ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

真の寒さ

2017-12-16 | アメリカ事情

合衆国の降雪地帯の州に学生時代住んだので、冬の寒さを知っている。 吹雪や凍結した道路を運転することがどのようなことなのかも知っているつもりである。 その州の冬、早朝や夜の運転では、ブラックアイスと言われる路面凍結の一種が、厄介者であり、特に注意を要する。 今は温暖なところに住むが、それでも朝晩霜が降りたり、氷点下に下る気温もある。


柑橘類を栽培する農園では、その規模が大きいので、防寒対策は、日本のように藁を被せたり、巻いたりは、せず、気温が落ちる前に灌漑用水をいれて土壌を湿らせ、水を木にスプレイしたり、農地に立てられている多くのファンを回して、温度をあげようと努力する。 町にWarming Schelterあるいはステイションと言って、ホームレスや経済的に暖房費が容易に出せない人々が昼夜暖をとれる場所が設けられる。



https://si.wsj.net/public/resources/images/BN-FR516_1121cm_J_20141121160138.jpg

わざとつららを下げて、オレンジが凍るのを防ぐ


陽光溢れるカリフォルニアとて、氷河はあるし、アラスカとハワイを除く48州での最高峰は、カリフォルニア州シエラネヴァダ山脈のMt. Whitney(フィットニー山)で海抜14,494フィートある。東部や中西部とは異なっているが、冬の寒さは、存在するのである。 それでも、ヴァレーに住む私は、冬でも雪知らずでいられる。ありがたい。

 

北海道で、父親が幼い娘を守って凍死した、というニュースが2013年あった。 父親が幼い娘を守るようにして、その命を極寒に奪われた事も、父親の愛情にも驚いた。いろいろな不運が重なって、こういう結果になってしまったと聞く。 

 

 
当時小学校三年生だった少女は、この事件の数年前に母親を亡くしている。 親戚に引き取られそうだが、今元気な中学生でいらしたらいいと思う。 この父親は自らが”コート”になって、愛する娘の体を守り、それが娘への最後のそして最大のギフトであった。 

真の寒さを、果たして私は知っているのだろうか? そんな寒さの中、コートも分厚い靴下もなく、街角に佇む人々がいる。その人々に私は、何をしたら良いのか。 

http://inapcache.boston.com


今日12月16日のクリスマスカレンダーは、"[I was] naked, and ye clothed me." —Matthew 25:36 (私が)裸であったときに着せ、である。。。それでは、私に何ができるだろうか。

 
もし新しく衣服を買うとしたら、もう着なくなる衣類を寄付しよう。少しでも冬の寒さを知っている私ならば、バーリントン(通常製品のコートその他を安価で売る店)へ行って、コートを買えば、それを寄付できる。オンラインで衣服を買うならば、そのオンラインストアが売り上げの一部を、恵まれない方々の施設へ直接寄付するところを選ぶ。

そういえば、長男のイーグルスカウトのプロジェクトは、Coat Driveで、人々の使わないコートを集めて、救済団体に寄付することだった。 あの時、多くの人々は、たくさんのコート、それも新しい物も含めて寄付し、冷蔵庫や洗濯機が入るような大きさの箱三つに入れられ、町のホームレスシェルターへ運ばれ、その日のうちに必要な人々に配られた。人々は寛容に寄付をするが、寒い時期のコートドライブでは、寒さを知る人々が、我さきに寄付をしてくれる。 こんな時、吐く息が白くても、手がかじかんでも、心は温かい。
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明かり

2017-12-15 | アメリカ事情

https://www.visitphoenix.com/events/by-season/

 

国境の町に住んでいた時、毎年クリスマスになると、メキシコ系住民の住む通りでは、いつもLuminarias(あかり)を前庭に飾っていた。これはキリストの降誕を祝う、降誕を知らせるという意味があり、スペイン人(やスパンニッシュ系の人々)が行ってきたことである。 数百年ほど昔は、米国南西部産の低木松を十字に組んだ3フィートほどの篝火を焚いたそうだが、スペインの探検家たちが中国の紙提灯を見つけて以来、紙の袋を使うようになったそうである。 今は、ちいさなブラウンバッグに砂を入れ、そこに蝋燭を入れて点火している。 もっとも安全上の理由から、本物の蝋燭ではなく、フェイク蝋燭の小さなものを入れて使うことも多い。 それを道を照らすがごとくに、前庭の通路に置いていく。

 

https://www.google.com

 

この習慣はニューメキシコ州、アリゾナ州、そしてカリフォルニア州(南部)では未だに盛んな行事で、クリスマスイルミネイションも美しいが、Luminarias(ルミナリアあるいはルミナリアス)は、情緒があり、心が安らぐ。 乾燥したカリフォルニア州の南部では今ワイルドファイアが猛威を振るい、先日の北加以上にひどい被害となっているので、火災を起こしかねない蝋燭と火を使うよりも、フェイク蝋燭を用いることを私はおすすめする。作り方は簡単。

 

https://www.almanac.com/content/how-make-luminarias

 

  • サンドウィッチランチを入れるような小さめのブラウンの紙の袋
  • フェイク蝋燭(コスコなどでは、多数がひと箱に入って安価で売られてたりする) 
  • 袋の中に入れる重しのための砂

 

                              

                                                                    http://clipartsign.com/image/28587/

 

夕刻、先に砂を入れた袋を等間隔に通路に置いて、そこへあとからフェイク蝋燭を灯して袋の中に入れていく。 ルミナリアスは、お盆の迎え火を連想させる。国や宗教を違えても、暗闇の明かりは、誰の心も和やかにさせる。

 

さて今日12月13日のクリスマスカレンダーは、"Blessed are the merciful." —Matthew 5:7 あわれみ深い人たちは、さいわいである。

ルミナリアスは、自分の家の外に置いているので、クリスマスイルミネイションと同様、家の中からは、見えにくいものである。 自分以外の、行きゆく人々の目を楽しませるわけである。 大儀をかざさずに、もし闇夜のほのかな明かりのような、ちいさな親切を見かけると、この時期は特に、ホッとするものである。 たとえば、同僚が、多くの仕事を抱えて頭を抱えていたら、どのように彼・彼女を助けられるか、尋ねてみたりしたい。 横断歩道を一人で渡るのを躊躇している素振りのお年寄りに気が付くと、あなたはどうしますか?

 
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大切なことは

2017-12-14 | アメリカ事情

 

昨今はインターネットショッピングが盛んで、よって各配送業者の配達員が、特にクリスマスシーズン中は、我家にもよくやってくる。UPS(あの茶色い配達車ートラック,とは言わないそうであるーで配送している)は、例えば左にターンせず、必ず右ターン(日本ならば左)で道を曲がること、などという細かいコードがある。そして厳しく管理されている時間。今の時期、たくさんの発送物を抱えて早く早く、とばかりに次の家へ回るのである。できるだけ早めに、正確な住所に、そして品物を壊さないように、と注意をしてUPSマンは働いている。UPSだけではなく、USPS (合衆国ポスタルサーヴィス=郵便局)や、FedExなどいくつかある。

 

https://upload.wikimedia.org  UPSの配達車

 

この忙しい時期、犬に噛みつかれるのは、仕事のうち、と言われる茶色い配達車であちらこちらを行くUPS配達人を見ると、いつもお疲れ様、ご苦労さまです、と思う。そして、昨日Pinterestを何気なく見ていて、こんな写真をたくさん見つけた。これらは、UPSや、USPSや、その他の配達員への、ギフトである。簡単なスナックや水、ソーダなどを大きな箱や容器に、取りやすいようにポーチや玄関先に置いてあるのだ。 


こうしたものを「配達員(ドライバー)さん、御自由にお持ちください。いつもありがとうございます」と、感謝の言葉と共に書いてある。これを見た時、「あなたの宝のある所には、心もある。。。」(マタイ伝6:21)を思った。あなたの宝、それは家族、その家族の住む場所には、あなたの思いやりもある、と。それは今日12月14日のクリスマスカレンダーである。

 

  

https://www.instagram.com/p/BckgDgKh29U/

 

 

http://www.scarymommy.com/gift-box-ups-viral-facebook-post/

 

 

貴方の宝は、貴方と家族の住む家かもしれない。貴方が、人生で何が一番重要かを見失わない限り、そして他者への思いやりを忘れなければ、この世で所有することは、何も悪くはない。時には、その他者への思いやりに、真の幸福を見つけられるかもしれない。何が重要であるかに焦点をあてるための提案が下である。

  • 多忙を物語る貴方の予定表の一部を白紙にして、貴方の大切な人と過ごす時間を作りませんか?
  • 生活に支障をきたさない程度のお金がありますか? 貴方の大切な子供や孫のために、大学進学基金・預金に、あるいは、お住まいの地域の福祉活動に、少額でも寄付をしませんか?
  • 貴方のお好きなお食事は何でしょうか?それ一回分の費用で、ひもじい思いをしているホームレスを食べさせることができるかもしれません。お金で渡すのではなく、ギフトカードやチケットで買って渡すのです。アメリカでは、マクドナルドなどのハンバーガーチェインで、そうした冊子を売っています。
 


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黄金律

2017-12-13 | アメリカ事情

 https://www.btcsoftware.co.uk


テネシー州ノックスヴィルの中学生、キートン・ジョーンズは、ある日学校をお昼前に早退したいと母親に知らせ、車の中で母親に何故なのか話し始めた。 キートンは、大粒の涙をこぼしながら、昼休みにいじめっ子たちが、彼にしてきたことを話始めた。


「お前は醜い」とののしり、からかいが始まり、そのうちに、ミルクをキートンの頭からかける、食べ物を彼の服の中に押し込む、パンを彼めがけて飛ばすなどに発展したと言う。キートンは腫瘍と共に生まれてきているが、彼のどこも醜いところはなく、家に帰れば、ごく普通の男の子で、学校では真面目な生徒である。こうして母親が早退する息子を再度迎えに来た時、これを記録しておかねば、とカメラを回したそうである。 

ここを参照。

 

これは、ハッシュタグがいくつか付き、#IstandwithKeaton,#Keatonstrong, #KeatonJonesなどで、SNSで拡散され始めたのが先週の金曜日である。そしてスポーツ、芸能、政治あらゆる分野の有名人がキートンを励まし、スポーツ試合やテレビ番組やコンサートやらへ招待し、中にはお昼にキートンと昼食をするために学校へ赴いたスポーツ選手達もいた。歌手や映画俳優も、キートンの味方で、彼の学校をいつでも訪問して一緒に昼食をとりたいと述べた。

 

合衆国で人気のある心理学者でテレビ番組を持つドクター・フィル(Dr. Phil McGraw)もその一人で、彼のメッセージは的を得ていた。

ヘイ、キートン、いじめっ子が問題を持っていて、君じゃあないんだよ。 多くのいじめっ子は、家でいじめられて、学校で同じようにいじめるんだよ。 卑怯者はいつも野次馬が必要なんだ。 強くいて、キートン。 私はいつでも君と廊下を歩き、一緒に昼食を食べるつもりだよ。

 

同様の申し出のメッセ-ジはあらゆる有名人から舞い込み、下の写真左のJarrett Guarantano(テネシー州のフットボール選手)は、先週すでにキートンを訪問している。 そのほかにも歌手のジャスティン・ビーバーや、ドナルド・トランプJr.、バスケットボールのラヴロン・ジェイムスからも寄せられている。

 

それほど以前のことではないが、やはりプロフェッショナルのスポーツ選手男性が、キートンと同じく、昼食時間にからかわれ、いじめられている軽く自閉症を持つ少年を知り、その学校を訪ね、何食わぬ顔で、その少年に一緒に座って食事をしていいか尋ねて食べたことがあった。その後いじめていた子供たちは、あのXXXがあの子と食事をしている!と驚き、それは次には尊敬の念に変わり、いじめがなくなった、という。


フットボール選手などは体格もよく、背が高く、普通の人は、まず圧倒されるだろう。けれど、そうした人々は、キートンのような、いじめを受ける子供の話を聞くと、本当に即座に行動に移し、子供の学校を訪ね、その子と友達になりたい、と言う。そのやさしさは、巨人の大きなハートである。キートンが涙をこぼしながら、母親に訴えたいじめの窮状は、悲惨で、尋常な精神の持ち主は、どんな地位や名声があっても、まずこの子の助けになりたい、と願い、本当にそのようにする。 


いじめる子達も、元はいじめられていた子供でもある。いじめがどれほど下等で卑劣な行為か、わかっているはずなのに、八つ当たりでする子もいれば、行き場のない怒りを力のない者、弱い立場の者へ向ける。キートンは腫瘍を持って生まれ、外的にその戦いの跡があるのだろう。それが、いじめのターゲットになるとは、身も心も凍る。子供達の通った高校でも、子供達は、障害のある生徒への意地悪を目にしたと言う。 息子達は、次からは、その苛められた生徒と共に自分達の友人・仲間も入れて食事をしたそうだ。


キートンの学校の校長は、彼がいじめにあっていることを「知らなかった」とし、「すでに対策は取り、いじめていた子供達はそれ相当の処分を受けた。」と言う。どこの国でも同じ回答。普通学校のランチルームには、ランチモニターと言って、大人が教師であれ、ランチルームの管理者であれ、必ず付くことになっている。そのランチモニターが本当にいたのか、いても「気づかなかった」のか不思議である。 いじめは国を問わず、人種を問わず、いつの時代でもある。 もういい加減、この下等で卑劣なことをやめる時ではないのだろうか。

 

今日12月13日のクリスマスカレンダーは、「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」(マタイ伝7:12)である。 提案は、

  • ソーシャルミディアで、いじめられている人をご存知ですか? 今日たった今、そのいじめられている人についての肯定的(Positive)なメッセージをあなたから流す。 キートンと同じ境遇の人があなたの隣にいるかもしれない。
  • 貴方の一日を明るくさせることは何でしょう?そのことを他の人にしてみては?
  • 貴方はいままで、「言わなければよかった」という後悔をしたことがありますか? あなたの過ちを今ごめんなさいと謝ることは、実は遅すぎることではないかもしれない。今日謝る。


有名人であろうが、なかろうが、あなたが何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにすることは、本当はそんなに難しいことではない。

 

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悲しみの幸い

2017-12-12 | アメリカ事情

http://freeimagescollection.com


(愛する)人を亡くすという押しつぶされるような重圧感と、例えようのない損失感は、残された者を暗闇の奈落へ落とす。ただただその暗闇の底でひっそりと潜み、隠れていたい。本当に明日が来るのだろうか。光がさすのだろうか? 

   

 

https://onlybigbang.files.wordpress.com/2011/05/so-sad.jp


学校に上がる前の弟と私は、ある日庭に、亀がいるのを発見した。 横浜市内の家だったが、やや山間と言える場所で、夜は街灯の柱に、よくヤモリが貼り付いていた。 亀を見つけて、興奮気味に二人は、母親を呼び、母親は、じゃあ、これから野毛山動物園に預けてきましょうか、と言った。 幼い私達でも、亀はうちの庭にいるよりも、動物園で飼われたほうが幸せだろうと思ったので、その日のうちに亀を小さな入れ物にいれて、母と弟と手をつないで野毛山へ行くバスに乗った。動物園の人は、快く亀を引き受けてくれて、私達は、その亀が池に放たれるのを見てから、帰途についた。


小学校低学年の頃は、地蜘蛛取りに夢中になった弟と私。 我家だけではなく、他所のお宅へにもお邪魔した。 縁側の下を覗くと、大抵その蜘蛛は巣を作っていた。 それを採取しても、結局は原っぱに行って、放したのだが、そんなことを、弟とするのが楽しかった。 少し経つと、弟は父親から、昆虫採集セットを貰い、私も捕虫網を母に買って貰って、その夏、弟と私はファーブルの「弟子」となった。ある日は、二人共長靴を履いて、青々とした田んぼ道から水田を覗き、ちょろちょろと泳ぐオタマジャクシを持ってきた瓶に掬って、意気揚々として家に帰った。


「それ、もうすぐ皆カエルになるのよ? そんな大勢のカエル、どうするの? みんな、おうちに帰りたいと、泣くわよ。かわいそうだなあ。」と言った長姉の最後の一言で、弟と私は、翌朝早々、水田にオタマジャクシを「帰宅」させたのだった。その帰り道、水田の一部が水を抜き取られ、赤みがかった底土が、ひっくり返されていたのを見た。そこが、新しい住宅地になるらしいと、父母が話していたっけ。


宅地造成作業は、早急に進まず、1年ほどは赤い土が台状に盛り上げられているだけで、勿論そこは弟と私の「秘密基地」となったのは言うまでもない。ただの赤い盛り土に過ぎなかったのに、そこで弟と私は、宇宙からやってくる敵や、ジャングルを流れる河のワニと戦ったり、恐るべき空想力で遊んだのである。私はお転婆ではなかったが、弟といると、今で言えば、インデイアナ・ジョーンズにも、ハンス・ソロにもなれたのだった。


それが、いつの間にか弟は弟の、そして私は私の道を離れ離れで進み始め、二人で一緒に何かをすることは、もうなかった。それが成長というものらしかった。弟は数学に夢中になり、私は、あのWinnie The Pooh(クマのプーさん)のように、頭はStuffed with Fluff(ふわふわの雲のようなものが詰められている頭)の人になった。


やがて私は結婚し、五回母となり、もう一組半の手があれば、と願う毎日になり、弟は、数学教師となった途端、結婚を考えていた女性が不意に病死してしまった。たくさんの生徒を東大にまで進ませた教師は、孤高の道を行くかのように生き、自然の中に安らぎを求め、そして行き場のない猫を可愛がった。


そして初雪の早朝、弟は静かに逝った。発病から短期間ではあったが、姉一家に手厚く看病され、看取られて。その一週間前私は病床にある弟に、心のうちを綴った手紙を出した。弟がそれをじっくりと読み、例のニヒルな笑みを浮かべて、綺麗にたたんで、封筒に戻して、それを枕の下に入れたのよ、と姉は言った。姉は棺の中にその手紙を入れてくれた。その手紙の最後に私は、書いた:私から逃れようとしてもそう簡単には逃げられないの。今は信じないでしょうが、私は貴方に再会すると決めているの。その時、本当だったねえ、と言うわよね、貴方は。


弟の遺品を整理していたら、黒船のマシュー・ペリー提督の本をいくつか見つけた。比較的新しく購入していたので、思わず私は、「やっぱり。」と微笑まずにはいられなかった。その頃私は、系図調査関係で、ペリー提督の家系について、調べていたからである。同じ頃、同じことに興味を持っていたのは、昔と全く変わっていない。弟、私は貴方にまた会う時を心から楽しみにしているわよ。


今日12月12日のクリスマス・カレンダーは、「悲しんでいる人たちは幸いである。(彼らは慰められるであろう。)」(マタイ伝5:4)である。深い悲しみのうちにある方には、話したいことを話したいならば、いつでもお聞ききします、とメモをつけて食事を持って行く。泣くだけ泣いて、気の済むまで泣いて、疲れたら私の肩に頭を置けます、とも。弟が逝った時、夫も子供達も、私が話したい時だけ、話を聞いてくれた。泣きたい時には、夫が胸を貸してくれた。そこで私は千の慰めを得た。


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