アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略-4 黒人奴隷制の確立
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チェサピーク湾地域における信仰の自由
メリーランドは、同じチェサピーク湾に建設された大土地所有制に基づく奴隷制タバコ植民地として、経済史的にはヴァージニアと一括して通常論られるのが一般的です。
しかし、政治史的には特筆すべきものがあります。 この植民地は、1632年、チェサピーク湾沿岸のポトマック川以北の地域に、カトリック教徒の若き二代目ボルティモア卿セシリウス・カルヴァートに特別許可された領主植民地として建設されました。
当時、すでにカトリック教徒はイギリス国教会の支配体制下で少数派の立場にあったので、彼らのための安住の地となることが期待されていました。
しかし、カトリック教徒領主の支配下にあっても住民の圧倒的多数はプロテスタントだったので、新教徒諸派も早くから信仰の自由を享受しました。
また18世紀に入ると、ペンシルヴェニアを経由して、長老派のスコッチ・アイリッシュやドイツ系移住者が南下し、メリーランドからさらにヴァージニア奥地にまで達しました。
その結果、独立革命前夜までにはチェサピーク沿岸植民地域全体の白人人口の民族文化的構成が多元化しました。
この人口の多元化が、王領植民地ヴァージニアにおける『英国国教会』の支配力を低下させることになります。
1730年代から1740年代にかけての『第一次覚醒運動』にも触発されて、『長老派』や『洗礼派』の影響が力が強まり、本国から派遣された英国教会牧師』の俸給のための『課税』に対する反対闘争が激化しました。
当時、英国教会の牧師職自体がしばしば利権として政治的闘争の的になっていました。 特権階級化した英国教会牧師たちは、広大な領域に散在して住んでいる住民の一人一人の魂の救いのための努力を怠っていました。
こうして、最も戦闘的な繁栄闘争の闘士、スコッチ・アイリッシュのパトリック・ヘンリー、熱烈な信教の自由の擁護者、トーマス・ジェファーソンやジェームス・マディソンが独立革命中、この植民地から登場することになります。
(関連情報)
・アメリカを正しく新式する 建国までの歴史概略-1 女王陛下の植民運動とヴァージニアの建設https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/9477875a78a94afcd5f08158083492c9
・アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略ー2 イギリス植民者の食糧涸渇と餓死
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