葛井寺で「ふじいでら」と読む。
「河内飛鳥時代」というのは用語として解しかねる。こんなところで阿保親王や在原業平に出くわすとは思ってもみなかったのだが、この案内板は何をいっているのかは判然としがたい。
葛井氏というのは、百済系の氏族であるらしい。阿保親王の母は葛井藤子というらしく藤嗣子はわからない。阿保親王の息子である業平が、摂津のみならずこの辺に所領を持っていたとしても不思議はないわけか。
葛井寺前の道標。右 一行目はつぼさか よしの 二行目 はせ いせ 左 一行目 〇〇寺 た川た 二行目 ほうりゅうじ なら
左一行目の〇〇寺の下はたった 竜田かもしれない。ただどちらもどういう道をたどるのかぴんと来ない。東西南北に道の交わる要衝ではあったのだろうが。