法華寺 言わずと知れた光明子の寺。以前も来たことはあるのだが、こぎれいにしている寺という印象しか持てず、光明子を模したという十一面観音は秘仏で、小さい模作が公開されているのだがどうも感心しない、というのは以前と変わらず、それでも場所の意味など把握できるようになっただけましか。
法華寺庭園
横笛堂
横笛像
横笛堂などがあるのも初めて分かった。とはいえ滝口入道と横笛の話は好きにもなれない。若さ故といえばそれまでだが、どちらも思い込みが激しくやっていられない。がともあれ、平家物語第10巻「横笛」には建礼門院雑仕女横笛が滝口の武士斎藤時頼に言い寄られる。父に身分違いを説かれるも諦めきれない時頼は嵯峨野で出家する。それを聞いた横笛は嵯峨野に時頼を追うが、すげなくされる。横笛は法華寺にて出家するが、間もなく死ぬ。(岩波ワイド文庫:異本では大井川に身を投げて死ぬことになっているらしい)
光明子が建てたとかいう蒸し風呂。どこまでが伝説なのか。
海龍王寺は法華寺の東に背中合わせの位置にある。光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられたことから隅寺。僧玄昉の寺だという。私は吉備真備といつもごっちゃにしてしまう。共に橘諸兄のもとで力を持つが、反発する勢力の藤原広嗣が乱を起こす。広嗣の乱はすぐ平定されるが、次に藤原仲麻呂が力を持つと筑紫に追放され、そこで死ぬ。吉備真備の方は仲麻呂の乱の平定に力を発揮する。とはいえ彼らはすでに高齢だった。
こういう小塔を見ると、何故大きな塔を必要としたのかと思う。仏舎利を入れるだけならこれで十分だったはずだ。三重塔・五重塔・現存例のない七重塔。莫大な資金と技術、建てずにはいられなかったのだろうか。
不退寺
法華寺や海龍王寺とは背景を異にする。平安時代、在原業平に縁がある。業平は平城天皇の孫だ。桓武が遷都した平城への遷都を画策したという平城だ、その子の阿保親王が平城京近くに居を持っていても不思議はないかもしれないが、平城上皇の乱(薬子の乱)を平らげた嵯峨の息子仁明が、この地に寺の創設を勅願するのは何故だろう。
伊勢物語には意外に奈良の話が出てくる。初冠(ういこうぶり)は奈良の話だ。
不退寺多宝塔
不退寺に古墳の石棺があった。ウワナベ古墳近くで掘り出され、鎌研ぎに使われていたという。
ウワナベ・コナベ・ヒシアゲ古墳、佐紀盾列古墳群を形成する堂々たる大古墳群だ。倭の五王の時代が始まるその直前、巨大な古墳群が百舌鳥・古市に築かれる前段階のものだといわれる。宮内庁の陵墓参考地だから本格的調査は行われていない。更にアクセスは悪い。
北が右方向
ウワナベの直東を24号線が走る。左折できる道がない。漸く入ると自衛隊の敷地に阻まれる。ややこしいなあ。