物忘れ防止のためのメモ

物忘れの激しい猫のための備忘録

2019GoldenWeek 四国 別子・今治

2019-05-30 | 行った所

4月30日火曜、3日目です。
雨はやんでいるものの振り出しそうな雲は相変わらず、この季節にしてはさえない日が続く。

連れが右足首が痛いという。捻挫したらしい。どこで?金比羅?いったい何時よ?その後、金丸座・塩飽と歩き回ったではないか。瀬戸大橋記念館では疲れて半分はベンチにいたような私をしり目に展示を見て歩いていたではないか。どうも自分でもどこでひねったのか自覚がないようだ。幸い運転には支障がないという。まあ捻挫なら、そう大したことはあるまい、高括ったのが悪かったのだが、それは後の話。

高松を出て新居浜、別子へ向かう。愛媛に入る。
別子銅山記念館は変わった建物だった。鉱山の坑道でもイメージしたのか、半地下というよりほとんど地下にもぐっていると言っていい。
屋根というか屋上というかは、つつじの植込に覆われている。花咲き誇る時期の写真もあったが、ほとんど咲いていなかった。
すぐわきの大山積神社の境内にディーゼル車が置いてある。なんでこんなものがあるのかといぶかしかったのだが、館内に入って解かった、鉱山鉄道が走っていたのだ。


面白い施設だ。大阪の博物館で、住友の前身の銅吹所の模型を見た。あの作業の前段階がここになる。
坑道の模型があった。細い針金上のものをつなぎ合わせ、地下に張り巡らされた坑道を模しているのだ。最初見た時には何かわからなかった。坑道だ、と思った瞬間圧倒される。こんなものを人が掘り、中で働き、生きたのか。
そして一つの産業が生まれ発展し、衰退に向かいながら次の事業、産業を生み出していく。産業遺跡、産業の歴史をこうしてとどめることに大きな意義がある。但し、なんというのかな、どうも触れてほしくないところは巧みに避けている。そんな気がしてしまった。
記念館を出ると「マイントピア、東洋のマチュピチュ」などと書いた看板がある。行ってみるかと向かったが、それらしいところへ来てみれば、道の駅のようなところで、駐車場は混み、建物内はもっと混雑。ここから鉱山跡地を観光地化したマチュピチュとやらへ行く乗り物に乗るための行列らしい。子連れが多く、大変な観光地のようだ。パスして引き返す。

今治へ向かう

しまなみ海道の四国側玄関、来栖海峡 



狂ったように潮が流れるから「くるす」という。サービスエリアに橋を吊るすケーブルの模型があった。
ざっとでも瀬戸大橋記念館を見ておいてよかった。あの部分か、と思う。



橋を渡ると自転車用に側道が作ってある。結構走っている。

大島の村上水軍博物館へ行く。
見て楽しめるよう、うまく作ってある。こういう資料館の展示は本当にうまくなったと思う。「博物館行き」は古くて使い物にならないことを言うが、そうした物の価値も少しは認められるようになったのかな。
しかし、ここも自分たちの最盛期自慢だな。塩飽は能島の手下だったようなことが書いてある。そういう時期もあったろうが、塩飽は喜ばないだろう。

今治に戻る。
雨が落ちてきた。今治城へ行く。
藤堂高虎の築城だが、天守等は再建されたものだ。広い堀の水は海水を引き込んでいる。



ホテルで食べた鯛がうまかった。
隣室の宿泊客は、千葉から尾道から車できて、今日はしまなみ80kmを自転車で走ったそうだ。
最後は雨に降られたようだ。子連れで走っている人たちも目に付いたが、大変だったろう。
自転車、ということは考えないでもなかったのだが、あっさり断念して正解だった。橋へ上る坂、島内での道・・・わが目で見ればとても無理!!な話だった。

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