ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

ベツレヘムの星

2017-12-09 | アメリカ事情

http://assets.messianicbible.com/wp-content/uploads/2015/07/1080-three-wise-men-and-Bethlehem-star.jpg?8767bd

 

幸運なことに、私の働く大学には、プラネタリウムがある。 昨夜、そこでオフィスのこの時期恒例のレセプションが開かれ、約一時間の天体ショウがあり、その後続いて、隣の科学博物館で簡単なフィンガーフードが供された。 伴侶同伴なため、夫も参加、思いがけず楽しい夜を過ごせた。 プラネタリウムの天体ショウがとてもよくできていて、特に今の季節にふさわしく、東方の三賢者(Three Wise Men)が一体どの星に導かれてベツレヘムへ旅したのか、そしてクリスマスに関する古代からの話を混ぜて見せてくれた。 科学界では、そのベツレヘムの光輝く星が、一体なんであったのか、真面目に説明しようとしているのが、面白い。


 

 これは、Tivoli Gardenの星

 

天文学的に、このベツレヘムの星の正体が何であったのか、いくつかの仮説が立てられた。ひとつは、ドイツの天文学者ケプラーが計算した紀元前7年に起こった惑星間の合(会合とも)。つまり二つの天体、木星と土星が近づき、一つに光っているように見えることで、1614年彼は、それがベツレヘムの星ではないかと結論づけした。現在では一つの光に見えるほど近かったわけではないと否定されている。


紀元前12年にハレー彗星が現れたと、中国の史書は記録しているが、これはキリスト生誕年と合わない。天王星ではないかという仮説もあったが、肉眼ではほとんど見えない星であるから無理。アンドロメダ星雲近くで爆発したとされるスーパーノヴァ、ハイパーノヴァと呼ばれる超新星、極超新星。これは、確実なデータを銀河系以外で発生した超新星のかけらを分析して、それが起こった時期を計算するのは、まず困難で、現実的ではない。ベツレヘムで水星、金星、火星、木星が集合、あるいは、明るい流星、などなど仮設はかなりある。しかしながら、何一つ証明されてはいない。挙句に、マタイ伝を書いた者が創作した、とするアイザック・アシュモフ説まで。 つまり現在でも、一体ベツレヘムの星が何であったかは、謎である。


世の中には、見えないものを信ずることからくる霊感、神秘、信仰がある。 科学的説明は、時には滑稽なほどの理論づけに見えるし、また実は理論づけること自体虚しい場合もある。 たとえば、愛。これには、方程式もないし、数理的見解・考察もない。 それでも愛は存在する。 それに似たことが、この星の正体なのかもしれない。


一説には、この星はゾロアスター教の司祭で、天文学者でもあり、信仰の篤かった三賢者にしか見えなかったとする。 実のところ、彼らの信仰がその星を見せた、という。ここで「何故」を繰り返しても、実際埒外である。何故なら、信仰を理解しない人には見えないことがあるからである。


ベツレヘムの星を見られた三賢者以外で、羊飼いたちは、どうやって救い主キリストの生誕を知ったのだろうか。それはルカによる福音書2章1~7節を読むと、天の使いが現れて、キリストの降誕を教え、それが、しるしである、と書いてある。ここでそれを信ずるか信じないかは、読み手の信仰による。三賢者も羊飼いたちも、信仰があったから、救い主の降誕を知ったのであろう。


http://tellusmuseum.org


このようなことをプラネタリウムのショウは説明していた。 キリスト教徒にとって、科学的説明、見解は必要ではなく、重要なのは、人々を救うキリストが降誕したことであると、私は思う。 ちなみに羊飼いが、夜間に羊を守っていた時季は、春の筈で、よってキリスト降誕は4月6日であるとも言われているが、厳格にこの日がそうだ、ということは、少なくとも私にとっては、重要な意味を持たない。 降誕そのものが重要で、と、そんなことを考えながら、見上げた天井では、クリスマスのイルミネイションや、エヴァーグリーン(クリスマスの木やリースやガーランド)がどういう意味を持つのか説明していた。


古代ケルト人が、冬至過ぎからやってくる寒く、暗く、長い夜に太陽が早く戻ってくれるよう祈願するために野に大きな篝火を焚いたことから、そしてアメリカのホピ・インディアンにも似たような風習があったこと、などからクリスマス時期のイルミネイション慣習につながったらしいと言う。そしてスゥエーデンのクリスマス時期に窓辺に火を灯した蝋燭を置く、などは、みなこうしたことから始まったということである。 


ユダヤ教のハヌカも、別名「光の祭り」と呼ばれ、紀元前168年から紀元前141年のマカバイ戦争に置いてのエルサレム神殿奪回を記念して、異教徒に汚された神殿の清めの祭りである。ハヌカ期間には、メノーラ(七から九枝の燭台)枝の蝋燭を一つずつを毎日灯していく。 これもまた冬至周辺の宗教行事で、今年のハヌカは、12月12日から12月20日である。


https://static.vecteezy.com


無宗教や仏教徒や、はたまた無神論者の日本人が, 何故クリスマスのイルミネイションや飾りなどをするのか、若い時はとても不思議に思ったが、キリスト教圏以外で、そして無神論者まで巻き込んで祝われる誕生日は、クリスマス以外なく、それだけ盛大に知らしめられていて、逆に楽しいことなのかもしれない。 本質を知らずして他宗の習慣を取り入れられるのは、おそらく和合の精神の国、日本だけだろう。 東京だと思うが、おおきなクリスマスツリーに見立てた輪を重ねた円錐形に、サンタクロースのオーナメントに交じって七福神がそれぞれ飾られているのを見た。 そこまですると、思わず笑ってしまう。 日本は平和である。

 

さて今日12月9日のクリスマスカレンダーは: ”病気のときに見舞い” (マタイ伝第25章36節)

病気ではなかったが、最初の子供が誕生した時以外、あと四回の産後は、基本、夫と二人でマネージしてきた。それでも退院してから一週間は、教会の人々や隣人達が食事を運んでくれたり、時には上の子供達のお守りもしてくれた。恩返しを兼ねて、私も、他の人々の病気療養中や産後には、食事を持って行く。あなたのお知り合いで、病の床に臥せっている方がいらっしゃれば、お見舞いや、お見舞いカードを差し上げるのも、クリスマス精神の一つである。 

https://playingintheworldgame.files.wordpress.com/2012/10/mother-teresa2.jpg?w=538


 

 

コメント (3)
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