膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

ほんとによく動いたね!!

2012-12-02 14:55:29 | 闘病
2012年 12月2日(日)


とにかくパワフルだった!
物凄い行動力だった!


1月

元旦
おせち、よく食べる

2日
親しくしているドクター宅にお呼ばれ

9日
家族4人で、スキーにでかけ
ウェーデルンで、ノンストップで滑っていた。


2月

6日
東京の友人が泊まりにきて
夜遅くまで、食べて飲んで歓談

9日~11日  
野沢にスキー学会に出かける

16日~19日 
白馬スキーセミナーへ

25日
姉の家でバースディを祝ってもらう
もりもり食べていた


3月

2日~4日 
乗鞍にスキーに行く

16日~18日 
木曾御嶽の友人の別荘にスキーに行く


4月

14日~16日 
スイスからの来客を接待して
京都西山を観光案内
夕食は、毎晩歓談


5月

5日~6日 
福井県白山の親戚の旅館へ

11日~13日 
学会で東京へ


6月

9日
母の引越しを手伝って
タンスを運ぶ!


29日
トイレが詰まり
シュッポン、シュッポンとがんばる


7月

8~16日 
個人旅行で猛暑のイタリアへ!
ミラノからヴォルツァーノ、ベローナ、ローマと旅する



下旬
7月末の東日本チャリティの大イベントの
準備をいろいろ手伝ってくれる


8月


上旬
近くの花火大会に行く
最後まで見ていた

中旬
母の家に息子と掃除に行く

17日~20日
木曾御嶽山麓の、友人の別荘へ
温泉に入ったり、楽しくお酒も飲み、食べる

25日
また母の家に行き、たんすを運ぶ

9月

1日~2日
大学の同窓会で岐阜へ

9日
いつも歩くハイキングコースへ
コースの4分の1ぐらい歩く

20日
墓参りで福井へ
220km、運転する


10月


5日~7日
信州の駒ヶ根と蓼科へ
少し運転する

8日
息子の引越しのため
荷物を乗せて、また100km走る


11月

4日~6日
白浜へ

5日
同窓生と鍋を囲み
昔話で盛り上がる

6日
夜帰宅して、自力で尿が出ないので
入院するというが、明朝まで延ばす

7日
入院

8日 (赤字は本人が手帳に記載したもの)
バルーン挿入
見舞い客多し


11日
一日中 雨  
無気力、眠気の一日
午後、リンパマッサージ
時々、右下肢、足、背の痛みがシビアとなる!


12日
Pain 3~5
    (注)痛み 3時~5時?
リンパマッサージ2回目

13日
曇~次、雨
午前中は低血圧 70~80
両下肢 リンパマッサージ
退院は16日(金)か


14日
記載なし

15日
記載なし

16日
Pain 4hr
      (注)痛み 4時間

紅葉を見にドライブして帰宅


17日
大学の総会出席ため、実家に行く

18日
親族が送り迎えをして
総会に出席する
無事、会長職を引き継ぐ

19日
夫の実家で、私も共に夕食をとり帰宅

20日
食欲あり
おいしい、とたくさん食べる
~して
~取って
とリクエスト多く、元気

21日
食欲なし
ほとんど食べられなかった
「お疲れさん」と優しい
夜、寝る前30分ほど話する

22日
もう起きてはこなかった
食べかけのおかきと
麦茶が残っていた





 










死、そのとき

2012-11-27 15:52:40 | 闘病
2012年 11月26日(月)

血圧が下がり
心臓に充分な血液が送れなくなり
心停止に至ったのではないか

心臓が止まったあと
5~10分後に、最後の呼吸吐気があり
うーん~~~
という一声があったと考えられる

しかし、そのときすでに心臓は止まっている
また脳の死は、心臓よりもっと早く訪れている
だから、万一蘇生により、心臓が動きを取り戻しても
意識回復は難しかっただろう

もしかしたら、
エコノミー症候群のようなものが起こっていたかもしれない
リンパ浮腫による、足のリンパ液の停滞で
血腫が肝臓に飛び、肝不全を起こした可能性も・・・




亡くなっていった瞬間は
血圧が下がり
あ~ ねむたい
と自然に眠りに入っていくような状態だったのであろう

穏やかに
眠るように
最期を迎えられたのでは



以上、医科大学 救急医療 教授 の話



永眠しました

2012-11-23 21:41:16 | 闘病
2012年 11月22日(木)

 
 
 いい夫婦の日 

 
 11月22日

 
 夫はその生を終えました





  前日夜まで、懸命に生きようとしていました

  ずーっと先まで

  いろんな計画を立て

  いろんな予約を入れていました




  最期の夜は

  夫婦で、普段のようにいろいろな会話をして

  おやすみ~   と

  

  隣の部屋で、しばらく電気をつけていた私に

  「まだ寝ぇへんの?」

  と声をかけたのが、会話の最後でした



  22日は

  もう起きては、きませんでした





 “先を心配せず、いいことばっかり考えて生きる!”

  と最初に宣言した通り、立派な立派な闘病でした



  その宣言を、見事に最期まで貫いてみせた夫



  彼、本人も

 
  突然訪れた死を知らずに

  逝ったのでは、と思います








  苦しまなかった

  そう信じています


  死ぬ、ということが頭をかすめることもなく

  心臓が止まった

  そう信じています



  だって横の部屋にいた私が

  気づかなかったのですから




  やっと痛みから解き放たれた

  おだやかな

  笑っているような顔でした



  救急車で、勤務していた病院に運ばれて

  ドクターや看護師さんたちが

  懸命に蘇生をしてくださり・・・

  



  その後

  各病棟から、看護師さんたちが

  お別れに、ぞくぞく来られました



  廊下の両側に

  ドクター、看護師さんたちが

  ずらーっと並んで

  皆さん、頭を下げて

  見送ってくださいました


  わずか20日ほど前まで

  懸命に働いた病院で

  皆さまの涙に送られて

  病院を後にするなんて

  なんと幸せなことでしょう



  



  皆さま、本当にありがとうございました!!


  




      享年 64歳








いよいよ状況厳しく!

2012-11-22 12:06:11 | 闘病
2012年 11月22日(木)

昨日水曜は、本当に食べられなかった
せっかく作ったエビ丼も、お芋煮付けも
数口食べただけ
果物は、2切れ食べたけど・・・



どうするつもりなのだろう
これでは、栄養剤の点滴でもしないと
身体がもたない!


一昨日は
「おでんはやっぱり、2日目がおいしいわ!」
とかなり食べれたのに・・・
炊き込みご飯も、それなりに食べていた。
デザートも。




「入院して、痛み止めの点滴して
 寝てばっかりやったら
 そんなん廃人や!」

そう言っていたから
極限にならないと入院はしないだろう




私の姉が、今日東京からやってくる。

まずは、姉に会ってから。。。





夫は、朝方に痛み止めを飲んだのか
まだ起きてはこない


先ほど、うーん・・・
という声
いつもは大体、あれを3回ぐらい言ったら起きてくるから
もう少ししたら、お目覚めかな
まだ、1回目













医学者の総会に、車イスで出席する

2012-11-18 12:08:55 | 闘病
2012年 11月18日(日)

夫が会長をする会の総会に
どうしても出席して、副会長に役を
引き継ぎたい!
と言うので、姉妹夫婦や母にも
協力してもらって、果たしてきた。

自分が重病というのを知らない人も多いから
出席して、姿を見せることで
出席者は皆、医者だから分かるだろう
と言っていた。
途中での降板なので、どうしても出席したいようだった。


誰が迎えにいく
誰が送っていく
夕食は?
と大騒動だったけれど
なんとかやり切れて
親族の皆さんに感謝!
ありがとう!!



出かけていくとき
スーツを着て、ネクタイを締めたら
しゃん!として
杖もつかず、さっさと玄関まで歩いた
と義母が驚いていた。


実家に2泊し
帰るときも、けっこう早足で
しゃんとして、玄関に向かった。

最近はいつも家では、室内用の杖をついて
よろよろ歩いているので
別人を見るようだった。

歩くの、禁止されてるねん
と言っていたのに。



強い責任感で、大きな仕事を
乗り切ったんだね!







念願の自宅へ

2012-11-15 23:07:14 | 闘病
2012年 11月15日(木)

夫念願の退院
私は、不安でいっぱい

だって
歩けない
食べられない
便も出ない
尿はバルーン
痛みはヒドい
浮腫みは、両足・左手・腹部に及び
ぱんぱんで、触ると硬い
足の先まで、もう手が届かないから
靴下も自分で履けない
シャワーも、背中など洗えない
腕も腫れているし、肩も痛いから
服も脱ぎ着しにくい

自分でできることが、どんどん減ってきている
ほとんど横に付いていて
彼の手足となってあげなくては・・・




まっすぐ家に帰らず
今、紅葉が凄いキレイよ、見に行ってから家に帰ろう
と言うと、しんどいのか気乗りのしない返事

「お母さんが見たいんやったら行こう」
「私はこないだ見たよ。見せてあげたいんよ」
「お母さんが見たいやろ?」
とイマイチ、ピントの合わない会話のまま
山道を走る。

あ、ほら! 綺麗、綺麗
と言っても、力なくちらっと見るだけで
元気なかった。



 








白目をむいて寝ている

2012-11-14 17:30:46 | 闘病
2012年 11月14日(水)


まもなく、夫が退院してくる。
夫がいないときに
聞きにくい質問などを済ませておこうと
いつもの友人のドクターに
気になっていた点を聞いてみた。

彼が寝ている顔を見ると
目がちゃんと閉じず
白目が3mmぐらい見えている
その顔は、なにか気持ち悪く
どうも気になる、と。

そんな顔して寝る人いますよ
とドクターは答えられた。

軽く言われたけれど
結婚して35年近く経つのに
そんな顔をして寝ているのを見たことがなかった。

だからなんとなく、納得できなかったのだけれど・・・




<2013年11月28日 後記>

彼が亡くなって、喪中ハガキを出したら
たくさんの方々から、驚きのお電話やお手紙をいただいた。
その中から、若い娘さんをがんで亡くされたお母さんの話 

「娘が亡くなる5日ぐらい前から
 白目をむいて寝るようになったんです」


また上述の友人放射線科ドクターは、私と白目のことで会話した後
奥さまに「あと1週間ぐらいやと思う」と言われたと後で伺った。
その通り、夫は1週間後の11月22日に亡くなった。


人は死が近づいてきたら、目をちゃんと閉じることができなくなるんだね・・・




退院したい!

2012-11-13 23:00:35 | 闘病
2012年 11月13日(火)

毎日、誰かが病室を訪れている。
先客万来だ。

特に、自分がついこの間まで入院していた勤務病院だから
あちこちの病棟から看護師さんたちや医師が
どんどん来られる。


だのに、寂しい   と言う。
ちょっとだけでもいいから
顔を見せて、と。

夕食の頃、あわてて行って
2時間ほど病室にいて
という毎日。

帰ろうとすると
「顔見たら、心がなごんだわ」


入院はつらい
気が狂いそうや
退院したい!
と言い出した。

家がいいんだネ・・・

バルーンつけたままで退院??


午前中は、低血圧 70~80 だった!





主治医との話

2012-11-12 22:39:16 | 闘病
2012年 11月12日(月)

主治医から、こっそり話がある
と呼ばれた。

リンパ転移、骨転移、肺転移のほかに
炎症反応も高く、がんのマーカー値も高い

今までどうもなかった肝臓にも転移が広がっていた
大小たくさんの黒い影が、肝臓にあった
これもそうです、これも
と棒で指しながら、主治医は説明してくださった



しかし今日、本人にも画像を見せたらしい。
夫は「肝臓は昔からのう包はあるが、それは問題ないですしね」
と言って、黒い斑点の転移像には触れなかったという。
転移を見ようとしなかったのか、解ったが口に出さなかったのか
分からない、と主治医。
パラパラと早く画像をめくっておられた、と。




長く脳の画像を診てきたんだ
きっと解ったにちがいない・・・・




本人のメモには 3~5時 Pain 

朝方2時間、痛んだんだね




入院、そして導尿

2012-11-07 12:50:05 | 闘病
2012年 11月7日(水)

尿が出ないので、午前入院となる。
腫れ上がった両足を見て
看護師さんが驚いていた。
痛そう・・・と

その後、泌尿器科の専門医が来て
導尿となった。
排尿のたびにトイレに行くたいへんさは
なくなったが、管をぶら下げて
気分悪いだろうな、と思う。

入院してくれたので、一応ホッとする。
家だと、彼がいろいろオーダーしてくることが
医療の専門的なことだと、私はできないし
言われるだけで、アタマがくらくらする
彼はいとも簡単に言うが
私は「えー?! それ、どうやってやるの?」
とおたおた、混乱!

だから、入院でひとまず安心!

尿を出すことができない!

2012-11-07 01:10:18 | 闘病
2012年 11月6日(火)

白浜から順調に帰ってきたが
夜、トイレで排尿しようとするが
どうしてもできない。

陰部まで、リンパ浮腫で腫れているためだ。
うんうんうなって、15分ぐらい頑張っていたが
ついに無理と判断。
尿が出ないのは致命的なので、入院するという。

あわてて、入院の用意をしたが
もうすでに、夜中の1時
当直に専門の泌尿器科医がいる可能性は低く
明日朝に入院することになった。

共倒れの、がん患者の家庭

2012-11-01 19:54:57 | 闘病
2012年 11月1日(木)

11月に入った。
今日は、とても風が強く
季節の移ろいを感じる。


昨年再発してから、1年半以上経った。
がんは、再発してしまったら負け、という話が多いので
5年以上経過しての再発は、物凄いショックだった!!
彼も「ガーンときた」と友人のDrに電話で話していた。
5年以上も、我々はがんを忘れて過ごしていたのだ。


昨年は、なんとか明るく頑張り
今年になって、どんどん悪くなってきて
それに従い、私の免疫も落ちて落ちて
今では、抗がん剤を繰り返している彼より
私の白血球数の方が少ない。


私が元気で、夫がどんな要望を出してきても
ニコニコ叶えてあげたい!
何でも軽々とやりたい。
長年パワフルに、いっぱいのことをやってきたのだ
だから、元気でありさえすれば、できる
でも、今は限りなくウツっぽく
元気が全く出ない。

彼に  ~して  ~取って  ~行きたい ~食べたい
と言われるたびに
目はぐるぐる廻るし、耳なりや
吐き気はするし
夜は目覚めてばかりで、最悪の睡眠の質

突然どしゃー!っと汗が出るかと思えば
ゾクゾクして寒い
果てしなくしんどい

車の運転をしても、常にぼぉ~っとしていて
いつの間にか家に帰り着いている。
こんな状況では、運転も危ない。
だからよけい、彼が福井県に行きたい→長野に行きたい→
九州に行きたい→白浜に行きたい→
とどんどん言うと、頭がフリースして
クラクラする。
大学病院に、付き添って運転して行くのでさえ
自信ない。


この3週間苦しめていた抗がん剤の副作用は
やっと少しマシになったようで
ここ2~3日、だいぶ食べられるようになってきた。
食べられると、彼の表情も少し明るい。

地図や本を読む気もおきてくるわ
と言う。




でも私は、元気を取り戻せない。
親友から、目が死んでいる、と言われた。
元気を出して、先を考えず、明るく楽しく
日々生かされていることに感謝して
と解っているのだけれど、頭では。
でも、身体がしんどくて、しんどくて
どうにも動かない。

仕事でも、頭は働かず
苦痛の時間。
仕事先にも
申し訳なく
また、彼にも申し訳ない。
元気が出なくて


日々是好日
解っている
いるけれど、心のコントロールができない。
人間とは弱いものだ、としみじみ感じる。


わかりもしない先を考えるから悪い!
わかっちゃいるけれど・・・



神仏にすべてゆだねる
そう本当にできれば、楽なんだろうけど・・

彼は立派に生きているのに、、、
ほんとに夫は強い



なんとか踏ん張り、頑張って
乗り切らないと!
そう強く思い
がんばれ、がんばれ!と
夜にベッドに入って
声を出さずに絶叫している



一日一生!!

明日になったときに、明日をどう生きるか考える

現在のいま・ここ、に集中して過ごしていく


努力しよう!
がんばろう!






いまを、精一杯!

2012-10-30 23:52:03 | 闘病
2012年 10月30日(火)

マイナス感情は
10秒まで
と決めたらいい
との提唱がある


今がいちばん悪い
と考える

明日は今日より
良いのだ
と信じる


この世には
恐れるものなど
ない

いつもニコニコしよう、と




先を考えず
いまを
精一杯生きよう

生命が終わるということ

2012-10-30 23:44:15 | 闘病
2012年 10月30日(火)

生命が終わるということは
宇宙へ帰る、ということだそうな


安らかに
私たちが生まれた古里へ
帰り着く


生も死も
宇宙を旅して
帰ってくるだけ
特別なことじゃない




辛いことがあっても
すべて
生命の大河の流れに
ゆだねよ
と仏教は教える