膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

高齢の母

2012-05-19 13:47:28 | つぶやき
2012年 5月19日(土)

実家の母が、まもなく92歳になる。
元気だった母も、最近めっきり衰えてきた。
何より深刻なのは認知症。

短期記憶がダメで、今のことを忘れてしまう。
クレジットカードやキャッシュカードも
片付けると称しては、置き場所が分からなくなり
再発行し続けるのも、もうきりがないので止めた。

止めてからは、お金がないと言えば渡すやり方を
していたが、その方法ももう無理になってきた。

束にしたお金を、どこかに片付けてしまい
「お金がありません。餓死します」とメールがくる。
引用返信のやり方だけは憶えていて
メールは頻繁に打ってくる。
しかし、こちらが送ったメールは見れず
「メールしても返事もない」と嘆く。


もう生きている価値がありません
何ひとつ自分で、まともに出来ません
とシリアスに自分を見つめて嘆いたかと思えば
お金を渡した翌日に“餓死メール”がくる。



日中はデイサービスに行っていて
お昼ごはんも食べさせていただき、夕方帰るときには
夕食のお弁当を渡してもらうようお願いしている。

自宅に帰ってお弁当を食べて、大好きなビールを
3缶も4缶も、好きなだけ飲み
あとは寝るだけ。
翌朝はまた、デイから迎えの車が来る。
そんな繰り返しなのに
「お金がありません。餓死します」病に取り付かれている。


あまりにお金がない、と嘆くので
究極の案で、部屋のあちこちに千円札をセロテープで貼って
ぶら下げることにした。
テレビを見ようとしても、食器を出そうとしても
すぐ目に入る場所に、千円をぶら下げた。
これは名案で、千円を見つけるとげらげら笑うようになった。
しかしあまり簡単な所にばかり置くと
見つけて、また“収納”してしまうので
少し見つけにくい所も作り、数日して行ったとき
どのくらい残っているか確認して、また次をぶら下げる
今はそういうやり方で、なんとかもたせている。


元々、やりたいことだらけの母だった。
写真、木彫り、俳句、絵手紙とやりたいことを
懸命にやり、いつも「時間が足りない、足りない」と言っていた。
自分のやりたいことがたくさんあるので
1人暮らしは、まったく苦にならず
自由を楽しんでいた。
人の何倍も充実した90年以上だったと思う。


祖母は、誠によく出来た苦労人で
いつも耐え、周りに気を配り生きていた。
母の母である。
90歳過ぎて衰えかけると
子供に迷惑をかけたくない、とさっさと病院に
入ってしまった。
しかし、病院とは病人が入るところで
ベッドの上で、繕い物をしていては叱られ
骨を折ったら困る、とトイレにも行かせてもらえず
おむつをさせられ、強制的に寝かされても
文句一ついう人ではなかった。
いつも黙々と耐え、ニコニコし
「わたしは、難しいことは何も判りません」
と判らぬ、解らぬふりをしていた。

そんな立派な母親がいたから、母も
年を取ったら施設に入る
子供と同居することで、子供の生活を犠牲にしたくない
とよく言っていた。
「私は絶対、同居はしないから、勧めないでね!」
と何回も言われていたから、年をとっても引き取ることは
考えていなかった。


今、母にもう1人暮らしは無理だ。
毎日行っているデイが、皆さんとてもよくして下さり
嘆き母も、デイでは明るく楽しそうにしている。
5月から5人だけ入所も出来るので
検討してくださっている。

1人だと、いつ火を出すかとても心配だし
足が丈夫で、あちこち買い物に出かけては
買ってきたものを忘れ、また買い込む
そしてほとんどの食材が賞味期限切れとなり
それを判らずに食べるのも心配だし。。

いよいよ入所か・・・




ふぅ・・・
美しく老いていくのも至難の業だなぁ・・・


そんなこんなで、2日と開けず母の家に車を走らせる。
ちょっとした時間の隙間に行くのだが
一旦行くと簡単には帰れない。

母がお弁当の夕食を食べるのを見届け
ビールもたくさん飲んで、満足し
寝床に入ったら、即帰って来る。


そういう日が最近多くなってきたから
夫とはなかなかゆっくり食事もできない。

しかしふぅふぅいって帰宅した私を
玄関まできて出迎え「お疲れさん!」
と声をかけてくれる夫。

脳外科だし、認知症にも詳しく
理解がある。
本当に助かる!

でも、夫との大切な日々が減っていく。
気が気でならない。

少しでも「おいしいね」と
ときを重ねたいのに
「お金がない」
「お金がないほど、ミジメなことはない」
という母のために、走り廻る日々。。。。

















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