膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

あれから7年目・・・

2011-03-29 22:15:36 | 再発
2005年7月~10月にかけて
行なった膀胱がん治療

あれから、夫は病など忘れたかのように過ごしていました。
「病気はもう治ったんや!」と力強く言い
病気の話を極端に嫌がり、話題にもできませんでした。

検査だけは定期的に受けていましたが
その検査も、7年目に入り
年1回となったある日
お腹にガスが溜まる、ガスが溜まる
と言い出しました。

「ガス出したいから、何か薬ないか?」と。
よほどのことがない限り、薬は大嫌いな夫です。
でも、普段から便秘気味だったので、深くは受け止めませんでした。

じわじわと食欲不振が押し寄せていました。

腫瘍切除

2011-03-19 22:05:03 | 手術
2005年 9月5日

7月下旬に行なったTAE(血管内塞栓術)の
効果が出て、いよいよTURを行なうことになり、入院。

TURとは、膀胱を切除せず、腫瘍を切除するオペ。

悪性度がG2だったし、QOL(生活の質)を低下させたくない
という本人の意見が優先されて、膀胱全摘出はせず
まずは、TURとなった。
「膀胱全摘はいつでもできる」
夫は、そう言った。

「TURを行なった60~70%に、膀胱内再発がみられる」
という文献を読んで、ちらと不安が頭をかすめたが
大学の先生方と協議して、本人が揺るぎなく決断!


9月6日

TUR1回目、行なわれる
2回に分けて行なうらしい。
9月12日、退院予定


10月4日

2回目のTURのため、昨日入院
今日、行なわれた。

術後、Drから説明を受ける
1.膀胱を削りに削って、紙のように薄くなるまで
  徹底的に取った

2.筋層には、いっていたが
  がんは、膀胱の外へは出ておらず
  膀胱内に留まっていた

3.リンパには、少し飛んでいた



筋層にいっていたのか・・・
ドクターの話だと、筋層の半分弱?いっていたと。

リンパにも・・・

あれだけ大きくしてしまったんだから
仕方ないか、、、
と一人 考える


この後、BCG注入療法を受けて
10月8日、晴れて退院!!










いよいよ、大学病院で治療始まる!

2011-03-19 21:44:07 | 手術
2005年 7月20日

いよいよ大学病院で治療開始!
入院に先立ち、教授から説明があった。

1.こんな大きな膀胱がんは見たことがない
  こんなに育てて、重かったでしょう!

2.悪性度はG2(3段階中の真ん中)で
  もしG3なら、とうに亡くなっておられます

3.あまりにがんが大きいので、このままオペをすると
  出血多量になり危険なので、まずTAEという  
  血管内塞栓術をします。
  これは、がんに栄養を送っている血管の根元を縛り
  がんを小さくする処置です

とのお話。


7月21日

本人は吹っ切れたように淡々としているが
こちらは、メソメソ・・・

こんなにほっていたのは
「とにかく、膀胱鏡検査がイヤだった」と。
たしかに、男性が最も嫌がる検査のようだ。
男性は尿道が長いため、検査時の痛みは
もの凄いらしい。。。

しかし、この大学病院は軟性のファイバーを
使用しており、硬性膀胱鏡を使っている病院と比べると
痛みは断然楽らしいのに・・・


7月25日

TAE(血管内塞栓術)が行なわれる。
あとは、どれくらい腫瘍が小さくなるか
待ちましょう、とのことだった。

7月26日

無事終わり、退院。




夫の健康な日々

2011-03-19 19:23:02 | 発病と告知
夫は、父親に似て、ほとんど病気らしい病気を
したことがなかった。
時に、鼻かぜをひいているくらいで
寝込んだのは見たことがない。

毎日、毎日、朝早くから夜遅くまで
働いていた。
フルに仕事をしながらも「自分の時間がほしい」と言って
パワフルに動いていた。


休日には、マメに山に出かけた。
朝5時ころから家を出て、片道2~3時間も車で走って
山に登り、いつもふもとに下山すると
「無事下りました。」
と簡単なメールを送ってきた。

休みの日は、ほとんど山に行っていると言っても
過言ではなかった。
それが高じて、ここ5年ほどは、夏休みには
スイスに出かけ、ヨーロッパアルプスの
「ブライトホルン」や「アラリンホルン」
はたまた「メンヒ」や「ユングフラウ」にまで登ってしまった。
もちろん山岳ガイドをつけて。


そんな健康優良児のような夫に、病が忍び寄っていたのだ。






発病

2011-03-19 19:10:53 | 発病と告知
今まで病気らしいことは一切しなかった夫。
この30年間、欠勤したことは、1日もありません。
そんな夫に、異変の日が訪れました。


2005年  56歳
  
7月5日

夜中より、腹痛を訴え出す。
朝方まで様子を見ていたが、腹痛は増すばかり。
朝4時、「これはイレウス(腸閉塞)や。病院に行くわ」と
自分でさっさと診断を下し、自分でゆっくり車を運転して
勤務している病院へ出かける。


7月6日

やはり、イレウスだったと電話あり。
今日、オペをすることになったらしい。
私は、仕事で地方に行っており、明日帰ったらすぐに
病院に行く旨、伝える。

7月7日

夕方、病院へ駆けつけると、無事オペは終わっていた。
「手術は終わりましたが、別なものがあるようです」
と、泌尿器のDr。
「別なもの?」
「膀胱に腫瘍があります」

見せられたフィルムは、膀胱内にカメラを入れたビデオで
綺麗な薄オレンジ色をした、まるで海藻のようなものだった。
撮影のために、空気を入れているとかで
海藻のように、ゆらゆら揺れていた。
あまりの衝撃で、頭がクラクラする。

Drの話によると
1.腫瘍は乳頭状で、茎は細かったとのこと。

   
2.乳頭部分は大きいが、茎は幸い小さい
 

3.今回のイレウスは、腫瘍には関係ないと思われるので
  偶発したイレウスにより、腫瘍が発見できてラッキーだった

とのお話でした。
病室に行くと、「血尿があったのに、ほってたからアホや!」
と照れくさそうに言う。

「こんな事態になったからには、正面から堂々と立ち向かう!
 恐れることなく、いろいろな事態になったら、その都度対処する」

そう言い切る夫が、偉大に見えました。


7月8日

入院している個室で、「○○さんのフィルム持ってきて」と
看護師に言って、持ってこさせてはベッドの中で、画像診断をしている。
と思ったら、白衣に着替えて「ちょっと、家族に説明してくるわ」
と出かける。
まるで患者なのか、医師なのかわからない・・・

7月11日

患者のような、医師のような日々を過ごして退院となる。
今後、がんの治療は、出身した医科大学にお願いすることとなった。