膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

いまを、精一杯!

2012-10-30 23:52:03 | 闘病
2012年 10月30日(火)

マイナス感情は
10秒まで
と決めたらいい
との提唱がある


今がいちばん悪い
と考える

明日は今日より
良いのだ
と信じる


この世には
恐れるものなど
ない

いつもニコニコしよう、と




先を考えず
いまを
精一杯生きよう

生命が終わるということ

2012-10-30 23:44:15 | 闘病
2012年 10月30日(火)

生命が終わるということは
宇宙へ帰る、ということだそうな


安らかに
私たちが生まれた古里へ
帰り着く


生も死も
宇宙を旅して
帰ってくるだけ
特別なことじゃない




辛いことがあっても
すべて
生命の大河の流れに
ゆだねよ
と仏教は教える



目頭に涙

2012-10-29 22:01:51 | 闘病
2012年 10月29日(月)

今日、大学病院での診察から帰った夜
目頭に、なみだが溜まってた




「なにか、言われたの?」
「頑張りましょう、頑張りましょう!
 とばっかり言う」



次の治療は未定とのこと







もうこれ以上の治療は出来ないと
言われたのか

追い詰められた
とても苦しそうな顔だった





長い時間、黙って傍にいた
私ができるのは
それくらい





苦しい毎日続く、、、

2012-10-26 18:03:37 | 闘病
2012年 10月26日(金)


3週間前
10月初旬には、夫婦で駒ヶ根から中央アルプスを見ていた。
快晴で、山並みがくっきり美しかった。

宿での食事はさっぱり食べられなかったけれど
もう歩けなかったけれど
運転は、かなり長距離できた。

美しい湖をどんな思いで見ていたのだろう。

翌日10月8日は、西神戸へ100km以上走り、運転もした。



それから毎日
食事はほんの少ししか食べられず
ほとんど歩けず
しんどい理由を“副作用”と称し
ゾウのようにパンパンに腫れた両足をさすりながら
寝たり、座ったりして過ごしている。

痛みは、先日の入院で薬の量が増え
コントロールできているという。
時々痛そうに顔をしかめているが
前のように絶叫はしない。

一昨日、夜に急に酸欠になり
近くの病院に入院する、と言い出した。
呼吸困難で苦しそう
しかし、しばらくしたら落ちついたようで
明日の朝、様子をみて入院することになった。
結局、翌日入院はせず
リンパ浮腫のマッサージを受けに病院に行く。


自分でできなくなったものだから
いろいろな要望が多く
~して
という連続

突然言うし
次から次へ、要望が出されるので
こちらは果てしなく疲れる。


今まで、自分のことは自分でやってきた夫だっただけに
彼の分もやる、ということの大変さをひしひしと感じている。

こんな状況で、私が仕事を続けるにも、限界がある。
急に
「~に行きたい」
「~に車で送って」
「~したい」
「~食べたい」
とどんどん言われるので
こちらのスケジュールとの調整を考えると
アタマがクラクラする。

もうどうしていいかわからない。

がんばれ、がんばれ!!
と自分の心の中で叫んでいる。


夜は、仏教の本を読んで
心を落ち着かせている。
無神論者だった私が・・・








夜中の会話

2012-10-23 18:03:12 | 闘病
2012年 10月23日(火)

夜、痛みで1時間ごとに目覚めている。

先日、明かりがついているので入っていった。
夫婦で、少し話をする。



「こんな形で、退職することになるとは・・・

 残念や。。

 もっと働きたかったわ
 元気ならいくらでも働けるのになぁ」



そう言った直後


「ちょっと仕事辞めるの、遅かったわ
 もうどこにも、行かれへん
 体力、あらへん
 も少し早く、仕事辞めて
 あちこち旅行したらよかったなぁ」


いろいろの思いが交錯しているんだね。








極限の日々

2012-10-22 13:01:04 | 闘病
2012年 10月22日(月)

みんな、楽しそう
生き生きと、明るく生きているなぁ
久しぶりに陽の下を歩いて
別世界のように感じた


最近わたしは、すっかり免疫力が落ちてしまった
何をするのもしんどいし
頭がクラクラして、ちっとも働かない
ぼおっーとして、考えがまとまらない


夫は
毎日、麻薬などの強力な痛み止めを
飲んでも、うんうんうなり
ほとんど食べられず
数歩しか歩けず
夜も1時間ごとに目覚めて
目覚めるたびに、薬を飲み続け
少し食べたら、吐き気が襲う

お腹は、ガスで腫れ
食べなくても苦しがっている
両足は、ゾウのように浮腫み
あまり腫れてくると痛いと
マッサージしてくれ、と訴える

麻薬の副作用で、強烈な便秘になり
全く出ないので、昨日ついに
指でほじって掻き出してほしい
と言った

この先、どんな地獄が待っているのか
身も心も、例えようもなく重い

あんなに苦しいのに、生への意欲を
失わず、じっと堪えているのだから
わたしも頑張らねば、と
アタマでは解っているけれど
力が湧いてこない

極限に苦しい日々

先日、小さな力ない声で
「こんな病気、ならへんかったらよかった
仕方ないけど……」
と呟いた

来年はどうなるかわからん
とも









大学病院の教授と話す

2012-10-10 17:47:48 | 闘病
2012年 10月10日(水)

10月10日
サードラインの抗がん剤をするために
大学病院に入院した。

入院初日、教授からこっそり呼び出しがあった。

見せられたたくさんのCT画像には、いっぱいの矢印があった。
その矢印が、転移の箇所

肺には無数の大小の転移があった。
骨盤は左側の輪郭が、雲のように崩れていて
骨が崩れかけている、という説明だった。
これでは、激痛のはずです、と。

頸もたくさんの矢印があった。
リンパをぐるぐる廻って
肺転移、骨転移と広がってしまった
無情の画像だった。

サードラインの抗がん剤については
やった人の資料がないから
どのくらい効くのかわからない。
薬剤も、これからいろいろ考えて決める。
副作用については、今までより厳しい
との説明

それでも、まだやるのか
まださらに厳しい副作用だなんて・・・




大腸がんで、38回もの抗がん剤をやり続け
亡くなった人の話を聞いたが
彼女の体調がよかったのは
抗がん剤が終わり、次の抗がん剤に入るまでのたった1週間だけ。
苦しい副作用からやっと抜け
次の抗がん剤に入る前のわずか数日だけ、少しマシな体調だったという。
何年も何年も、抗がん剤と闘った日々。




教授は、我々は治療を決してギブアップしません!
今後はどのようにするのがご希望ですか?
と聞いてくださった。

ずっと入院していただいてかまいません
とも

でも、彼は
1日でも長く、家にいたいだろう。

この数日
今まであまり入らなかった応接間で
本を読んだり、家のあちこちの部屋に
身を置いている。

我が家との
別れを惜しむかのように