膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

その瞬間まで

2012-05-30 15:21:16 | 生きること、死ぬこと
2012年 5月30日(水)

ベッドの上で、安静と称して
がんのブログをいろいろ見た。

抗がん剤が、いかにエグいか
たくさんの人が書いている。
皆さん、いのちと引き換えに
苦しくても、厳しくても
やっておられる。

死は、老いも若きにも突然やってくる。
東日本に起こった震災でも
死は、いつくるかわからないことを
私たちは学んだ。


すべての人に、例外なくやってくる
この事実を
恐れて
遠くに押しやる。
そして子供のように
死の谷間で遊びながら
あちらの世界に向かって
旅を続ける。

神さまが、いつ自分のいのちが
終わりになるか分からない
というプレゼントをくれているから
我々は、毎日のんきに暮らしている。

明日を信じて、明るく過ごしている、


余命告知を受けたような人は
いやがおうにも、死と向き合って
生きている。
中には、気が狂いそう、と書いて
いる人もおられ、胸が詰まる。

その立場に立ってないから
エラそうなことは何も言えないけれど
夫を見ていて思う。
恐れようが
苦しみ、悲しもうが
死はやってくる。

だから、明るく笑って
生きた方がいい、と。


残された日々を
笑って過ごそう!
家族みんなで
明るく笑おう。
死のその瞬間(とき)まで。







主治医に叱られる

2012-05-29 11:28:48 | わたしの病気
2012年 5月29日(火)

昨日、主治医に叱られた。
水曜日、外出したいと言ったからだ。

あなたは肺炎なんですよ!
安静が何より大切なんです
外に出て、うろうろするなんて
一番いけません!!


こんなに入院が長引くと
思ってなかったし
どうしてもやらねばならない
仕事が水、金とあったので
ま、ちょっと外出させてもらって
ちょこっと、やってきたらいいか
と気軽に考えていた。

でも主治医は、頑!として
首を縦に振らない。
今、きちんと治さないと
入院が長引いたり
薬が効きにくくなったり
菌が強くなったり
繰り返したりすると!

あまりに力説されるので
観念した。
安静が第一!と
肝に命じる!


大体、昨日は運が悪かった。
友人2人が見舞いにきてくれて
一緒にスイーツでも食べようと
談話室に行った途端、主治医が
病室に来られたノダ。

看護師から聞くやいなや
すぐさま部屋に戻ったが
<うろうろ>する現場を
見られてしまった、、、


安静とは、寝ていることです!




夫は、日に2ー3回病室にやってくる。
昨日は、ほとんど夕食が食べられなかったとか。
大学病院で、CTをしたら、二ヶ所のリンパが
大きなままだと言う。
今の薬を変えるか検討しているらしい。

あんなに苦しい思いをして
抗がん剤をやっているのに
効かないなんて・・・・

重篤な副作用と引き換えに
やっているのに、、、
どんな気持ちなんだろう
私なら、心底がっくりするだろう。
それも見せず、淡々としている。


とにもかくにも
わたしが
よーく養生して
早く退院しなければ!





日曜日

2012-05-27 18:22:43 | わたしの病気
2012年 5月27日(日)
今日は日曜日
長引く入院で、そろそろ家が
恋しくなってきた。

にぎやかな母親がいないと
家もひっそりしていることだろう
と思っていたら、お昼過ぎ
夫が娘を連れてやってきた。

来てすぐに、二人とも、パクパク食べ出した。
お昼まだや、と言いながら。
食べにきたかのように食べる、食べる。

二人が懸命に食べる姿を見ているうちに
なんかおかしくなって笑ってしまった。
だって、狭い病室で、二人で杭にかかって
(食いにかかって)いて
何か変なんですもの!


トイレから帰ってみると
今度は、二人とも寝ていた。
私がうつる!うつる!とうるさいので
二人とも大きなマスクをして
目をつぶっている。
娘はソファーに倒れるように眠り
夫は、腕組みをして寝ている。

わが家にいるようで
心がポッと温かくなった。
家族って、そんなもんかなぁ、と思う。
いつも、いる人が自然にいて
いたら気にしないけど、いないと
気になる。

何回か看護師さんが出入りして
へーんな家族を見ていた(笑)


二人が帰って、またいつもの
『おーい!』と叫ぶおじさんの声
かちゃかちゃした機材の音
忙しそうな看護師さんの足音
に戻る。


急に寂しく、一人ぼっちの気分

もし夫がいなくなったら
いろんなときに
いろんな場所で
思い出すんだろな、、、

どんなによれよれになっても
生きていてほしい!

ガミガミ言ったり
にこにこしたり
そんな姿をずっと見たい



さっき寝てたとき
マスクの隙間からみた彼の顔は
すごくへこんでた。
頬の横も、額も・・・
顔も、すごく痩せてきたんだね、、


顔まで
痩せてきたんだ・・・・・







一時帰宅

2012-05-26 15:11:57 | わたしの病気
2012年 5月 26日(土)

久しぶりに、数時間自宅に帰る。
火、水、木、金と4日しか経って
いないのに、久しぶりの気がする。

2、3日の入院ぐらいに考えて
いたから、いろいろ足りない物
だらけだった。

病室にいると、今日は暑いのか
寒いのか、さっぱりわからない。
窓から見えるのは、殺風景な建物だけ
山や木々でも見えたらいいのになぁ・・・


昨日、入院期間はどのくらいですか?
とドクターに聞いてみると
なんと!2週間との答
ひゃぁぁぁ!
困る、こまる、コマル


夫が重病つうに、2週間も
入るわけにゃいかぬ!





低い白血球数

2012-05-25 21:28:32 | わたしの病気
2012年 5月25日(金)

3日続いた私の高熱は、入院して
どんどん点滴をしたら見事に下がっていった。
あとに残るは、ゼロゼロした咳


今までも言われていたのだが
私は白血球やリンパ球が低い。

つまり免疫が弱い、ということで
今回の入院時、白血球は
なんと!!2500しかなかったそーな!

普通の人が7000から9000あるのに
である!

ったく、化学治療をやっている
夫に負けそうな値、、、


だのに
いつも
ムリばかりして
倒れる


し ・・・・・


夫は、お昼休みと夕方に
ニコニコして見舞い?に
やってくる。

よれよれになって
ベッドに寝ている私から見ると
なかなか顔つやが良く
元気そうだ。
好きな仕事で
生き生きしてるんだネ!!













私が肺炎?!

2012-05-23 12:46:06 | わたしの病気
2012年 5月22日(火)

金環日食後、私の熱はどんどん上がり
39度4分から下がらなくなった。

でも高熱のわりには、そこまではしんどくなく
階下におりては、家族が集う夕食の
部屋のガラスのドア越しに、夫と
会話していた。

元々は、娘がゼロゼロやってたのから
移ったようだったから
血液データの低い夫に
もし移ったら?!と、凄く警戒して
私は、自主隔離していた。


夫の指示通り、抗生物質を2日間
飲んだのに、熱はちっとも下がらない。

アタマだけ冷やしとき!
というから、保冷剤で冷やし続けた。


昨夜、寝る前にちらっと
友人の話をした。
あまり高い熱ではなかったのに
手遅れ寸前の肺炎だった話。
普段から家族がらみで親しく
お付き合いしている友だ。

入院先のドクターの昼夜も問わない
懸命な治療の甲斐あって
友人は一命をとりとめた。
そのとき、ご主人の放射線科医師が
『私がついていながら・・・
少し遅すぎました、、、』と
涙ぐんでおられたのが、強く印象に
残っている。

この件があってから悠に五年以上は経つが
ショッキングな出来事として
記憶は鮮明だ。

いつもは22時には、熟睡してしまう夫も
この話の影響か、なかなか寝られないようで
ゴトゴト音がしていたが
夜中2時に、大声で叫んだ。
『明日は入院や!
朝イチにいくから、着替えや
歯ブラシなど用意しといて!
入院せんかったら知らんで!
どんななっても知らんで!』


そんなこんなで、今朝早く
彼の勤務している病院へ!
インフルエンザの検査は陰性だったが
血液検査、胸部レントゲンとCTで
肺炎と診断され、入院となった。

はぁぁぁぁぁ!、、、、
あたしが肺炎?
まさか肺炎などとは、縁がないと思っていたのに
思いがけなく、病はやってくるなぁ。



しばらくおとなしく寝てないと
仕方ない。。。






金環日食

2012-05-21 15:38:57 | 闘病
2012 5月21日(日)


娘が買ってきたメガネで、家族みんなで
金環日食を見る

心配していた天気も
幸い晴れて、とてもいい状態の金環日食が観れた。

夫も最近見たことのないほどの笑顔で
満面の笑み

庭なんかで観んでいい
室内から十分観れる
そう強く彼が言うので
みんなで、2階の窓から観た。

関西は三日月みたいな形しか無理
との事前情報だったから
半ば諦めていたけど
東京あたりで観えると言われていた
円形につながった細い金の環が
こちらでも見えた!
すごく神秘的で、堪能する。

月と太陽のショーが終わって
夫は、普段とおり勤務に出かけた。

夫が出かけてしばらく経って
ものすごいゾクゾクしてきた!

今日は風が強く、高熱の私には
ほんのちょっとだったけれど
庭に出て、風に当たったのが
悪かったのか・・・

夫の言うこと聞いて、早めに室内に
戻ったのにコレだ!









身体中が痛い・・・

2012-05-21 15:15:54 | 闘病
2012年 5月21日(月)

昨日、お風呂に入ろうとして
ズボンを脱ぎながら
いててて!

どこが痛いの?
身体中全部や

いててて、と言うくらいだから
かなり痛いんだろう
痛み止めにロキソニンを
ずいぶん前から飲んでいる

ふと、パソコンをやっている横姿を見ると
首が異様に前に出て、老人のような姿

毎日、会っているから
変化はわかりにくい
徐々に変化していく“見た目”は
家族にはわかりにくいものだネ



いつもは35.2度の低体温の私が
珍しく39度近い発熱
咳も出るし
抵抗力のない夫にうつしてはタイヘン!
と全室の窓を出来るだけ開けている。

前回の抗がん剤治療で
血液データが極端に下がったとき
予防的に抗生物質をのめ、と言われていたから
今回も、緩い抗生剤を、しぶしぶ飲んでもらった。
免疫があるから、風邪なんかうつらへん
と言いながら。。。


今年夏は、山登りはやめて、イタリアに行くと
研究に余念がない
毎日のように、ガイドブックを見て
ベローナでアイーダも観るようで
CDないか? 物語の内容は?
と聞いている


7月のイタリアは、猛烈な暑さのうえに
エアコンはほとんど普及していない。
もっとも、10年以上前の話だけど、、、
美術館などでも閉め切った、猛烈な暑さで
観賞していたら気分が悪くなる。
もちろん外は灼熱の太陽が照りつける
元気で行ってこれるのか、不安・・・
訪イの間、何とか元気で過ごせますように!!


6月にもう1回、抗がん剤をすることが決まった
もうやらないかもしれない、と言っていたのに
たぶん何とか海外に元気で行って来れるよう
配慮してくださったのだろう


またあの激しい副作用と闘わねばならないんだね・・



主治医に、これからの予後を聞きにいきたいけれど
怖くていけない。
彼は、すこぶる前向きで、ポジティブに闘病しているから
きっと、神さまは、まだまだ多くの時間をくださるだろう!
我々もしっかり支えなくては!







高齢の母

2012-05-19 13:47:28 | つぶやき
2012年 5月19日(土)

実家の母が、まもなく92歳になる。
元気だった母も、最近めっきり衰えてきた。
何より深刻なのは認知症。

短期記憶がダメで、今のことを忘れてしまう。
クレジットカードやキャッシュカードも
片付けると称しては、置き場所が分からなくなり
再発行し続けるのも、もうきりがないので止めた。

止めてからは、お金がないと言えば渡すやり方を
していたが、その方法ももう無理になってきた。

束にしたお金を、どこかに片付けてしまい
「お金がありません。餓死します」とメールがくる。
引用返信のやり方だけは憶えていて
メールは頻繁に打ってくる。
しかし、こちらが送ったメールは見れず
「メールしても返事もない」と嘆く。


もう生きている価値がありません
何ひとつ自分で、まともに出来ません
とシリアスに自分を見つめて嘆いたかと思えば
お金を渡した翌日に“餓死メール”がくる。



日中はデイサービスに行っていて
お昼ごはんも食べさせていただき、夕方帰るときには
夕食のお弁当を渡してもらうようお願いしている。

自宅に帰ってお弁当を食べて、大好きなビールを
3缶も4缶も、好きなだけ飲み
あとは寝るだけ。
翌朝はまた、デイから迎えの車が来る。
そんな繰り返しなのに
「お金がありません。餓死します」病に取り付かれている。


あまりにお金がない、と嘆くので
究極の案で、部屋のあちこちに千円札をセロテープで貼って
ぶら下げることにした。
テレビを見ようとしても、食器を出そうとしても
すぐ目に入る場所に、千円をぶら下げた。
これは名案で、千円を見つけるとげらげら笑うようになった。
しかしあまり簡単な所にばかり置くと
見つけて、また“収納”してしまうので
少し見つけにくい所も作り、数日して行ったとき
どのくらい残っているか確認して、また次をぶら下げる
今はそういうやり方で、なんとかもたせている。


元々、やりたいことだらけの母だった。
写真、木彫り、俳句、絵手紙とやりたいことを
懸命にやり、いつも「時間が足りない、足りない」と言っていた。
自分のやりたいことがたくさんあるので
1人暮らしは、まったく苦にならず
自由を楽しんでいた。
人の何倍も充実した90年以上だったと思う。


祖母は、誠によく出来た苦労人で
いつも耐え、周りに気を配り生きていた。
母の母である。
90歳過ぎて衰えかけると
子供に迷惑をかけたくない、とさっさと病院に
入ってしまった。
しかし、病院とは病人が入るところで
ベッドの上で、繕い物をしていては叱られ
骨を折ったら困る、とトイレにも行かせてもらえず
おむつをさせられ、強制的に寝かされても
文句一ついう人ではなかった。
いつも黙々と耐え、ニコニコし
「わたしは、難しいことは何も判りません」
と判らぬ、解らぬふりをしていた。

そんな立派な母親がいたから、母も
年を取ったら施設に入る
子供と同居することで、子供の生活を犠牲にしたくない
とよく言っていた。
「私は絶対、同居はしないから、勧めないでね!」
と何回も言われていたから、年をとっても引き取ることは
考えていなかった。


今、母にもう1人暮らしは無理だ。
毎日行っているデイが、皆さんとてもよくして下さり
嘆き母も、デイでは明るく楽しそうにしている。
5月から5人だけ入所も出来るので
検討してくださっている。

1人だと、いつ火を出すかとても心配だし
足が丈夫で、あちこち買い物に出かけては
買ってきたものを忘れ、また買い込む
そしてほとんどの食材が賞味期限切れとなり
それを判らずに食べるのも心配だし。。

いよいよ入所か・・・




ふぅ・・・
美しく老いていくのも至難の業だなぁ・・・


そんなこんなで、2日と開けず母の家に車を走らせる。
ちょっとした時間の隙間に行くのだが
一旦行くと簡単には帰れない。

母がお弁当の夕食を食べるのを見届け
ビールもたくさん飲んで、満足し
寝床に入ったら、即帰って来る。


そういう日が最近多くなってきたから
夫とはなかなかゆっくり食事もできない。

しかしふぅふぅいって帰宅した私を
玄関まできて出迎え「お疲れさん!」
と声をかけてくれる夫。

脳外科だし、認知症にも詳しく
理解がある。
本当に助かる!

でも、夫との大切な日々が減っていく。
気が気でならない。

少しでも「おいしいね」と
ときを重ねたいのに
「お金がない」
「お金がないほど、ミジメなことはない」
という母のために、走り廻る日々。。。。

















くそーっ! 腹が!

2012-05-17 23:06:43 | 闘病
5月17日(木)

くそーっ!
腹がなんとかならんかな!

にが~!
まずいなぁ
この漢方薬
舌が荒れているから
よけいにマズいんかな


腰も痛いし
足の筋肉も痛い
ぴりぴりした痛みは治ったけど
鈍痛が取れんわ、うっとしい!


痒いしナ
やっぱりまだ抗がん剤の副作用が
残っているんかな。。

こないだ、歓送迎会で意識なくなったんや
介抱されて、カッコ悪かった
貧血おこしたんや
血液データ、低いからな・・・

ブゥーーー!!と、ガス出てほしいわ
ちょっとしか出ぇへん
何でやろな
うっとしい~
ふぅ~


ズボンベルトを緩め
あっさりした夕食をちょっとしか
食べてないのに
ふぅふぅ言っている

左足もかなり浮腫み
指で押すとへこむ

こんな状態になって2週間近く経つ
食欲がめっきり落ちた
ビールも「ハラが張る」といって飲まないし
少し食べたら、すぐ横になる
しんどそう・・・


昨夜、寝られないまま
逸見さんの「がん、再発す」を読んでいたら
腸の働きが悪いのは、がん細胞があるから
という記事があった
ドキっ!とした
夫も具合が悪くなるサインはいつも腹部のガス
再発時もそうだったし
手術前もそうだった



毎日、心臓がざわざわして落ち着かない
ヒタヒタと忍び寄ってくる何かを感じてしまう



夕食時、思い切って聞いてみた
「お腹のガスが張るのは、腸の働きが悪いから?」
夫は静かにうなずく
「なんで、腸の働きが悪くなるの?」

「そんな話題やめようや!!」
吐き捨てるように言った言葉が、悲鳴にきこえた









寒い寒い白山麓の旅館へ

2012-05-12 20:14:00 | 普通の日々
2012年 5月4日(土)

寒さと豪雪で知られる、白山麓の
旅館に家族で行ってきた。

前日は、しんどいから行くのムリや
よろしく言っといて!
と言ったかと思うと、やはり思い直したのか
しばらくして準備を始め
今朝起きたら意外と元気に出かけた。
頑張って、長時間運転もする。

旅館は、夏でも寒いと知られる所だが
例年より寒い今年
到着した夕方は15度
翌朝は、なんと9度だった!

翌5日は、一瞬ものすごい暴風雨になって
荒れ狂い、木々を見ていたら怖いぐらいだった。
異常になっていく地球を、垣間見た気がした。
夫の身体と同じように
地球もどうなっていくのだろう


彼はここ1週間ほど、春山の疲れが出たのか
元気がなかった。
食欲が微妙に減ってきている。
寡黙なので、周りがわいわいやってると
うるさいなぁ~ ようそんだけしゃべれるなぁ
と言う。
自分にしゃべる元気がないと
人の声もうるさく聞こえるみたい・・・
張りのない声で、時々ボソっとしゃべっている。


毛根がやられた!と、毛は諦めているようだが
アタマが寒そう。。。

なんでこんなに油、出んのかな
べたべたや
前はこんなことなかったのに、、、、
と頭をさわり、ベタ~っと手につく油を見せる。
頭がテカテカに光っている。

頭が光ってるやろ?
ううん、光っているのは額よ

ちょっと寂しいウソをついた。
男性にとって、頭髪はとても重要!
知っているから、ほとんどなくなった頭上が
光っているなんて
とても言えなかった。













また、お腹のガスが・・・

2012-05-01 23:57:52 | 闘病
2012年 5月1日(火)

昨日、疲れ果てて山から帰ってきたのに
今日はもう仕事に出かけた

早めに帰宅したが、やはり寡黙だし笑わない
何か元気がない
夕食時も、ワインも飲まず
食もあまり進まない

食べ終わって、すぐに横の和室でゴロリ


何か変だな、と思っていたら
お腹のベルトを広げている

どうしたん?
腹がまたガスで苦しいわ

愕然となった!
お腹のガスは、彼にとって
バロメーターの一つ
ちゃんと元気で食べられるか否かの


またどこかの異変の予感を感じているのか・・・
だから、最近暗いんだね・・・

これだけ厳しい治療をがんばっているのに
病魔は、ひたひたと押し寄せてくる


がんって、ある時から急に
どどどっ!と悪くなる・・・
そんな友人を何人もみてきた



暗澹たる雲が押し寄せる