗礼を受けた時に授かるクリスチャン・ネームは別にしての話です。

 

日本人には理解しがたいですが、キリスト教の欧米人の世界では、「洗礼を受けるまではクリスチャンではありません、もし赤ちゃんが洗礼を受ける前に死んだら、天国にはいけない」と信じられているので、

信者の家庭では赤ちゃんの生後すぐに洗礼を受けさせるのが通例で、これを『幼児洗礼』といい、生後2日から1週間の間に行います。昔は、『全身浸礼』といって裸の赤ちゃんを、洗礼盤の聖水に3回も浸します。

まず、日本人なら怖くてできません。 当たり前ですが、風邪を引いたり肺炎を起こし亡くなる赤ちゃんもいたそうです。 だから今では聖水を頭に垂らし、聖水で額に十字をしるしているようなったとされています。

 

戸籍というものがなかった時代には、教会に残されている幼児洗礼の記録が時として貴重な資料になりました。 名前をどうやって選ぶのか? について特に決まったルールはないようですが、人名でいえば、祖父や親族、先祖の名前を代々踏襲することが多いのです、

特に由緒ある名家でなくても、国によっては『ジョージ二世』『エドワード・Jr』などという名前を持つことは一般的です。

 

私が中高生の頃、アメリカのプロレスラーで『ドリーファンク・Jr』という名前のレスラーがいましたが、変斜めだと思った記憶があります。

 

 

ゴッドファーザー

フランシスコ・コッポラ監督の映画『ゴッド・ファーザー』は世界的大ヒットとなり、第三部まで作られました。 映画は、米国のマフィア社会の実情を描く一方で、シチリア出身の主人公親子二代にわたる家族愛、ファミリーの強い絆を描いていました。

シチリアはご存じの通り、イタリア半島の長靴のつま先に位置する島で、古くから米国へ多くの移民を送り出してきたことで有名です。

また、ここでは古くからカトリックの信仰が人々の生活に根付いた場所で、映画の随所にその風習や雰囲気が伝わってきます。

 

その『ゴッド・ファーザー』とは、強い一族のまとまりの中心に位置する人物であり、神と教会に代わって一族に子供が生まれたら、『名付け親』になりました。

映画の中では、主人公マイケルが妹の子供に名前を付け、洗礼に立ち会う場面が印象的でした。 ですから、『ゴッド・ファーザー』は、本来はファミリーの長老格であり、一族の敬愛を集めた人です。

 

『ゴッド・ファーザー』は、日本では映画の影響で、マフィアのボスというイメージが強いですがち間違いです。 あくまでもファミリーの長老格で一族の敬愛を集め、『神と教会』に代わって一族に子供が生まれたら【『名付け親』になった人物のことです。

 

クリスチャン・ネームは『聖人の名前』を教会から頂いたり、『生まれた日にゆかりの聖人名』を記念につける場合がります。

有名な『聖人』としては、『キリストの十二使徒』がいます。

 

 

地名にも聖人の名前

人名の場合と同じことが、地名にも言えます。 『聖人』を意味する『セイント』または『サンタ』、『サン』などという言葉が頭に付くのは典型的な例です。

 

『サンタクララ』『サンフランシスコ』『セントルイス』『サンタモニカ』『サンアントニオ』『サンパウロ』『サンディエゴ』などたくさんあります。

 

これ等の地名は、スペインやポルトガル、フランスなどカトリック圏の入植者が多く入っていた新大陸(アメリカ)に多く見られます。 

他にキリスト教にちなんだものとしては、『天使』を意味する『ロスアンジェルス』、十字架を意味する『サンタクルーズ』、救世主の意味である『得るサルバドール』、または『サンサルバドール』,聖なる信仰という意味の『サンタフェ』、カトリックのミサなどを含む教会の行事である秘跡を意味する『サクラメント』などがあります。

 

テキサスには「キリストの聖体」を意味する『コーパス・クリスティ』という港町があります。

頭の弱い、トランプやそのお馬鹿信者たちが、スペインやメキシコから来た人たちがアメリカを壊すと騒いでいますが、新大陸(アメリカ)を発見したのはスペインのコロンブスであり、アメリカそのものが元々はスペインの植民地だったのです。

フロリダ、テキサス。メキシコ、カリフォルニア、など全てそうです。 銃と暴力でヨーロッパから後から来た移民たちによって、彼らを略奪したのすぎません。 

『アメリカ』を壊しているのは、安全保障の何たるかも理解できない『お馬鹿・トランプ』とその『頭の弱い信者たち』なのです。 

本当にアホネ! 馬鹿は死ななきゃない治らない!

 

 

 

 

 

 

 


アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-32 パリ講和会議 革命派の実利外交

2024-04-16 14:51:07 | ヨーロッパ・ロシア・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

 

アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-31 ボシェによるフランスでの王権神授説
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c19b913ee96c607478067593f5a1f4a5

からの続き

 

 

 

アメリカは開戦と同時に、カナダ併合を企図して遠征隊を送り、カナダ会戦におけるフランスの支援を求めました。

しかしフランスは、これに同意しませんでした。 フランスはアメリカを同盟国として引き留めておくためには、カナダをイギリス領のままにしておく方が得策と考えたのです。

 

スペインは強大なアメリカ共和国の出現が、自分の植民地の独立運動を刺激することを恐れました。

独立戦争の開始以来、 イギリス と アメリカ合衆国 と フランス・スペイン との三者間で虚々実々の戦時外交が続いていました。

しかもスペインは独自の利害を持ち、アメリカ合衆国のアパラチア山脈以西への進出に反対しました。 合衆国には、まだ自力でこの広大な地域を軍事的に確保できる力はなかったのです。

 

講和会議では、フランスはスペインを支持。 イギリスはアメリカ・フランス間に楔を打ち込むべき。アメリカに単独講和を働きかけました。

 

1783年のパリ講和では、形式的には、フランス・スペインがイギリスと講和し、その後でアメリカが講和することになりました。

合衆国はカナダ獲得を断念しますが、独立の承認とミシシッピ川以東の土地を得ました。 スペインは米英の突然の接近のため、ジブラルタル奪還は断念しますが、フロリダを取り戻しました。

 

フランスは新世界では西インドのトバゴ島とセントローレンス湾の二つの島を得ただけでありましたが、久しぶりにヨーロッパ外交で勝利者の役割を演じて、イギリスの大西洋支配体制の確立を阻止できました。

イギリスは外交的孤立を脱し、最大の外国市場あっメリカへの輸出が再開されました。

 

パリ条約が締結された直後、10月に最初のオランダ公使がフィラデルフィアに上陸した時、信任状を手渡すべき政府はそこにはなく、10日後にようやく政府がニュージャージー州プリンストンにあることが分かりました。

しかも、そのオランダ語の高文書を読める人を探すのに、またその後10日かかります。

当時合衆国政府の役割を果たすことになっていた連合会議は、軍隊の給料も払えず、ペンシルヴェニア連帯の反乱にあって逃げ回っていたのです。

 

連合政府には、直接人民に課税する権限もなく、各州政府は連合政府の財政難などいっこうに気にせず、拠金の要請には応じず、戦争が終わってしまえば連合政府など事実上なくなってしまっても良いと考える人々も少なくなく、前途多難の状態でした。

講和後も合衆国には大きな外交課題が残りました。 米英は、ミシシッピ川の相互の自由航行に同意しましたが、スペインはこれを認めませんでした。

 

ミシシッピ川は19世紀中ごろに鉄道が建設されるまで、アパラチアの西の運輸動脈でした。 南西部に入植した人々の中には、合衆国市民であるよりは、ミシシッピ河口を支配しているスペイン人に忠誠を誓って運輸を確保したほうが得だと考える人もいたのです。

 

 

19世紀中頃に鉄道が建設されるまではと前述しましたが、これは阿片戦争、ペリー提督の日本来航、そして日本開国に大きく影響しています。

ペリー来航は1853年です。 受験生は『嫌でござんすペリーさん』、で年号を思えましょう。

 

当時は大英帝国が親の阿片戦争でぼろ儲けしていた時代でした。 実はアメリカも『ラッセル社』という阿片商社を親に作って、親と阿片貿易をしていました。 

大英帝国はインド産の阿片を売りつけましたが、アメリカはブッシュ一族が経営するトルコ産(現アフガニスタン)の阿片を清に売りつけていました。

 

清から、奪えるものは全て奪った大英帝国と、阿片商人であるサッスーン商会、ジャーディン・マセソン商会、そして金に異常なまでの嗅覚があるロスチャイルド家は知らない間に彼らと婚姻で親族となり、濡れ手に粟状態のぼろ儲けをしていました。

まずは、アメリカの阿片商人、および関係物資の輸送は、当時アメリカ東海岸から大西洋周りで南アフリカのケープタウン、インド、シンガポールを通り、わざわざ清にきていたのです。

面倒くさいので、カリフォルニアにの港から清に行きたい。 当時は蒸気船だったので、石炭の燃料や」水・食料の供給基地として日本を開国させたかったのです。

 

そのためには、アメリカ東海岸から西海岸間のアメリカ大陸横断鉄道(AMERICAN EXPRESS)が必要だったのです。

これを企画し、アメリカ議会を説得していたのが、ロスチャイルド・ロンドン家(正確にはロンドン家のロスチャイルド銀行:NMロスチャイルド&サンズ)の代理人として契約していたアメリカの弁護士のアーロン・パーマーと、ペリーの娘キャロラインと結婚したベルモント財閥のオーガストガスト・ベルモントです。 ペリー家もボストンの有名な財閥です。 

どちらも、ロスチャイルド・ロンドン家(NMロスチャイルド&サンズ)の代理人です。

 

弁護士アーロン・パーマーは、ロスチャイルドとの契約で、アメリカの情報や公共事業に関する情報をロスチャイルドに提供するとともに、ロスチャイルドのビジネスでアメリカ議会にロビー活動していたのです。

その活動(企画)が成功し、ペリー提督が、当時はまだ東海岸からの遠回りですが、1853年に日本に来航して、開国を迫ったのです。

 

ただ、ロスチャイルドと大英帝国様が石炭と水・食料の補給のためだけのちっぽけな商売で動くはずがありません。 清の次のターゲットとして日本を植民地にしようと考えていたのです。

当時の世界覇権はロシア帝国vs大英帝国。 そして狡猾なイギリスは頭が弱く簡単に日本(徳川)を裏切る長州を利用して、明治維新という日本国内の内乱を起こすのです。

 

 ・大英帝国の繁栄とプレートテクニクスhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/285caf17b19e27612c1d00df5871c377

 

日露戦争は、イギリスvsロシアの代理戦争にタホの長州率いる明治政府は使われたのです。 日露戦争でのに明治政府の死傷者は9万人、イギリスの死傷者ゼロ。 

そして高額な銃・大砲・軍艦はロスチャイルドの兵器会社であるアームストロング・ヴィッカース社から巨額の借金をして買わされ、日露戦争では実質、イギリスのおかげで勝利しますが、残ったのは巨額の借金。 この借金を完済できたのが、バブルに踊る1980年代後半のことです。

 

これが、明治維新と日露戦争の真実です。 尊王攘夷と叫んでいた長州ですが、何故か日本を裏切り親英に、そして尊王攘夷の孝明天皇(本来明治天皇になる筈だった)とその長男睦仁親王は暗殺されます。 おそらく長州ででしょう。

明治政府の初代っ総理大臣になったのが、長州の伊藤博文。 身分の卑しい大の女好き。 イギリス・ロンドンに留学していた時には、国費留学のお金を全てロンドンに風俗に使ってしまったことは記録にも残され、これを大英帝国・ロスチャイルドに利用されたのです。

 

伊藤博文(いとうひろぶみ)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ca7f4be65dea8e31e8607c66e398a2dc

 

徳川埋蔵金? そんなもの長州率いる明治政府が。個人資産も含めて、使ってしまっているのは当たり前じゃないですか、常識で考えましょう。  日本にある数多くの財閥の大半は明治以降ですよ。 こんなことがわからないようではイケマセン。 アホネ!

 

住友・三井は歴史ある老舗の大財閥ですが、三菱とて明治以降にできた財閥です。

 

 

 

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20. アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-20  アラスカhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/105b1df6a81f027f4831fb6fbb163225

21. アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-21  ハワイ併合
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22. アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-22  スペイン継承戦争から7年戦争まで
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23. アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-23  北欧系移民
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24. アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-24 アイルランド系https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e6f8414942b7ff121bb4a7ab5eda03d3

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31. アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-31 ボシェによるフランスでの王権神授説
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アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-31 ボシェによるフランスでの王権神授説

2024-04-16 12:46:32 | ヨーロッパ・ロシア・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-30 独立宣言https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/af926b1fe3c217c7e252d562a9d96072

からの続き

 

イギリスの政治思想が国家主権の根元を求めて、『王権神授説』→『社会契約説』→『人間性説』と発展したように、フランスでも似た道をたどって政治思想が発展しました。

ただし、イギリスでは宗教上の対立から起こった革命のなかで王権神授説に替わる者として社会契約説がでてきたのに対し、フランスではイギリスの影響を受けて生まれた社会契約説が実際に革命を引き起こしてしまったのです。

まさに、ヒュームが怖れていたことです。

 

フランスにおける『王権神授説』はボシェに代表されます。 ジャック・ベニーニュ・ボシェ(1627-1704)はフランスの宗教家です。雄弁でもって知られ、今も文体の手本とされています。

ルイ14世の皇太子の家庭教師となり、その教育のための『世界史論』において『王権神授説』を洗練させ、ブルボン王朝(1594年ブルボン王朝発足)の公式の政治理論として大きな影響力をもちました。

フランスは、中世においてはイギリスより栄えた国家でしたが、近代国民国家の成立に手間取り、次第にイギリスより遅れてしまいました。

 

・大英帝国の繁栄とプレートテクニクスhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/285caf17b19e27612c1d00df5871c377

 

ルイ14世(1643~1715)が頑張りましたが、18世紀初めの」ユトレヒト条約によって海外領土争奪戦でイギリスに破れ、1763年のパリ条約で決定的に世界帝国としては敗北してしまいす。

17世紀にはフランス、特にパリが世界の中心となり、当時の名残から今も外交用語でフランス語が重用されています。

しかし、18世紀には逆にフランスでイギリス熱が燃え上がります。 当時のフランスの意知識人の多くは、イギリス旅行をしたりして、イギリス思想の影をお受けました。

経済面でも、18世紀後半にはイギリスの『産業革命』の成果を取り入れようとしますが、無理があり、革命が爆発してしまいました。

 

 

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