月は東に

Get Out Of That Rut & Savor Life

耕史君a la carte Part21 2006(追記あり)

2006-06-21 18:56:33 | Koji’s Entertainment
いつ撮った写真か知りませんが、耕史君の爽やかな笑顔はいいとしてレザーがちょっと暑苦しいわ(名古屋はもう真夏なのよ暑いのよ、これに湿気が来たらもう)

買ってきました『ステラ6/30号』
“新連載 テレビ Who’s Who”というのは新連載なのねー(よく見たらWeb記事にちゃんと書いてあったわ)そのトップバッターとはいいことだ
写真はWeb記事と同じです。
インタ内容については皆様ご自分でご確認くださいだってこれの感想書いたら、インタ全文掲載しちゃいそうだし………どうしても『ステラ』が読めないという方は(いるのか?)他ブログさんのちゃんとしたレポをお探しください。

ウチはBSが観れないのでもちろん『毎日モーツァルト』も観てません。
「観てません」とは言うものの、一応、実家の妹に録画を頼んでるから少しは観れたんだけど、最近はずいぶん撮り忘れもあって、観てないに等しい
実家はハイビジョンも観れるのに、肝心のHDDがないのよね。だから録画も大変なのでムリ言えないや(子育てもあるし)

モーツァルトに関しては映画やミュージカルを観てるし、かよこさんのレポも(いつもありがとねー)読んでるので、少しは知ってると言えるのかなあ。
耕史君も言ってるけど、モーツァルトって“音楽”以外に関しては意外と普通の人(エキセントリックだったり、若さゆえのはめはずしはあるにしても/あ、でも手紙は結構個性的か
彼のひととなりをみると、神様がほんの気まぐれで普通の人間に大きな宝箱を与えてしまったのかなと思ったりします。

『天才』(宮城音弥著/岩波新書)という本の中にこういう文章があります。
天才は不適応者だ。社会的適応性を犠牲にして創造作用を行う人間だ。

モーツァルトのレオポルトに対する反発や、コロレド大司教との確執。
普通の青年ならば当たり前のような、父親や上司に対する通過儀礼も、“天才”にとっては“非社会的行動”であるなら、“天才”として存在することにどれほどの意味があるのかと考えてしまいます。
尤も、その存在を求め、飽きてしまえばすぐに次の“天才”を求めるのは、今も昔もおそらく未来も、私を含めた“普通の人々”なんでしょうけどね。



《追記》記事書いてから気づいたけど、耕史君のこと全然書いてないーーー
えーと、耕史君が好きなモーツァルトの手紙は(とってつけたようで失礼)
「僕の愛するものをあなたが愛するなら、あなたはあなた自身を愛するのです」
だそうです。素敵
………こういうの言われてみたいと思いつつ、もしオットがこんなこと言ったら、もうボケが来たんかと思ってしまうドライというか無神経な私には、無用の長物だわ。
耕史君はいつかどこかで誰かに言うのかな。……もう言ってたりして

締めの言葉が
じっと見ていなくても、テレビをつけてなんとなく聴いているだけで、いつのまにか五感に浸透していく。朝の1杯のコーヒーのように、この番組でどうかくつろいだひとときを過ごしてください。
耕史君の声でくつろぎたいーーーーー
朝8時から10分間て、私は(オットは私の1時間前に出勤)朝ごはんの時間なのよねー。
『毎日モーツァルト』を観るには丁度いいんだけどなあ。
ま、BS観れるようにすりゃいい話なんですが……オットがケーブルがどうのこうの言ってるので当分ムリなようです



さーて今夜は、やっと“『メイド』初体験!メイドと萌え萌えゲーム!!”
今回はさすがに我慢しきれなくって、友ブログの記事を読んでしまったので萌え萌えこーじの様子は知ってるけど、それゆえに早く“動く萌え萌えこーじ”を観たいです!!!!!
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