半身麻痺の状態で日々を楽しんで前進している片平智子のブログ

2011年に、左半身麻痺になり数多くの葛藤も乗り越え、本当に好きな事をやりながら、日々を楽しんでいるブログです

仕事して社会に触れることが、生き甲斐になるのです。

2014-06-07 14:56:29 | 日記
もう、又アヤコさんのシェアを休み時間に読んで、涙が止まりませんこの記事は私がとても実感してきた事です〜障害者年金を十分もらっているのだから、働かなくてもいいだろうと、いろいろな人に散々言われましたが、そうじゃなくて〜と気持ちを伝えられなくてよく過ごしていました。まさにこの記事に書いてある事が私の気持ちをくれた感じです。私の身体機能では一般就労は無理と言われ。それでも負けずに、自分で調べて動き、今の自分を受け入れてくれる仕事に就けて、今は大好きなカラーの仕事までやれているのは、奇跡です〜これもひとえに私を応援して下さりサポートしてくださった方々のおかげなのですが〜障害者が仕事出来る環境ってまだまだ整っていません。特に私のような身体障害者は、難しいです〜なんでもいいからとにかく働きたいとずっと熱望していました。思いいは、きっと叶うのでしょうね。今もなりたい未来を毎日思い描き続けていますーどんな困難があっても諦めない事だけが大切なのかもしれません。アヤコさんいつも心のツボにはまる記事をありがとうございます。

日本でいちばん大切にしたい会社」

従業員約50名のうち、およそ七割が
知的障音をもった方々で占められている。

神奈川県川崎市のその会社は、
多摩川が近くに流れる、静かな
環境のなかにあります。

この会社こそ、日本でいちばん
大切にしたい会社の一つです。

昭和12年(1937)に設立された「
日本理化学工業」は、主にダストレスチョーク
(粉の飛ばないチョーク)を
製造しており、50年ほど前から
障害者の雇用を行っています。

そもそものはじまりは、
近くにある養護学校の先生の訪問でした。

昭和34年(1959)のある日、
一人の女性が、当時東京都大田区に
あった日本理化学工業を訪ねてきたそうです。

「私は養護学校の教諭をやっている者です。

むずかしいことはわかっておりますが、
今度卒業予定の子どもを、ぜひあなたの
会社で採用していただけないでしょうか。

大きな会社で障害者雇用の枠を
設けているところもあると聞いていますが、
ぜひこちらにお願いしたいのです」

障害をもつ二人の少女を、
採用してほしいとの依頼でした。

社長である大山泰弘さん(当時は専務)は
悩みに悩んだといいます。

その子たちを雇うのであれば、
その一生を幸せにしてあげないといけない。

しかし果たして今のこの会社に、
それだけのことができるかどうか・・・。

そう考えると自信がなかったのです。

結局、

「お気持ちはわかりますが、うちでは無理です。

申し訳ございませんが・・・」

しかしその先生はあきらめず、
またやって来ます。

また断ります。

またやって来ます。

それでも断ります。

三回目の訪問のとき、大山さんを
悩ませ、苦しませていることに、
その先生も耐えられなくなったのでしょう、
ついにあきらめたそうです。

しかしそのとき、「せめてお願いを一つだけ」
ということで、こんな申し出をしたそうです。

「大山さん、もう採用してくれとは
お願いしません。

でも、就職が無理なら、せめてあの子たちに
働く体験だけでもさせてくれませんか?

そうでないとこの子たちは、
働く喜び、働く幸せを知らないまま
施設で死ぬまで暮らすことになってしまいます。

私たち健常者よりは、平均的に
はるかに寿命が短いんです」

頭を地面にこすりつけるように
お願いしている先生の姿に、大山さんは
心を打たれました。

「一週間だけ」ということで、
障害をもつ二人の少女に就業体験を
させてあげることになったのです。

「私たちが面倒をみますから」

就業体験の話が決まると、喜んだのは
子どもたちだけではありません。

先生方はもちろん、ご父兄たちまで
たいそう喜んだそうです。

会社は午前8時から午後5時まで。

しかし、その子たちは雨の降る日も
風の強い日も、毎日朝の7時に
玄関に来ていたそうです。

お父さん、お母さん、さらには
心配して先生までいっしょに
送ってきたといいます。

親御さんたちは夕方の3時くらいに
なると「倒れていないか」
「何か迷惑をかけていないか」と、
遠くから見守っていたそうです。

そうして一週間が過ぎ、就業体験が
終わろうとしている前日のことです。

「お話があります」と、十数人の
社員全員が大山さんを取り囲みました。

「あの子たち、明日で就業体験が
終わってしまいます。

どうか、大山さん、来年の 
4月1日から、あの子たちを正規の
社員として採用してあげてください。

あの二人の少女を、これっきりに
するのではなくて、正社員として
採用してください。

もし、あの子たちにできないことが
あるなら、私たちがみんなでカバーします。

だから、どうか採用してあげてください」

これが私たちみんなのお願い、
つまり、総意だと言います。

社員みんなの心を動かすほど、その子たちは
朝から終業時間まで、何しろ
一生懸命働いていたのです。

仕事は簡単なラベル貼りでしたが、
10時の休み時間、お昼休み、3時の
休み時間にも、仕事に没頭して、
手を休めようとしません。

毎日背中を叩いて、
「もう、お昼休みだよ」
「もう今日は終わりだよ」と言われるまで
一心不乱だったそうです。

ほんとうに幸せそうな顔をして、
一生懸命仕事をしていたそうです。

 
社員みんなの心に応えて、大山さんは
少女たちを正社員として
採用することにしました。

一人だけ採用というのはかわいそうだし、
何よりも職場で一人ぼっちに
なってしまいやすいのではないか、
二人ならお互い助け合えるだろう
ということで、とりあえず二人に
働いてもらうことになりました。

それ以来、障害者を少しずつ
採用するようになっていきましたが、
大山さんには、一つだけわからない
ことがありました。

どう考えても、会社で毎日働くよりも
施設でゆっくりのんびり暮らしたほうが
幸せなのではないかと思えたのです。

なかなか言うことを聞いてくれず、
ミスをしたときなどに
「施設に帰すよ」と言うと、
泣きながらいやがる障害者の気持ちが、
はじめはわからなかったのです。

そんなとき、ある法事の席で
一緒になった禅寺のお坊さんに
その疑問を尋ねてみたそうです。

するとお坊さんは

「そんなことは当たり前でしょう。

幸福とは、

①人に愛されること、
②人にほめられること、
③人の役に立つこと、
④人に必要とされることです。

そのうちの②人にほめられること、
③人の役に立つこと、
そして④人に必要とされることは、
施設では得られないでしょう。

この三つの幸福は、働くことに
よって得られるのです」

と教えてくれたそうです。

「その4つの幸せのなかの3つは、
働くことを通じて実現できる幸せなんです。

だから、どんな障害者の方でも、
働きたいという気持ちがあるんですよ。

施設のなかでのんびり楽しく、
自宅でのんびり楽しく、テレビだけ
見るのが幸せではないんです。

真の幸せは働くことなんです」

普通に働いてきた大山さんにとって、
それは目からウロコが
落ちるような考え方でした。

これは、働いている多くの人たちも
忘れていることかもしれません。

それを障害者の方によって
教えられたのです。

 

この言葉によって、大山さんは
「人間にとって“生きる”とは、
必要とされて働き、それによって
自分で稼いで自立することなんだ」
ということに気づいたそうです。

「それなら、そういう場を
提供することこそ、会社に
できることなのではないか。

企業の存在価値であり社会的
使命なのではないか」

それをきっかけに、以来50年間、
日本理化学工業は積極的に
障害者を雇用し続けることになったのです。


コメント
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