物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

姫街道(東海道 本坂道)

2023-04-28 | 行った所

姫街道とはまたずいぶんと可愛い名前である。遠国の大名同士の縁組は、よくあることとはいえ、姫君の御輿入れは互いの江戸屋敷でのことだったろうから、姫様道中などはあるはずもなく、猫姫様がお通りになった由縁などないが、心惹かれる街道である。
姫街道の名は比較的新しく、もともとは「本坂道」とよばれた東海道の脇街道である。脇街道とはいえ、古くは東海道のそのもので、浜名湖南側の道が整備されるまでは本街道だったらしい。
浜名湖と遠州灘の間の渡しは、天候によっては渡れず、また地震に因る不通期間もあったようで、本阪通の往還はそれなりに繁盛したようである。
姫街道は西から行けば、御油宿が追分となる。まっすぐ東へ嵩山宿、本阪峠を経て三ケ日へ。次が気賀宿でここには関所があった。峠越えとは言いながら、小夜の中山、宇津峠に比べれば、ゆるい坂に見える。気賀から三方原を抜ける。追分があり、南が浜松へ向かう。道なりに東南方向は天竜川の渡しの手前、市野宿へ向かう。浜松を通らない分道程は短くなるのだろう。
*東海道・姫街道地図 ウィキペディアより

三ケ日インターを降りて、姫街道とは離れるが、浜名湖の北岸沿いに細江町気賀に向かう。浜名湖がぐっと北に入込み、細江神社がある。この神社は元は浜名湖南岸の新居付近にあったらしい。それが明応7年(1498)の地震と津波で流され、浜名湖北岸に流れ着いたのだという。明応大地震である。東南海地震であろう。
 細江神社

 細江神社大楠
 細江神社漂着図
 細江神社由緒


細江神社の近くに「姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館」がある。

 資料館脇の産屋 1,2

小ぶりで入場無料の資料館である。1Fには浜名湖の漁労とイグサ茣蓙織に関する民俗資料が主である。2Fが姫街道関係の史料と出土銅鐸の展示である。
銅鐸は人が手持って鳴らす小ぶりの銅鐸のモデルが2体もあったが、実際に出土したのは大型の見る・拝む銅鐸ばかりのようだ。出土状況も復元されて入り、他での出土例のごとく、横にしてひれを天地に向けている。大型品ばかりの所為か入子はないようだ。

資料館の後ろに東林寺という寺があった。
 東林寺 


 東林寺のボンタン 花と実が一緒になっている。実は去年のものだろうか。
資料館と東林寺の間に「犬走道」というのがある。気賀関は厳しいので、地元の人たちはこの道を使ったとか。犬が潜るのは仕方がない、という関所の法の抜け道でもあったらしい。資料館にあった写真では人ひとりが通るのがやっとの道に見える。

 気賀の関所跡 


気賀から南東に下る道は所々に松並木の残る街道の面影ある道だ。257号線である。途中、一里塚があった。
 松並木
 東大山一里塚

 東大山一里塚 街道を挟んである

翌朝、浜松から新居関跡まで行ってみた。浜松バイパスを行ったので、昔の道はわからない。遠州灘が見えた。
新居関の資料館は休館だった
 
新居は豊田佐吉の生まれ育ったところとか。


コメント    この記事についてブログを書く
« 平康頼「宝物集」のこと | トップ | 熊野の長藤 »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。