膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

いつまで働くの?

2012-07-27 15:26:53 | 闘病
2012年 7月27日(金)

月曜から金曜まで、週に5回
放射線を当てだして
7回ほど経過。
当てている時間は、たった1分間

副作用はある?と聞いても
「わからん」

でも、吐いている
食欲は、ホントになく
焼き魚はおいしいらしいが
あとは、豆腐の冷奴少しと
小さな塩のおにぎりと梅干
気が向いたら、少し酢の物を食べる程度

そんなに少ししか食べなくて大丈夫?
点滴が必要では?

もっと食べたら?
と思わず言うと

 食べると、あとが苦しいねん。
 こんなに、何食べてもおいしくない辛さは
 解らんやろな・・・
 何食べても、全然おいしくないって
 ほんとに辛いで!

そーだろうな。。。
私なんか、おいしい!
という食べる楽しみを奪われたら
生きている意味、半減するかも・・・

夫はどちらかと言うと
グルメではなかったけれど
その彼が言うのだから
よほど辛いのだろう。

 
しかし
デザートだけは、甘いおまんじゅうやゼリー
プリンなど、積極的に食べる。
痛みで寝られない夜
おかきを食べながら、オリンピックを見ている。

前のように、ビールやワインも
もう飲めなくなったけれど
食べたいと思うもの
食べられるものを食べたらいいよね!



最近はしゃべるのもしんどそう。
何か聞くと
うるさそうに、答えが返ってくる。

我々の会話やテレビの音もうるさいようで
静かにして~
と言っている

しんどいんだね、、、




病院へは、放射線治療の前後に行っているようで
仕事してるの?
と聞くと
誰も気ぃつこて、呼ばへん
だから、部長室で、ごろごろ寝てるだけや
と言う。
時々、外来に遊びに行ってるだけや、とも。


さっぱり、辞めたら?と言うと
家でごろごろ寝ててどないするんや
そんなことして過ごしても、しゃ~ないやんか




でも・・・・
、、、、、、












放射線治療

2012-07-19 16:53:20 | 闘病
2012年 7月19日(木)

帰国した翌々日の18日から、放射線治療が始まった。
電話で、友人のドクターに
「痛みがひどいので、放射線を決意した」
と言っていたと息子が言う。
全部で25回、合計50グレイ当てるらしい。

人が一生に当てられる放射線はどのくらい?
と聞くと
50グレイ
と返事が返ってきた。
そぅ・・・上限まで当てるんやね・・・

抗がん剤で、疲弊しつくしている骨髄
放射線治療で、またさらに疲弊して
貧血などが進むのか・・・
厳しい現状


病院への勤務も、いよいよ終盤のようで
イタリアに行く前、ちらっと漏らしていたが
病棟はもう任せて、外来だけにする
と言ってみたり
午前だけ勤務して、午後は放射線治療
と言ってみたり
いろいろ揺れ動いている。


夜の痛みも、少しずつ痛みが増しているのか
2階の自分の書斎に隠して?あるかばんから
痛み止めを取りに行っている。

隠すところをみると、麻薬なんだなと思う。
病状が進んでいることを
家族にもあまり知られたくない様子



そんなの、やめてよね!!
突然、がーーーん!と悪くなる方が、ショックじゃん!
ちゃんと、隠さず言ってよね
みんなで、闘っているんだよ!



一昨夜、イタリアの写真を家族で見た時
こんなにヤセている人は、どこにもいませんわ
と自ら言っていた。

確かに、さらにヤセて、小さい。
思わず
「こんなに強靭なおとぅでも、抗がん剤にはマイるね」
と言うと、すかさず
「そんなこと、言わんといて」
と返ってきた。
そうだね、ごめん!
歯を食いしばって、頑張っているのに・・・





イタリアから、無事帰ってきた!!

2012-07-19 15:29:21 | 普通の日々
2012年 7月16日(祝)

8日にイタリアに向かった夫
ミラノからヴォルツァーノ、ヴェローナ、ローマ
と北イタリアを、タクシーや鉄道を使い
時には数人のツァーに飛び乗って
ドロミテの山の麓まで行ってきた。


中日ごろ
毎日元気に旅行してます!
心配ないです。
痛みはありますが。
イタリアはどこも暑い!

とメールがあった。


スゴいなぁ!
夜、痛みでうんうん唸っていたのに
スーツケースを持って
旅行してるんや!

奇跡のように思えた。
きっと、毎日 夏空の晴天だろう


子どもたちと、毎日話していた。
今頃は、、、
盗られたり、だまされたりしてないかな。。
よろよろと力なく歩いていたら
犯罪の格好の的になるのでは、と
とても心配していた。

イタリアは、我々が行ったときは
殺人以外、何でもOKとも思わせるような国で
盗難に遭って、警察に行くと
盗られる方が、ぼぉ~っとしているからだ
とまで言われた。

空港の両替所でも、だますくらいだから
この国は!とあきれ返った記憶が残る。

でも、観光大国
あまりにイメージが下がってきて
少し転換しないと、と政府が乗り出したと聞く。
おかげで、我々が行った時より
すこしマシになっいるのか
終盤に入っても、緊急連絡はなかった。

帰国の前日になって
ローマの地下鉄で、財布とクレジットカードを
盗られたと、メールがあった。
カードはすぐに停止の手続きをしたらしい。

やっぱり!
でも、最終日まで無事だったのいうのは
最小限の被害だったと言える。
現金は70ユーロしか入ってなかったというし
クレジットも実害はないだろう。
パスポートを帰国間近に盗られたら
帰国できなくなるから、そこが一番心配だった。

7月16日夕方、ニコニコとリムジンバスから降りてきた。

小さくなったな・・・と思った。
痩せて、背中を丸めて歩く姿は
小っちゃかった。

痩せて、目がくぼんで、落ち込んで
ぎょろ目になっていた。

がん末期患者特有の顔だった。











あとどのくらい?

2012-07-01 15:16:43 | 闘病
2012年 6月30日(土)

親しい放射線医師と、電話で話しする。

すごいですねぇ、こんな状況で
夏のイタリア独り旅ですか!
さすがですねぇ!


どんなに周りが心配しても
イタリアに行く!という意志は揺るがない

だから反対しない
彼の人生だもの
行くのを止めて、安静にしていても
治らないのだから
自分が行こう! 行ける!
と思うなら行ったらいい
そう考えて、反対はしなかった


でも治安の悪い国だし
暑いし
エアコンはなかなかないし
観光客が多いし



食べられない
体力がない
痛い
と三重苦なのに
決死の覚悟で行くのだろうナ

私だったら・・・
とても行けないな、と
思った
たとえ、行っても
すごくしんどいだろうし
行く踏ん切りは、なかなかつかないだろう




放射線医師に思い切って聞いてみた
あとどのくらい?


言葉に詰まったあげく
とても言いにくそうに

医学的には
年内は難しいでしょう


おっしゃった