膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

夢に出てきた

2014-01-22 21:10:25 | つぶやき
2014年 1月22日(水)

1月19日から、3日間 夢に出てきた。
1年2カ月経って。

19日は、友人の車に乗って、「じゃあ~」 と去って行った。
車は、たくさんの友人が乗っていた。
彼の顔は薄暗く、はっきり見えなかったが
たしかに夫だった。
「じゃあ~」と言う声がそうだった。


20日の朝、あー、やっと夢に出てきた~
と思った。
その夜、また出てきた。
今度は、字で出てきた。
ぎっしり、字が書き込んであり
それが、彼の字だった。
医学の書き込みではなく
普通のことを書いていた。
その横に、彼はいた。
でも、やはり顔は明確に見えなかった。

21日 朝
目が覚めたとき
な~んだ!彼は生きているやん!
と思った。

でも、彼はいない。




夜、また出てきた。

一昨年の10月4日
彼が最後の勤務を終えて帰ってきたとき
玄関に飛び出して行って
「お疲れさんでした」と言って、抱きしめた。
何回も「お疲れさんでした」「お疲れさんでした」と言って
私は、涙をこぼした。

彼はじっと、されるがままにしていて
数分経ち、私が彼から離れると、かすれた声で
「車の中にいっぱいもらった花束がある。
でも、それすら下ろす体力がないわ。下ろして」
と言った。

そのシーンが、今も鮮明に私の中に在り
夢の中でも私たちは、また抱き合っていた。
同じように、立ったまま
しばらく抱き合っていた。
彼の顔は見えなかった。



私が深く闇の中に沈んでいて
元気がないからか
毎日が虚しく
何をしても無駄なような気がし
何をやってもビクビクしているからか
彼は心配になって出てきてくれたんだね。

今まで勢いでやってきた家事も
やってあげる人がいなくなると
こうも虚しいものか・・・
息子も娘も、独立し
時々しか帰ってこない。
自分独りのために食事の用意をし
独りのために、繰り返しの家事をやり
陽が暮れる。




元気出さなくっちゃね
彼の分も生きなくちゃね







もう人生、おしまいでいいような・・・

2012-09-22 23:36:20 | つぶやき
2012年 9月22日(土)


92歳になった実家の母が
一週、一週、認知症が進んでゆく

あれがほしい、これを買いたい
と、同じ三種類の話ばかり
エンドレスで繰り返す
答えても、答えても
同じ話、、、

聞いているのが辛くなってくる
胸が、ぎゅーん!と痛い

母も、いいときは終わったんだね





先日、娘が
1か月ぶりに母に会いに行ったら
きょとんとしていて、判らなかったらしい
「私のこと、忘れられた!
 判ってくれなかったよ」
帰宅して開口一番、娘はそういうと
ポロポロ泣き出した。

近い日
私のことも判らなくなるだろう

でも
母は幸せだった!
一度だって、食べるに困ることもなく
やりたいことをやって
健康に、92歳まで生きてきた。
充実した人生だったと思う。

この上は、穏やかで
ステキな死を迎えられたら
いいな




夫と母の板ばさみになって
ストレス満杯の毎日





私も


  う

      人
          生


 し
             ま
                 い





  い
    い



















体調不良

2012-09-05 20:37:34 | つぶやき
2012年 9月5日(水)

2~3日前から、私が体調不良で
表現方法もないくらいに しんどい

内科を受診して血液検査したら
やはり白血球が3000台とのこと

この2~3か月、ずっと3000台の低数値
ドクター曰く

白血球が低い人は
抗がん剤をやった人  →いいえ、やっちょりません
ホルモン療法は?  →いいえ
日常的に、放射線の影響を受ける環境  →いいえ
最後は、ストレスの高い人です

はぁ~~っ・・・



実は、このブログを書くのも
かなりキツい。。。

真実を見つめ
夫の現状を、再確認する作業

文にする、というのは
普段、目をつぶっていることも
見つめなおして、掘り起こす作業

これは、彼の病がまだ軽かったときは
どうもなかったが
どんどんキツくなってきた

共にいる息子も
ストレスが高いようだ。
若いくせに、私と同じペースで
ダウンする

口には出さないけれど
息子もしんどいんだろう



特に私は、仕事によるストレスも高く
両刃となっている

もう仕事も、そろそろ引退したい
やっていると、どうしてもストレスにさらされる

全部辞めてしまっては、認知症になりそうだけど
でも、こんなに押し寄せるストレスが身体に、いいわけがない

家庭でも、大きなストレス
仕事でも、というのは
ちょっと耐えられない!と
私の身体が訴えているんだね


どくどく汗をかくかと思えば
汗をかきながら、寒い
31度の猛暑の夏に
長袖を着ては
ボトボトに汗をかいている

夫は、私の状態に敏感で
ゆるり、としといたら
いつの間にか治るで~
と言う

あんまり気にせんとき、とも

昨日はあんまりゾクゾク寒いものだから
真夏なのに、お風呂を溜めて
入浴剤を入れて、けっこう長湯した
それが悪かったのか
物凄い汗だ
拭いても拭いても
いくら着替えても
大汗を掻いて
何回も着替えねばならない


汗を異常に掻くと
体力も消耗する?
と夫に聞いたら
うん

どうしたらいい?
と聞くと
体調悪いからや
自然に治る、と

重病人に言われたら
仕方ないネ
がまん、がまん・・・
















ストレス

2012-08-28 19:17:18 | つぶやき
2012年 8月28日(火)


ごろごろ ごろごろ
ごろごろ ごろごろ

身体中に ごろごろ
ころがっている

名を聞くと
“ストレス”
と冷やかに答えた



最近
急に増えたような気がする
ごろごろ 

しあわせなのにね
夫も まだ元気なのにね




でも
ごろごろ ごろごろ

夜になると
目が廻って ぐ~るぐる

景色の見える昼間でなく
真っ暗な夜に
目がまわるなんて
ふしぎ


お腹も痛い
いかにも、犯人は
ごろごろだ 
と言っている
だって食べられるのに
おいしいのに
お腹が痛いんだもの





まだ
わたしは
重大な病気もなく
歩けるし
食べられるし
笑えるし
熾れる

感動だってできるし
いろいろ知りたいし
考えることもできる


だのに
なぜか
ごろごろ ごろごろ
ごろごろ ごろごろ







涼 風

2012-08-28 00:25:18 | つぶやき
2012年 8月27日(月)

山に出かける。
いつものハイキングコース

昨年12月から、私の病気の告知
大学病院での入院・手術
夫の3度目の再発
などが、続き

その上に2回も
足をくじいた。
やっと治ったかと思いきや
またもや1か月前に、くじく
う~~ん 鈍くさい・・・

そんなこんなで
久しぶりの山!


久しぶりに嗅ぐ
木のにおい


瑞々しい木たちが
クールボックスを開けたような
風を運んでくれる



ちいさな楓ツツジの葉っぱは
赤ちゃんの手のまま
もう紅葉しかけている。


山道を歩きながら、いろいろ考える。
千葉敦ちゃん(「乳がんなんかに負けられない」の作者)の
死の半年前が
夫の今と、酷似している。

いや、半年前というより
3か月前か、、、


あと数か月、と思って生活しないと
いけないのか、とぼんやり考えた。

考えたくないけれど
考えないといけない
突然、迎えてはいけない


私のどこかで
声が聞こえる。












高齢の母

2012-05-19 13:47:28 | つぶやき
2012年 5月19日(土)

実家の母が、まもなく92歳になる。
元気だった母も、最近めっきり衰えてきた。
何より深刻なのは認知症。

短期記憶がダメで、今のことを忘れてしまう。
クレジットカードやキャッシュカードも
片付けると称しては、置き場所が分からなくなり
再発行し続けるのも、もうきりがないので止めた。

止めてからは、お金がないと言えば渡すやり方を
していたが、その方法ももう無理になってきた。

束にしたお金を、どこかに片付けてしまい
「お金がありません。餓死します」とメールがくる。
引用返信のやり方だけは憶えていて
メールは頻繁に打ってくる。
しかし、こちらが送ったメールは見れず
「メールしても返事もない」と嘆く。


もう生きている価値がありません
何ひとつ自分で、まともに出来ません
とシリアスに自分を見つめて嘆いたかと思えば
お金を渡した翌日に“餓死メール”がくる。



日中はデイサービスに行っていて
お昼ごはんも食べさせていただき、夕方帰るときには
夕食のお弁当を渡してもらうようお願いしている。

自宅に帰ってお弁当を食べて、大好きなビールを
3缶も4缶も、好きなだけ飲み
あとは寝るだけ。
翌朝はまた、デイから迎えの車が来る。
そんな繰り返しなのに
「お金がありません。餓死します」病に取り付かれている。


あまりにお金がない、と嘆くので
究極の案で、部屋のあちこちに千円札をセロテープで貼って
ぶら下げることにした。
テレビを見ようとしても、食器を出そうとしても
すぐ目に入る場所に、千円をぶら下げた。
これは名案で、千円を見つけるとげらげら笑うようになった。
しかしあまり簡単な所にばかり置くと
見つけて、また“収納”してしまうので
少し見つけにくい所も作り、数日して行ったとき
どのくらい残っているか確認して、また次をぶら下げる
今はそういうやり方で、なんとかもたせている。


元々、やりたいことだらけの母だった。
写真、木彫り、俳句、絵手紙とやりたいことを
懸命にやり、いつも「時間が足りない、足りない」と言っていた。
自分のやりたいことがたくさんあるので
1人暮らしは、まったく苦にならず
自由を楽しんでいた。
人の何倍も充実した90年以上だったと思う。


祖母は、誠によく出来た苦労人で
いつも耐え、周りに気を配り生きていた。
母の母である。
90歳過ぎて衰えかけると
子供に迷惑をかけたくない、とさっさと病院に
入ってしまった。
しかし、病院とは病人が入るところで
ベッドの上で、繕い物をしていては叱られ
骨を折ったら困る、とトイレにも行かせてもらえず
おむつをさせられ、強制的に寝かされても
文句一ついう人ではなかった。
いつも黙々と耐え、ニコニコし
「わたしは、難しいことは何も判りません」
と判らぬ、解らぬふりをしていた。

そんな立派な母親がいたから、母も
年を取ったら施設に入る
子供と同居することで、子供の生活を犠牲にしたくない
とよく言っていた。
「私は絶対、同居はしないから、勧めないでね!」
と何回も言われていたから、年をとっても引き取ることは
考えていなかった。


今、母にもう1人暮らしは無理だ。
毎日行っているデイが、皆さんとてもよくして下さり
嘆き母も、デイでは明るく楽しそうにしている。
5月から5人だけ入所も出来るので
検討してくださっている。

1人だと、いつ火を出すかとても心配だし
足が丈夫で、あちこち買い物に出かけては
買ってきたものを忘れ、また買い込む
そしてほとんどの食材が賞味期限切れとなり
それを判らずに食べるのも心配だし。。

いよいよ入所か・・・




ふぅ・・・
美しく老いていくのも至難の業だなぁ・・・


そんなこんなで、2日と開けず母の家に車を走らせる。
ちょっとした時間の隙間に行くのだが
一旦行くと簡単には帰れない。

母がお弁当の夕食を食べるのを見届け
ビールもたくさん飲んで、満足し
寝床に入ったら、即帰って来る。


そういう日が最近多くなってきたから
夫とはなかなかゆっくり食事もできない。

しかしふぅふぅいって帰宅した私を
玄関まできて出迎え「お疲れさん!」
と声をかけてくれる夫。

脳外科だし、認知症にも詳しく
理解がある。
本当に助かる!

でも、夫との大切な日々が減っていく。
気が気でならない。

少しでも「おいしいね」と
ときを重ねたいのに
「お金がない」
「お金がないほど、ミジメなことはない」
という母のために、走り廻る日々。。。。

















ほぼ治った?鬱

2011-08-07 17:40:39 | つぶやき
2011年 8月7日(日)


8月に入り、せみの声も一段と大きい。

私はようやく鬱から抜け出し
あれをやろう、これもやろうかな と思えるようになった。

先日、友人に「私の鬱はほぼ治ったみたい」と話したが
でも、、、

やはり疲れやすい。
爆発的なエネルギーが出ない。

少し家事や仕事をしては、ふぅ・・・ふぅ・・・



95%は回復したか?
いや・・83~5%だな。。。



まだ大きなストレスがかかったら
怖い。。。






うつ

2011-06-25 18:41:58 | つぶやき
2011年 6月25日(土)


少しずつ、夫が体調の異変を言い出し
いろいろな検査の結果、再発がはっきりした頃から
私はどんどんしんどくなった。
夫のことで、心配のあまり、急激に精神状態が悪くなっていった。

今まで「うつ」というのを経験したことがなかったから
まさか自分のこの‘しんどさ’が鬱症状だなんて・・・

「元気が出ない」「気力がわかない」と感じてはいたが
しかし、数か月経った今は、限りなくうつに近かったんだと、はっきり判った。

一番悪かったときは
「家事」もやりたくない!
「仕事」もやりたくない!
という状態に陥った。


今まで、燃えて熱心にやってきた仕事なのに
何のためにやっているんだろう・・・
やる価値はあるのか、とむなしく
すべてが色あせてみえた。

だんだん、生きていること自体が
どうでもよくなった。

今までの私の人生でなかったこと・・・

旅行をしても、スポーツをしても
心ここにあらず。。

脳が働かないので、認知症かと思ったほど
記憶力、思考も落ち
言葉もなかなか出ない。

仕事をするのも苦痛で
ついにめまいまで始まった!

更年期のとき、頻回にめまいを起こし
あるとき、「めまい」に負けている!と思ったときから
めまいを認めない!と、以降封印してきたのに
本当に久しぶりに、めまいが起こってしまった。
今、めまい止めを飲みながら、かろうじて暮らしている。
疲れやすく、パワーゼロ・・・



それに引き換え夫は、再発が判ったときは
さすがに衝撃を受けていたが
治療が始まると、淡々とこなし
精神状態も安定して、毎日仕事に出かけている。

強いね!と、私は感心することしきり。
「いつもいいことばかり考えて暮らすねん!」と
いつも夫は、そう言う。
自分に言い聞かせるように。

そうだよね、暗くなってしまっては、免疫も落ちるし
いいこと、何ひとつないよね。



そうこうしているうちに6月に入った。
うつは、少しずつマシになってきた。
少しずつやれることが増えてきた。
でもまだまだしんどい!


貴重なコンプリートレミッション!(がん細胞が体の中に見つからない状態)
だから、私も早く元気になって
夫と大切に、日々を過ごしたい。


水音ばかり聞きたい毎日だけど。。。