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「平家物語」の馬 井上黒

2022-02-11 | まとめ書き

戦に馬は付き物だ。馬達は武者を乗せ、戦場狭しと駆け回る。武者は防具に身を固め、弓を引き太刀を振り回す。替え馬も要る、夥しい馬が戦場へ引き出され、死んだことだろう。古墳時代中期、馬具が副葬品として大量に出土し始める。5世紀半ば以降、乱といえば馬は必要不可欠だった。伝令にも馬は走り、軍は馬とともに動いた。良馬を出す牧は産業として成立した。古代・中世・近世を通じ、いや昭和の戦争の時も、馬牧には頭数が割り振られ、戦場へ送る馬が出さされた。日本生まれの馬は満州の厳しい気候に耐え切れず、ことごとく死んでいったという。

平家物語も「軍記もの」の一つだから当然合戦が多く、馬もどっさり出てくるが、名のある馬は稀で、有名なのは宇治川の先陣争いをしたイケヅキ・スルスミだろうが、出身地や行方まで書いてあるのは井上黒という平知盛の乗った馬だけだ。(岩波文庫ワイド版)

平家物語第9巻の一の谷の合戦は平家の惨敗に終わり、名立たる強者、御曹司も討たれ、生け捕られあるいは、沖の助け舟目指して落ちていく。敦盛が死ぬ哀切な章の次が「知章最期」でここに井上黒のことが書かれる。

新中納言知盛は生田の杜の合戦の指揮をしていたが、戦敗れ、息子知章と侍一人の3騎となって落ちている。そこへ武蔵七党の児玉党の10数騎が押し寄せてくる。知章と侍が奮戦、児玉党を防いでいる間に、知盛は船に向かう。知盛は「究境」の名馬に乗っている。知盛は馬を泳がし、沖へ向かう。「海のおもて二十余町およがせて」とあるのだが、註に2キロ程とある。馬はは泳ぐとは言うけれど、鎧武者を乗せた馬がそんなに泳げるものなのか。それどころか、この馬は乗船した知盛との別れを厭い、船に慕って沖へついてくる。ついに諦め、岸へ戻る。往復5キロは泳いだのだろうか。

この後の藤戸の戦いで、佐々木盛綱が藤戸から児島へ海を渡ったというけれど、漁師に教えてもらった浅瀬で、所々馬の背の立つところのある場所を十余町渡ったのである。あろうことか、盛綱は浅瀬の秘密を味方に隠すため漁師を殺しさえしている。だが、頼朝は「昔から川を馬で渡る者はいたが、海を渡ったためしは我朝希代」と褒め上げ、佐々木に児島を与えた。

井上黒はやはり並の馬ではなかったということだろうか。
知盛が馬と共に乗船できなかったのは、船の中は逃げ込んだ人でいっぱいだったからだ。止む無く馬を岸に返そうとする知盛だが、阿波民部重能は、こんな立派な馬を敵に渡すくらいなら射殺そう、というのだが、知盛は止める。
漸く岸に着いた馬は、船の方を振り返って嘶く。その後休んでいるところを河越小太郎重房に捕らえられる。河越は後白河院に献上した。
もともと院の厩で最も大切な馬とされた馬であった。平宗盛が内大臣になった時、後白河から宗盛に渡された引き出物だった。これを知盛が気に入り預かった。知盛はこの馬を大事にし、馬の延命祈願を月ごとに行っていたくらいだった。馬は信州の井上の産で井上黒と呼ばれた。後には河越が献上したから河越黒とも呼ばれた。

長野県須崎市に井上という地名がある。井上黒はこの辺りの出身であるのか。牧があったのだろう。放牧主体で、傾斜地を走り回って育ったのだろう。おそらく二歳馬で京へ連れられたのだろう。その頃から、これは、と思われるようなたくましく賢い馬だったのだろう。
井上牧という官牧はないが誰か有力者の献上だったのだろうか。井上は、源頼信の子で頼義の弟頼季が信濃に領地を得、名字として井上頼季を名乗ったところだそうである。
横田河原の合戦で、木曽義仲と共に戦った井上光盛という武者がいる。彼はその一族だろうか。
平家物語第6巻「横田河原合戦」「信濃源氏井上九郎光盛がはかりごとに、にわかに赤旗を七ながれを作り、3000余騎を7手に分かち・・・・・次第に近こうなりければ、合図を定めて七手が一つになり、一度に時をどっとぞ作ける。用意したる白旗をざっと差し上げたり」佐伯真一「戦場の精神史」に卑怯とされなかっただまし討ちの例に上がっている。


平宗盛が内大臣になったのは、寿永1年10月(1182)であった。一の谷は寿永3年2月(1184)である。井上黒が院の御厩にいたのがどれくらいかわからないが、海を泳いだこの時、5・6歳以上にはなっていたのだろうか。競走馬の最盛期は4・5歳だという、ただそれは競走馬としての話で円熟は別かもしれない。井上黒の一の谷の馬齢は人間に例えれば、平家物語で活躍する人間がそうであった30歳前後に比定されるものだったのではないだろうか。

その後はどうなったのだろう?院の御厩からまた別の誰かに下賜されたのか。

知盛は持病があり、癲癇持ちではなかったか言われるから実際の活躍の場は制限されたものであったかもしれない。しかし物語の中の彼は、将にヒーローの一人だ。兄宗盛が武将として頼りなさすぎる所為もあるが、事実上平家を引っ張る総大将だ。
泣かせる名台詞も多い。
都落ちに際し、畠山・小山・宇都宮の面々が動向を申し出たのに「汝らが魂は、皆東国にこそあるらんに、ぬけがらばかり西国に召し具す用なし」
一の谷の後、阿波民部重能には「何の物にもなれ、わが命を助けたらんものを。あるべうもなし。」
この阿波民部重能は壇ノ浦で最終的に平家を裏切っている。重能には重能の事情もあるのだが。
助け船の中で、宗盛に対し、息子と侍を見捨て一人逃げ、助かった心情を吐露している。「いかなる親なれば、子の討たるるを助けずして、かやうにのがれ参って候らんと・・・・」
そして極めつけ、壇ノ浦の最期、「見るべきものは見つ」
この物語のヒーロー知盛だからこそ一年半に満たぬ間に、井上黒と揺ぎ無き信頼の物語が紡がれる。

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