膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

ラテラ-ル・スプレッド・ツモール・グラニュラー

2011-12-06 23:35:39 | 発病と告知
2011年 12月6日(火)


毎日、長距離を走ってくるのだから
この機会に、私も検査でもしよう!と
2年に1度やっていただいている病院で
今日は大腸ファイバーを受けた。

この検査は、前日からおかゆ、素うどん、素麺
などしか食べられなくなり、当日の朝から1000ccの液体を
どんどん飲む、それが少しキツい。

だいぶ前から、排便後、くずきりのような、にょろ~っとしたものが
出るし、気になっていたので受けることにした。

検査は長いDRで1時間くらいかけるらしいが、この先生は30分ほど。
大腸が曲がるところを、ファイバーが通過する時に、ぐぐぐっと痛みが!

しかし、検査に慣れたベテラン医師なので、我慢、我慢!


検査後、思わぬことを告知された。
LST・Gという腫瘍とのこと。
ラテラ-ル・スプレッド・ツモール・グラニュラー
というのが正式名称で、ESDという手術が必要との話だった。

現在、大きさは10~15mm
盲腸近くのお盆のようなところ、それも平らな所ではなく
ガタガタしているところに出来ているらしい。

この腫瘍は、生検できないと言われる。
出血を起こす可能性が高いし、生検すると
摘出手術の際、破れたりして、ちゃんと取りきれなくなるとの話。
だから、手術をして全部取ってから、検査をし、良性か悪性かの判断をする
とのこと。

しかも、手術しても取り残しの可能性もある、との話。
腫瘍に注射で水を入れて膨らませ、ワイヤーのようなもので引っ掛けて取ってくる
それを、真ん中、右、左と3分割して行い、手術すると言う。


説明を受けている間、ドラマでも見ているような感じで、現実感がなく
ふぅ~ん、、、、
という感じだった。



私も腫瘍かぁ・・・
動揺も全くなく、淡々としていた。
きっと、夫のことで、私も強くなったんだな、と思った。




まだ悪性と決まったわけじゃない。

病院の外に出たら、もう夕焼けで
12月の風が冷たかった。




夫の病院に行き、そのことを話すと
「そうか・・・」
と黙った。

明るく「また明日くるね!」
と病室をあとにした。







夫の健康な日々

2011-03-19 19:23:02 | 発病と告知
夫は、父親に似て、ほとんど病気らしい病気を
したことがなかった。
時に、鼻かぜをひいているくらいで
寝込んだのは見たことがない。

毎日、毎日、朝早くから夜遅くまで
働いていた。
フルに仕事をしながらも「自分の時間がほしい」と言って
パワフルに動いていた。


休日には、マメに山に出かけた。
朝5時ころから家を出て、片道2~3時間も車で走って
山に登り、いつもふもとに下山すると
「無事下りました。」
と簡単なメールを送ってきた。

休みの日は、ほとんど山に行っていると言っても
過言ではなかった。
それが高じて、ここ5年ほどは、夏休みには
スイスに出かけ、ヨーロッパアルプスの
「ブライトホルン」や「アラリンホルン」
はたまた「メンヒ」や「ユングフラウ」にまで登ってしまった。
もちろん山岳ガイドをつけて。


そんな健康優良児のような夫に、病が忍び寄っていたのだ。






発病

2011-03-19 19:10:53 | 発病と告知
今まで病気らしいことは一切しなかった夫。
この30年間、欠勤したことは、1日もありません。
そんな夫に、異変の日が訪れました。


2005年  56歳
  
7月5日

夜中より、腹痛を訴え出す。
朝方まで様子を見ていたが、腹痛は増すばかり。
朝4時、「これはイレウス(腸閉塞)や。病院に行くわ」と
自分でさっさと診断を下し、自分でゆっくり車を運転して
勤務している病院へ出かける。


7月6日

やはり、イレウスだったと電話あり。
今日、オペをすることになったらしい。
私は、仕事で地方に行っており、明日帰ったらすぐに
病院に行く旨、伝える。

7月7日

夕方、病院へ駆けつけると、無事オペは終わっていた。
「手術は終わりましたが、別なものがあるようです」
と、泌尿器のDr。
「別なもの?」
「膀胱に腫瘍があります」

見せられたフィルムは、膀胱内にカメラを入れたビデオで
綺麗な薄オレンジ色をした、まるで海藻のようなものだった。
撮影のために、空気を入れているとかで
海藻のように、ゆらゆら揺れていた。
あまりの衝撃で、頭がクラクラする。

Drの話によると
1.腫瘍は乳頭状で、茎は細かったとのこと。

   
2.乳頭部分は大きいが、茎は幸い小さい
 

3.今回のイレウスは、腫瘍には関係ないと思われるので
  偶発したイレウスにより、腫瘍が発見できてラッキーだった

とのお話でした。
病室に行くと、「血尿があったのに、ほってたからアホや!」
と照れくさそうに言う。

「こんな事態になったからには、正面から堂々と立ち向かう!
 恐れることなく、いろいろな事態になったら、その都度対処する」

そう言い切る夫が、偉大に見えました。


7月8日

入院している個室で、「○○さんのフィルム持ってきて」と
看護師に言って、持ってこさせてはベッドの中で、画像診断をしている。
と思ったら、白衣に着替えて「ちょっと、家族に説明してくるわ」
と出かける。
まるで患者なのか、医師なのかわからない・・・

7月11日

患者のような、医師のような日々を過ごして退院となる。
今後、がんの治療は、出身した医科大学にお願いすることとなった。