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アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-4 黒人奴隷制の確立

2024-02-12 21:58:59 | ヨーロッパ・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-3 貧しい白人・年季奉公人とインディアン
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/876574644b25092fa9be15eb65af9d96
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黒人奴隷制の確立

ベーコンの反乱に見られたインディアンからの土地収奪の要求は、人口増加と社会階級の固定化がもたらす白人間の社会問題を緩和する可能性を示しました。

しかし、これは土地集積を拡大しつつあった大土地所有者たtにとては、新たな労働力供給減を必要とすることになります。

ところが、王政復古後の1660年頃から、本国からの移住が急速に減少しました。代わって、黒人奴隷人口の流入が始まります。 1640年、ヴァージニアの黒人人口はわずか150人に過ぎず、しかも彼らのすべてが奴隷だった訳ではありません。

また奴隷の法制上の規定も確立しておらず、一定期間とはいえ強制労働の義務を背負っていた白人奉公人との社会的身分上の違いも、必ずしも明瞭ではありませんでした。

 

しかし、1661年には奴隷制を確認する法律が生まれ、英本国商人のアフリカ奴隷貿易参入が活発化し、ヴァージニアの黒人、人口は1680年には3000人に増加し、1704年には白人人口7万5600人に達しました。

翌1705年のヴァージニア奴隷法は、この植民地における奴隷法の集大成とまなされており、ここに黒人奴隷制南部社会の原型が確立されます。

 

その後、黒人人口は増え続け、独立直後1790年の第一回国税調査によれば、合衆国総人口393万人のうち70万人が黒人でした。

そのうち30万人がヴァージニア州に住んでおり、メリーランド、ノースカロライナ、サウスカロライナにそれぞれ約10万人づつ住んでいました。

しかし、長い間辺境のちとみなされ、1733年五なって公式に植民地として建設されたジョージアには、まだこの時点では3万人弱の奴隷しかいませんでした。

 

 

 

(関連情報)

・アメリカを正しく新式する 建国までの歴史概略-1 女王陛下の植民運動とヴァージニアの建設https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9477875a78a94afcd5f08158083492c9


・アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略ー2 イギリス植民者の食糧涸渇と餓死
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9477875a78a94afcd5f08158083492c9


・アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-3 貧しい白人・年季奉公人とインディアン
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/876574644b25092fa9be15eb65af9d96

 

 


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