膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

膀胱がんについて

2011-11-02 01:10:59 | がん
11月2日(木)

扁平状のがんはタチが悪い
圧倒的に多いのは、がんが膀胱内に突出しているタイプです。
これにも、イクラのように表面がブツブツしたがんが
カリフラワーかイソギンチャクのように突出して茎の部分が細くて
プラプラしているタイプ(乳頭状の有茎性腫瘍)と、
茎が太くて岩のようにガッチリした腫瘍が突出しているタイプ(結節状の広基性腫瘍)があります。

前者の乳頭状の有茎性腫瘍の場合は、悪性度でいうとグレード1~2のがん細胞が中心です。
つまり、悪性度が低いのです。
「見た目にも、一緒に内視鏡で病巣をみた患者さんが、海底のサンゴのようですね」
というほどきれいだといいます。
こういうタイプのがんは、「根が浅く、表在性の場合が多いので、膀胱を摘出しないでも
がんを削り取るだけで治療ができることが多い」のです。

ただし、乳頭状のがんでも、崩れて壊死してきたり、結石のようなものがへばり付いてくると、
茎も太くなってくることが多く、「グレード1より2の細胞が多くなり、3の要素も出てきます」
と鳶巣さんは説明しています。
がんとしての性質が変化していくようなのです。

一方、茎が太くて岩のようにがっちりしたがん、つまり結節状の広基性の膀胱がんになると、
グレード3が中心になります。
つまり、同じように膀胱内に突出したがんでも、悪性度が高く、筋層に浸潤していることが
多いのです。
「筋層浸潤にもいろいろなタイプがあり、ピンポン玉大の内腔突出型のがんが
筋層に食い込んでいることもあれば、頭がつぶれて扁平で深く入っているものもあります。
扁平になったものは、スキルス胃がんと同じでタチが悪いのです」と鳶巣さん。
胃のスキルスがんも、胃壁を這うように急速に広がっていくタチの悪いがんです。

つまり、茎があって飛び出しているタイプはタチがよく、頭がつぶれて扁平になると
タチが悪くなるのです。これは、膀胱がんに限らず内腔に突出するがんに共通した現象だそうです。
したがって、「表在性であっても、フラットなものは意外に根が深いことがあるので、
治療を急がないといけない場合もあるのです」と鳶巣さんは語っています。

そして、膀胱を残して治療した場合、再発が極めて多いのも膀胱がんの特徴です。

[膀胱がんの病期分類]


表在性がんの治療
再発をいかに防ぐかがポイント
膀胱がんの治療は、どこまでがんが食い込んでいるかによって異なります。表のように、膀胱がんはその深さによって国際的にTISからT4にまで分類されています。このうち、膀胱を取らずに治療ができるのは、がんが粘膜下層までにとどまる表在性の場合、つまりT1までです。膀胱がん全体の約7割が表在性のがんですから、膀胱をとらずに治療できる人はかなり多いわけです。

さて、この場合は、尿道から内視鏡(膀胱鏡)を挿入し、病巣部を高周波の電気メスで削るように切除していきます。これが、「経尿道的膀胱腫瘍切除術」(TURBT)という方法です。手術時間は1時間ほどで、3~4日の入院が必要です。これで、がんのほとんどは切除できますが、問題は再発です。「再発しない人のほうが珍しい」といわれるほど、膀胱がんは再発が多いのも特徴なのです。そこで、TURBTとセットで再発の予防が行われます。

[膀胱鏡を用いて行う経尿道的膀胱腫瘍切除術の方法]


[膀胱がんの治療ガイドライン]


再発予防に膀胱内注入療法
再発予防法として、世界的に標準となっているのが、BCGの膀胱内注入療法です。BCGは結核の予防接種に使われることで有名ですが、膀胱がんの場合は、1アンプル(80ミリグラム)を40CCほどの生理食塩水を加えた懸濁液として、全量を膀胱内に注入します。これを週に1回ずつ、6~8回繰り返すのが一般的です。

これは、一種の免疫療法で、がんを殺す効果も再発予防効果も高いことが、すでに世界的に証明されています。TURBTで小さながんの取り残しがあっても、BCGで消すことができるのです。ところが、問題点はいまだ日本では独自のデータがないこともあり、保険適応になっていないことです。日本で、現在認められているのは、抗がん剤の注入療法です。そのため、アドリアシン(一般名アドリアマイシン)やミノマイシン(一般名ミノサイクリン)を膀胱内に注入する方法を行っている施設もあります。経尿道的切除直後に抗がん剤を膀胱内に注入する方法が再発予防の目的で有効であるとされています。

「大量の膀胱がんがあって、削り取ったときに細胞がバラバラになって膀胱内ががん細胞の鹸濁液のような状態になることがあります。こういう場合、削った直後に抗がん剤を入れて、再発予防を期待する考え方です」と鳶巣さん。さらに「経尿道的切除後に長期にわたり抗がん剤を注入する方法については、まだその有効性が確率していません」といいます。やはり長期的にみると多くの事例でBCGの膀胱内注入が、再発予防の世界標準と考えられるのです。

膀胱がんはなぜ再発が多いのか
膀胱を残して治療した場合、膀胱がんはきわめて再発率が高いのが特徴です。「再発しない人のほうが珍しく、よほどおとなしいがんか、1~2センチ以下の小さながん、単発のがんなどに限られる」といいます。

では、なぜ再発しやすいのでしょうか。その原因として、もともとがんができやすい畑なのか、あるいは畑が同じでもがんから種が落ちるのか、が昔から議論されています。現在、優勢なのは種まき説だそうです。

膀胱は尿を溜めたときには大きく膨らみますが、排尿するとペチャンとつぶれて小さくなります。つぶれたときには、膀胱壁の粘膜上皮がお互いにくっつきます。このときに、種がまかれて、がんが発生するのではないかというのです。


Ⅳステージって、余命1年?

2011-10-24 23:26:59 | がん
2011年 10月24日(月)


先日、友人から
「第Ⅳステージって、余命1年ぐらいってことでしょう?」
と言われた。

一般的にはそうかもしれない。
特に彼の場合は、すでにがんが全身に飛んでいて
強い抗がん剤治療をやり続けることによって
身体のどこにも、がん細胞がない状態を
かろうじて続けているのだから。




数年前、乳がんの友を亡くした。
彼女のがんは、直径5.5cmにもなっていたのに
受診を一日、一日と延ばし
身体のあちこちに痛みが出現するようになって
初めて受診したときには、すでにターミナル。

「そんなはずはない!!」

彼女は“手遅れのがん”という現実を
決して受け入れようとはしなかった。

違う診断をしてくれる病院を求め
あちこちの病院を走り廻った。
しかしどこでも、ターミナルと言われる。

それでも彼女は、決して受け入れなかった。
あの強さは、何だったのか・・・
年数が経った今でも、そうぼんやり考えることがある。



その頃、夫も10cmの膀胱がんが見つかっていたから
彼女のことも知って、気にしていた。
彼女が医師と敵対し、現代医学に背を向けて
温熱療法や、菜食主義に走っていたとき
夫は本当に心配していた。
しかし、「その人の人生やからな・・・自由や。。」
と力なく、言っていた。

自分の考えを強く持ち
自分の人生のすべてを、自分で決めて生きてきた彼女には
治療をしよう!という私の言葉も届かず
彼女はどんどん悪くなった。

抗がん剤は、最初だけワンクールやったが
思っていたより強く出た副作用で、激しい拒否感を示し
それからは、再び抗がん剤をやることはなかった。




人はいつか
そう遠くない将来
死んでゆく。

みな同じだ。

だから、自分の死と向き合わねばならない時がきたら
堂々と受けてみたい。


泣こうがわめこうが、死があらがえないものなら
静かに受け止めてみたい。



言うほど簡単じゃないことは、よく解かっているつもり。
拒絶し、落ち込み、希望を失うかもしれない。

できるかな?と内心不安に思う。


でも。彼のように
堂々と受けてみたい!

今、そう思っている。







久しぶりの山行き

2011-10-13 00:02:35 | がん
2011年 10月13日(木)

10月10日の体育の日
久しぶりに、親子3人で山を歩いた。

登り1時間、下り40分ほどの
山というより、ハイキングコース。

と言っても、それなりの起伏があり
オールシーズンすばらしい風が吹き
夏でも涼しく、冷蔵庫のドアを開けたような風
春は山桜が、ひっそりと咲き
秋は栗の殻が落ち、葉が色付く
冬は雪の日もあり、とても風情がある
そんな、私の大好きなコース。
私は月に2~3回は行っている。



近年、本格的な山岳ばかり行ってきた夫は
今までは、「あんなとこばかり行って、よぅ飽きへんなぁ」と
バカにしてきた。

しかし、体育の日は、夫にとっても久しぶりの山歩きだった。
いつになく、慎重に歩いている。

登りはゆっくり進んだが
下りは調子が出て、駆け下りた。


家に帰って、足が腫れている
と言う。
見たら、いつも腫れる左足ばかりだけではなく
右まで腫れていた。

リンパの流れが変わってしまったんかなぁ、、、
と夫。



秋晴れのさわやかな一日の思い出。








無事に10月を迎えられた!

2011-10-12 22:51:15 | がん
2011年 10月12日(水)

何とか無事に、10月に入った。

あれから夫は
9月中旬に、6度目の抗がん剤治療のため入院。
しかし、副作用はどんどんひどくなっていく。

最初は「むか~っ」とするくらいだった胃腸症状も
6回目となると、吐く回数も増え
貧血がひどく
めまいが起こり、動悸も激しいらしい。。。

しかし、相変わらずほとんど言わない。

時々、「めまいや~」
「動悸がひどい、貧血やからやな」
と言うだけ。

最強の治療を回数を重ねてきて
骨髄が疲弊しているんだろう
とも。



思い返せば、8月上旬
近所に、花火見物に行ったとき
突然倒れた。
一瞬、意識がなくなったらしいが
1段下の道路に、グラ~っとなって倒れ
驚いた。



山が好きで
三度のメシより好きで
絶大なる健康を誇っていただけに
目の前で、あっけなく倒れるなんて・・・
別人を見ているような思いだった。

近くで花火見物をしていたご婦人が
「大丈夫ですか?!!」
と駆け寄ってくださったが
すぐに意識を取り戻し
本人は、何が起こったのか解らないようだった。

あとで「貧血がひどいからなぁ」
とポツリ。


仕事は、ゆるぎなく
毎日行き
夜になると帰ってきて
おいしそうに、楽しそうに夕食をとり
淡々と過ごしている。

もう10月
早いなぁ・・・
と先日、カレンダーを見ながら
しみじみとつぶやいていた。





最強で、最良の今のGC療法。
いつまでやれるのか
やれなくなったとき
またがんが戻ってくるのか・・・


夫が言った「いいことだけ考えて生きていくねん」

その言葉をわたしも
毎日 心に刻んでいる。











仕事

2011-09-03 18:53:34 | がん
2011年 9月3日(土)


仕事はあと3年やな

そう言った。

65歳までやるつもりのよう。



私としては、今のような勤務態勢だと

ほとんど自由に休暇が取れない。

いつもいつも、淡々と仕事に行く日々でいいのか・・・



前述の放射線科ドクターは、「仕事に行くからいいのですよ!」

そう言われた。



自由に休みは取れないが、仕事をすることによって

社会との接点を持ち、少しでも人のために活動できる今が

やはり最高なのかも。。。



リタイアして、時間が自由になったら、もしかしたら

余計なことも考えたりするかな・・・

病気を苦にしたり、先を不安に思ったり。



時間がない今の状況がいいのかもしれない。













ステージⅣ

2011-09-02 17:55:31 | がん
2011年 9月2日(金)


8月中旬の検査結果は、「どーもなかった」と本人の弁。

しかし、9月中旬の連休に、久しぶりに山に行くと

言っていたのに、急遽入院することにした、と言う。

いつもの2泊3日の、抗がん剤治療。


どうも何かおかしい。

せっかく連休で、休みをゆったり取れるのに

「僕に一番必要なんは、治療や!」と言う。

「僕は、ステージⅣなんや!」とも。



今まで言わなかったこと。。。

ステージⅣなんて、わざわざ言わなかった!

解ってたけど、あえて言わなかったのに・・・

その言葉を聞いて、数日どんよりしてしまった・・・




もしかしたら、先日の検査結果で

「もし今後、再び再発するようなことがあれば・・・」

というような話が、主治医とのやりとりであったのかもしれない。

「この治療が、最強で、最良なんや」と繰り返し言う。



骨髄がやられても、出来るうちは、出来るだけ回数多く

やるのがキツくても、重要だという話があったのでは??




相変わらず、淡々と仕事に行き

帰ってきて、世界陸上を観て、淡々と過ごしている夫。。。









検査結果前夜

2011-08-17 01:35:09 | がん
2011年 8月16日(火)


明日は1か月ぶりに撮った、CT等の検査結果が出る。

いつもは検査前日、何も言わないのに、2言だけつぶやいた。


「明日は結果や・・・」



しばらくして

「なんで、こんなに足腫れるんかなぁ・・・」



彼の持っている重たい空気と、ゾクッとする冷たい緊張感が伝わった。

抗がん剤治療5回目!

2011-08-14 20:33:12 | がん
2011年 8月12日(金)


7月29日~31日まで、3日間入院して
また抗がん剤治療を行った。

月1回、3日間の治療で始めて、もう5回目。
今回は、胃腸症状の副作用が強い・・・

今までは、退院後3日ぐらいは食欲がないが
4日目からはどんどん食べられるようになってくる。
しかし、今回は初めて入院中に吐いたようだし
退院して2週間経っているのに、食欲が戻らない。
舌の荒れもひどいようで、味が判らないと言う。

血小板も4万に下がってしまった。
もう2週間経つのに、食後ふぅふぅ言っている。

本人いわく
「骨髄がやられるねん」



もうこの治療も、そろそろ限界なのだな、と思った。


こうして、最強の治療がダメになり
だんだん効く治療が少なくなり
追い込まれていく。

いろんな人の記述を読んで、皆そうなんだ、と。。。。


8月10日にCTなど検査を行った。
その結果が17日。
どうぞ、どうぞ、コンプリート・レミッションのままでありますよう!!








元気で楽しんでます

2011-07-15 18:28:49 | がん
2011年 7月15日(金)

スイスに行っている夫から、昨日メールがきた。
「元気で楽しんでます。ありがとう!」

よかった!!
来年の夏も行けますように。。。
山麓を歩き過ぎて、足が腫れてないかな
ちょっぴり心配・・・


帰ってきたら、翌週にはまた抗がん剤治療のため入院!

同じ治療に、ギブアップした友人のドクターもおられるとか。
「ボクは体力があるから、どぅもあらへん」
そう言いながら、3日間治療した翌日は、さすがに
食欲がまったくないようで、おかゆしか食べようとはしない。
でも3日ぐらいで、だんだん元の食欲に戻る。
精神的にもしっかりしているからだろう。




1週間彼がいないので、母を連れて
久しぶりに山陰海岸に出かけてみた。

まだうつが少し残っていて、身体のあちこちが痛いし
頑張りがきかないけれど、久しぶりに青空を見た。

いつの間にか、梅雨は明け、夏空に入道雲が広がっていた。



山陰で、とても新鮮な岩ガキや、鬼エビを食べた。
おいしかった。
おいしいものを、‘おいしい’ と
だいぶ感じれるようになってきたなぁ、、、


もう少し!







ご機嫌ななめ

2011-07-04 15:24:19 | がん
2011年 7月2日(土)

このごろ、夫のご機嫌があまりよくない。

私が満身創痍(うつ→めまい→ぎっくり腰)で
すこし元気になりかけたと思ったら
次々、体調不良を起こして元気がないせいか。。。

一時マシになっていたのに
また足の腫れがひどくなってきているからか・・

何も言わないが、どこか痛みや不安な箇所があるからか・・


毎年、スイスの山に行き続けてきた、夫の夏休み
今年も行く予定だが、例年のようにガイドをつけて
ハードな山は、もう登れない。
今年は山麓を歩いて、山を見るそうな。



平穏な日々が続くことを祈るのみ。










痩せてきた!

2011-07-01 15:14:23 | がん
2011年 7月1日(金)


最近、夫の痩せがめだってきた。

顔も痩せてヘコんでいるし
上半身も服の上からでも
痩せていることが判る。
首のところからは、肋骨がちらりと見える。



だんだん悪液質に近づいているのか・・・


怖い!!







僕もダメになるよ

2011-06-26 12:09:51 | がん
2011年 6月26日(日)


昨夜、すごくしんどくなり、顔色も真っ青になった。
洗面所で、ふぅふぅ言っていたら、夫が来て言った。

「僕は、身体は大丈夫や。
 でも、そっちがそんなんやったら 
 僕もダメになるよ。
 支えてくれんと。」

 「あー、そやね! ごめん、ごめん!」



その後、私はかなり無理して、ほがらかにしゃべった。




がんばらねば!!!!!













100年後

2011-04-28 16:28:55 | がん
2011年 4月28日(木)

100年後、我々はどうなっているのだろう
と、ふと考えた。

たぶん、ほとんどの人が死んでいる。

全く違う人々が暮らし
全く違う世界が開いているだろう。



そう考えたら、気持ちが軽くなったよ~



焦げた鰻

2011-04-28 15:11:36 | がん
2011年 4月17日(日)

うっかり鰻を焼きすぎた。

タイマーの具合が悪くて
すぐ切れてしまったから
2回目をセットしたが
あ!と思ったときは
無残に焼け焦げていた。

あ~ぁ・・・
もう1匹あるから、これは捨てよーネ

残りの1匹を出すために
冷蔵庫をごそごそやっていて
ふと見たら
なんと、焦げた鰻をバリバリと食べている!

あわてて駆け寄ると
「これは僕だけが食べてもえーねん。
 身体じゅうががんでいっぱいやから
 僕だけが食べられるねん」
 と言った。

止めても聞かず
「焦げたん大好き!」
「干渉しないでほしい」と。。。



孤独なんだね・・・
淋しいんだね・・・

一人で闘ってるのではないのに・・・


自分がとても無力に感じた。














もし骨に転移したら もうおしまいや!!

2011-04-17 19:45:22 | がん
2011年 4月15日(金)

来年、もし骨に転移したら
もうおしまいや!!
死ぬわ!

この日
ちょっとしたことで激昂して叫んだ。


なんで、ボクが膀胱がんになったんや!!
なんでや!!
なんで、ボクやねん!


浮腫み止めのストッキングを投げ捨てて
なんで、こんなに いつまでも腫れが取れないねん!!


叫ぶのを聞いていて
不思議だけれど、こちらもスッとした。


じわ~っと溜まってきたものが
スーと消えていくようだった。


今まで、ろくに言わず じっと持っていたんだ
これでいい
吐き出してよかった、と思った。





家族ががんになると「第二のがん患者」が出るという。

たしかに、かなり疲れてきた。
何かにつけて、気を遣うのにも疲れてきたし
長年続けてきた生活のペースも
何かが違う
いつもと違う

普通に
空気のように過ごしていたのが
再発、というあの日から崩れてしまった。


当たり前の日常をなくして
今、あの平穏な日々が、いとおしく感じられる。



偶然の生
必然の死