膀胱がん  勇気とともに

56歳で、膀胱を埋め尽くす10cmものガンが見つかった夫との日々

〈わたしも、今度は〉

2016-10-01 13:38:25 | 思い出

〈わたしも、今度は〉



気がつくと
孤独が
そっと
傍にいた

何も言わず
静かに
寄りそっていた




もうすぐ4年
旅にでも
出かけるように
夫は逝った

さよならの
一言も
遺さず

楽しかった
いい人生だったとも
伝えずに




まるで
今から
息を吸うぞ
そんな顔で
夫は去っていった




わたしも
今度は
深海を
悠々と泳ぐ
ひょうきんな
魚になりたい


夢に出てきた

2014-01-22 21:10:25 | つぶやき
2014年 1月22日(水)

1月19日から、3日間 夢に出てきた。
1年2カ月経って。

19日は、友人の車に乗って、「じゃあ~」 と去って行った。
車は、たくさんの友人が乗っていた。
彼の顔は薄暗く、はっきり見えなかったが
たしかに夫だった。
「じゃあ~」と言う声がそうだった。


20日の朝、あー、やっと夢に出てきた~
と思った。
その夜、また出てきた。
今度は、字で出てきた。
ぎっしり、字が書き込んであり
それが、彼の字だった。
医学の書き込みではなく
普通のことを書いていた。
その横に、彼はいた。
でも、やはり顔は明確に見えなかった。

21日 朝
目が覚めたとき
な~んだ!彼は生きているやん!
と思った。

でも、彼はいない。




夜、また出てきた。

一昨年の10月4日
彼が最後の勤務を終えて帰ってきたとき
玄関に飛び出して行って
「お疲れさんでした」と言って、抱きしめた。
何回も「お疲れさんでした」「お疲れさんでした」と言って
私は、涙をこぼした。

彼はじっと、されるがままにしていて
数分経ち、私が彼から離れると、かすれた声で
「車の中にいっぱいもらった花束がある。
でも、それすら下ろす体力がないわ。下ろして」
と言った。

そのシーンが、今も鮮明に私の中に在り
夢の中でも私たちは、また抱き合っていた。
同じように、立ったまま
しばらく抱き合っていた。
彼の顔は見えなかった。



私が深く闇の中に沈んでいて
元気がないからか
毎日が虚しく
何をしても無駄なような気がし
何をやってもビクビクしているからか
彼は心配になって出てきてくれたんだね。

今まで勢いでやってきた家事も
やってあげる人がいなくなると
こうも虚しいものか・・・
息子も娘も、独立し
時々しか帰ってこない。
自分独りのために食事の用意をし
独りのために、繰り返しの家事をやり
陽が暮れる。




元気出さなくっちゃね
彼の分も生きなくちゃね







生を信じて!

2013-12-13 23:44:55 | 生きること、死ぬこと
2013年 12月13日

ご主人が、1年半前に膀胱癌を発病
肺に転移している事がわかり、これしか手が震えてメールできません
とコメントを書いてこられたAさん

肺に転移しても、転移の腫瘍が倍の大きさになっても
元気に学校勤めをされている友人がいます。


夫が闘病していたとき、今から思えば反省点ばかりです・・・
もっと励ましてあげたらよかった。
もっと明るく、だいじょうぶ!と言ってあげたらよかった。

でも、私は医学の素人。
だから、スペシャリストの医師に向かって、励ましたり
慰めたり、力づけたりなんて、なかなか出来なかった。
何も知らんくせに、軽いこと言わんといて
と言われそうな気がして・・・

でも医師も人間です。
重篤な患者の手術やハードな検査・治療を、どんなに日常してきても
自分自身の体験とは違いますよね。
患者の本当の気持ちも解らないだろうし、辛さも解らない
逆説的に言うと、だから治療を淡々とできるのかもしれません。

自分が進行がんになって「患者の気持ちなんか、何ひとつ
解ってなかったわ」と、夫は言っていました。

あるとき「絶対、死なんといてよ!!」と言うと
「あー!!!」と力強い声が返ってきました。
でもだんだん病が重くなるに従って、私も寡黙になっていきました。

今にして思えば、もっと私自身が、心から彼の生を信じてあげたらよかった
自分だって、自分の明日があることを信じて疑わないのだから。


ご主人の生を信じてくださいね。
妻が信じてあげることが、一番の力になるのでは、と思います。


もし今、夫が生きていたなら言います。
生きる力が、身体中にみなぎっている人は、生き続けるよ!と
だから、1日1日輝いて生きよう、と。



一周忌、終える

2013-11-28 15:31:59 | 思い出
2013年11月22日(金)

いい夫婦の日、一周忌を終えた。
この1年、どのように過ぎていったかわからない。
命日が近づくにつれて、毎日
夫との最期の時間を思い出していた。


19日ぐらいから

あと3日
もう3日しか時間なかったね

あと2日
死の前々日やわ
食欲あって、元気だったね

あと1日
前日やわ
明日はもう起きてこなかった

22日
今の時間はまだ生きてた

1年前に想いを馳せて、独りで時間を過ごした。

22日午後は、親友2人が母も連れて来てくれて
4人で、お手持のチョコレートケーキをいただく。
彼が、もうほとんど食べられなくなった頃
持ってきてくださって「おいしい!」と食べる事ができた
チョコレートケーキ
彼を偲んでのティタイム
いっぱいの美しいお花に囲まれて、、、
でも、寂しい・・・
淋しい・・・





仕事が忙しいときは、身体はしんどいけど
充実してて、寂しく感じるヒマもない。

でもOffの日、むしょうに寂しくなる。
独りぼっち・・・

娘や息子が週に1回は帰ってくるけれど
帰ってしまったら、なお寂しい。

自分だって、いつまで元気に過ごせるか分からないのに
今まで、家庭を切り盛りして頑張ってきたのが
ウソのように、今はどうでもいい。
お金にも執着しない
ほしい物もない
旅しても、虚しい
おいしいねー!と喜んでくれる家族全員がいないから
食事を作る意欲もなく
穴がぽっかりと空いてしまった。


これから、どうして生きていこうか
仕事はどうするか
仕事を辞めたら、ボケるだろうなぁ、、、



最近、風邪をひいて、写真と会話する
「ねぇ、身体しんどいよぉ、どぅしたらいい?」
「はよぅ寝え。 日中もゆるりとしといたらは?」







夫が出てきた!

2013-10-19 18:37:46 | 思い出
2013年10月19日(土)


夫が亡くなって10ケ月が過ぎ
まもなく一周忌がやってくる。

この1年近い日をどのように過ごしたのか
よくわからない。
いつの間にか冬になり
春、夏と過ぎ行き
秋もろくに来ないうちに、朝晩は毛布がほしいほど冷え込み
一挙に冬がきたようなこの頃。

ろうそくに火をつけ、お線香を焚く。
夫はいつも同じ顔のはずだけど
時にはシカんで見えたり
優しい顔に見えたり
不思議、ふしぎ




先日、驚くことがあった。

ここ20年近く、夫婦で利用させていただいてきた友人の長野県の山荘に
今年も行った。
10月6日のことである。

今回夫は、写真で参加し、フロントガラスの所にいて
ガラスにちらちら、顔が写っていた。
一緒に旅するように、フロントガラスにゆらゆら揺れていた。


山荘に2泊し、翌日山奥の小渋温泉に行くことになり、高速に入ったときのこと。
長野と名古屋への分岐があり、名古屋に行かねばならないのに
なぜかぼーっとして、車は自然と長野方面へ向いていた。
同乗の友人が「名古屋!」と言ってくださったので
急ブレーキをかけたが、しばらく私はぼーっとしていた。




実は、昨年の同じ日 10月6日
“八ヶ岳を見たい!”という夫の希望で、我々夫婦は、中央道を走っていた。
長野に向けて。
分岐で夫が「長野やー!」と言った声が、今も耳の奥に残る。



同じ日の、似たような時間帯の、昨年と今年
昨年、夫と私が
駒ヶ根I.Cから、中央道に入って、分岐点で長野を目指した時間と
名古屋に行くべきだったのに、ふらふらと長野の方へ・・・
となって分岐で急ブレーキをかけた今年


その時間はほぼ一致していた。




まるで夫がいるようだった。
夫がいて、「長野やー!」と叫んでいるような不思議な錯覚にとりつかれた。

フロントガラスに、見えたり見えなかったりしていた夫の顔が
だんだんしっかり見えるようになっていったのも不思議!
同乗の友人夫妻も、先生がおられるんですねぇ、と。



その後も、まだ不思議な感じは残っていて
宿に着いて、宿帳を書くとき
漢字で自分の名を書いたのに、ふりがなは夫の名を書こうとしていた。





三周忌がくるまで、夢にも出てきませんよ、といろいろの人から聞いていたけど
夢にも、一度も出ては来なかったけれど
夫は
長野に行く車の中に居た。










もう85日が経った

2013-02-14 16:08:31 | 思い出
2013年 2月14日(木)

亡くなって、もう85日が経つ

突然の死
あまりにもあっけない別れ
通夜、告別式と
現実として受け止められないままに
日が過ぎていった

もうすぐ百カ日


独りぼっち
って、こんなことかなぁ




夫の急逝を泣いてくれているかのように
雨が多かった11月

告別式の日だけは、遠方から駆けつけてくださった
皆さまのために、貫けるような青空が広がった

そして物凄い寒い、今年の冬
11月でも、すごく寒がっていたから
こんな寒い冬に突入しなくてよかった

2月に入って
シンシンと冷え凍るような日もあるけど
うららかな春のような日も増えてきた

今年の桜は見れなかったね


同じ顔をしている写真に
話しかける毎日
まだ信じられなくて
ほんとに死んだん?
なんで突然死んだん?
と語りかけている











ほんとによく動いたね!!

2012-12-02 14:55:29 | 闘病
2012年 12月2日(日)


とにかくパワフルだった!
物凄い行動力だった!


1月

元旦
おせち、よく食べる

2日
親しくしているドクター宅にお呼ばれ

9日
家族4人で、スキーにでかけ
ウェーデルンで、ノンストップで滑っていた。


2月

6日
東京の友人が泊まりにきて
夜遅くまで、食べて飲んで歓談

9日~11日  
野沢にスキー学会に出かける

16日~19日 
白馬スキーセミナーへ

25日
姉の家でバースディを祝ってもらう
もりもり食べていた


3月

2日~4日 
乗鞍にスキーに行く

16日~18日 
木曾御嶽の友人の別荘にスキーに行く


4月

14日~16日 
スイスからの来客を接待して
京都西山を観光案内
夕食は、毎晩歓談


5月

5日~6日 
福井県白山の親戚の旅館へ

11日~13日 
学会で東京へ


6月

9日
母の引越しを手伝って
タンスを運ぶ!


29日
トイレが詰まり
シュッポン、シュッポンとがんばる


7月

8~16日 
個人旅行で猛暑のイタリアへ!
ミラノからヴォルツァーノ、ベローナ、ローマと旅する



下旬
7月末の東日本チャリティの大イベントの
準備をいろいろ手伝ってくれる


8月


上旬
近くの花火大会に行く
最後まで見ていた

中旬
母の家に息子と掃除に行く

17日~20日
木曾御嶽山麓の、友人の別荘へ
温泉に入ったり、楽しくお酒も飲み、食べる

25日
また母の家に行き、たんすを運ぶ

9月

1日~2日
大学の同窓会で岐阜へ

9日
いつも歩くハイキングコースへ
コースの4分の1ぐらい歩く

20日
墓参りで福井へ
220km、運転する


10月


5日~7日
信州の駒ヶ根と蓼科へ
少し運転する

8日
息子の引越しのため
荷物を乗せて、また100km走る


11月

4日~6日
白浜へ

5日
同窓生と鍋を囲み
昔話で盛り上がる

6日
夜帰宅して、自力で尿が出ないので
入院するというが、明朝まで延ばす

7日
入院

8日 (赤字は本人が手帳に記載したもの)
バルーン挿入
見舞い客多し


11日
一日中 雨  
無気力、眠気の一日
午後、リンパマッサージ
時々、右下肢、足、背の痛みがシビアとなる!


12日
Pain 3~5
    (注)痛み 3時~5時?
リンパマッサージ2回目

13日
曇~次、雨
午前中は低血圧 70~80
両下肢 リンパマッサージ
退院は16日(金)か


14日
記載なし

15日
記載なし

16日
Pain 4hr
      (注)痛み 4時間

紅葉を見にドライブして帰宅


17日
大学の総会出席ため、実家に行く

18日
親族が送り迎えをして
総会に出席する
無事、会長職を引き継ぐ

19日
夫の実家で、私も共に夕食をとり帰宅

20日
食欲あり
おいしい、とたくさん食べる
~して
~取って
とリクエスト多く、元気

21日
食欲なし
ほとんど食べられなかった
「お疲れさん」と優しい
夜、寝る前30分ほど話する

22日
もう起きてはこなかった
食べかけのおかきと
麦茶が残っていた





 










死、そのとき

2012-11-27 15:52:40 | 闘病
2012年 11月26日(月)

血圧が下がり
心臓に充分な血液が送れなくなり
心停止に至ったのではないか

心臓が止まったあと
5~10分後に、最後の呼吸吐気があり
うーん~~~
という一声があったと考えられる

しかし、そのときすでに心臓は止まっている
また脳の死は、心臓よりもっと早く訪れている
だから、万一蘇生により、心臓が動きを取り戻しても
意識回復は難しかっただろう

もしかしたら、
エコノミー症候群のようなものが起こっていたかもしれない
リンパ浮腫による、足のリンパ液の停滞で
血腫が肝臓に飛び、肝不全を起こした可能性も・・・




亡くなっていった瞬間は
血圧が下がり
あ~ ねむたい
と自然に眠りに入っていくような状態だったのであろう

穏やかに
眠るように
最期を迎えられたのでは



以上、医科大学 救急医療 教授 の話



永眠しました

2012-11-23 21:41:16 | 闘病
2012年 11月22日(木)

 
 
 いい夫婦の日 

 
 11月22日

 
 夫はその生を終えました





  前日夜まで、懸命に生きようとしていました

  ずーっと先まで

  いろんな計画を立て

  いろんな予約を入れていました




  最期の夜は

  夫婦で、普段のようにいろいろな会話をして

  おやすみ~   と

  

  隣の部屋で、しばらく電気をつけていた私に

  「まだ寝ぇへんの?」

  と声をかけたのが、会話の最後でした



  22日は

  もう起きては、きませんでした





 “先を心配せず、いいことばっかり考えて生きる!”

  と最初に宣言した通り、立派な立派な闘病でした



  その宣言を、見事に最期まで貫いてみせた夫



  彼、本人も

 
  突然訪れた死を知らずに

  逝ったのでは、と思います








  苦しまなかった

  そう信じています


  死ぬ、ということが頭をかすめることもなく

  心臓が止まった

  そう信じています



  だって横の部屋にいた私が

  気づかなかったのですから




  やっと痛みから解き放たれた

  おだやかな

  笑っているような顔でした



  救急車で、勤務していた病院に運ばれて

  ドクターや看護師さんたちが

  懸命に蘇生をしてくださり・・・

  



  その後

  各病棟から、看護師さんたちが

  お別れに、ぞくぞく来られました



  廊下の両側に

  ドクター、看護師さんたちが

  ずらーっと並んで

  皆さん、頭を下げて

  見送ってくださいました


  わずか20日ほど前まで

  懸命に働いた病院で

  皆さまの涙に送られて

  病院を後にするなんて

  なんと幸せなことでしょう



  



  皆さま、本当にありがとうございました!!


  




      享年 64歳








いよいよ状況厳しく!

2012-11-22 12:06:11 | 闘病
2012年 11月22日(木)

昨日水曜は、本当に食べられなかった
せっかく作ったエビ丼も、お芋煮付けも
数口食べただけ
果物は、2切れ食べたけど・・・



どうするつもりなのだろう
これでは、栄養剤の点滴でもしないと
身体がもたない!


一昨日は
「おでんはやっぱり、2日目がおいしいわ!」
とかなり食べれたのに・・・
炊き込みご飯も、それなりに食べていた。
デザートも。




「入院して、痛み止めの点滴して
 寝てばっかりやったら
 そんなん廃人や!」

そう言っていたから
極限にならないと入院はしないだろう




私の姉が、今日東京からやってくる。

まずは、姉に会ってから。。。





夫は、朝方に痛み止めを飲んだのか
まだ起きてはこない


先ほど、うーん・・・
という声
いつもは大体、あれを3回ぐらい言ったら起きてくるから
もう少ししたら、お目覚めかな
まだ、1回目













医学者の総会に、車イスで出席する

2012-11-18 12:08:55 | 闘病
2012年 11月18日(日)

夫が会長をする会の総会に
どうしても出席して、副会長に役を
引き継ぎたい!
と言うので、姉妹夫婦や母にも
協力してもらって、果たしてきた。

自分が重病というのを知らない人も多いから
出席して、姿を見せることで
出席者は皆、医者だから分かるだろう
と言っていた。
途中での降板なので、どうしても出席したいようだった。


誰が迎えにいく
誰が送っていく
夕食は?
と大騒動だったけれど
なんとかやり切れて
親族の皆さんに感謝!
ありがとう!!



出かけていくとき
スーツを着て、ネクタイを締めたら
しゃん!として
杖もつかず、さっさと玄関まで歩いた
と義母が驚いていた。


実家に2泊し
帰るときも、けっこう早足で
しゃんとして、玄関に向かった。

最近はいつも家では、室内用の杖をついて
よろよろ歩いているので
別人を見るようだった。

歩くの、禁止されてるねん
と言っていたのに。



強い責任感で、大きな仕事を
乗り切ったんだね!







念願の自宅へ

2012-11-15 23:07:14 | 闘病
2012年 11月15日(木)

夫念願の退院
私は、不安でいっぱい

だって
歩けない
食べられない
便も出ない
尿はバルーン
痛みはヒドい
浮腫みは、両足・左手・腹部に及び
ぱんぱんで、触ると硬い
足の先まで、もう手が届かないから
靴下も自分で履けない
シャワーも、背中など洗えない
腕も腫れているし、肩も痛いから
服も脱ぎ着しにくい

自分でできることが、どんどん減ってきている
ほとんど横に付いていて
彼の手足となってあげなくては・・・




まっすぐ家に帰らず
今、紅葉が凄いキレイよ、見に行ってから家に帰ろう
と言うと、しんどいのか気乗りのしない返事

「お母さんが見たいんやったら行こう」
「私はこないだ見たよ。見せてあげたいんよ」
「お母さんが見たいやろ?」
とイマイチ、ピントの合わない会話のまま
山道を走る。

あ、ほら! 綺麗、綺麗
と言っても、力なくちらっと見るだけで
元気なかった。



 








白目をむいて寝ている

2012-11-14 17:30:46 | 闘病
2012年 11月14日(水)


まもなく、夫が退院してくる。
夫がいないときに
聞きにくい質問などを済ませておこうと
いつもの友人のドクターに
気になっていた点を聞いてみた。

彼が寝ている顔を見ると
目がちゃんと閉じず
白目が3mmぐらい見えている
その顔は、なにか気持ち悪く
どうも気になる、と。

そんな顔して寝る人いますよ
とドクターは答えられた。

軽く言われたけれど
結婚して35年近く経つのに
そんな顔をして寝ているのを見たことがなかった。

だからなんとなく、納得できなかったのだけれど・・・




<2013年11月28日 後記>

彼が亡くなって、喪中ハガキを出したら
たくさんの方々から、驚きのお電話やお手紙をいただいた。
その中から、若い娘さんをがんで亡くされたお母さんの話 

「娘が亡くなる5日ぐらい前から
 白目をむいて寝るようになったんです」


また上述の友人放射線科ドクターは、私と白目のことで会話した後
奥さまに「あと1週間ぐらいやと思う」と言われたと後で伺った。
その通り、夫は1週間後の11月22日に亡くなった。


人は死が近づいてきたら、目をちゃんと閉じることができなくなるんだね・・・




退院したい!

2012-11-13 23:00:35 | 闘病
2012年 11月13日(火)

毎日、誰かが病室を訪れている。
先客万来だ。

特に、自分がついこの間まで入院していた勤務病院だから
あちこちの病棟から看護師さんたちや医師が
どんどん来られる。


だのに、寂しい   と言う。
ちょっとだけでもいいから
顔を見せて、と。

夕食の頃、あわてて行って
2時間ほど病室にいて
という毎日。

帰ろうとすると
「顔見たら、心がなごんだわ」


入院はつらい
気が狂いそうや
退院したい!
と言い出した。

家がいいんだネ・・・

バルーンつけたままで退院??


午前中は、低血圧 70~80 だった!





主治医との話

2012-11-12 22:39:16 | 闘病
2012年 11月12日(月)

主治医から、こっそり話がある
と呼ばれた。

リンパ転移、骨転移、肺転移のほかに
炎症反応も高く、がんのマーカー値も高い

今までどうもなかった肝臓にも転移が広がっていた
大小たくさんの黒い影が、肝臓にあった
これもそうです、これも
と棒で指しながら、主治医は説明してくださった



しかし今日、本人にも画像を見せたらしい。
夫は「肝臓は昔からのう包はあるが、それは問題ないですしね」
と言って、黒い斑点の転移像には触れなかったという。
転移を見ようとしなかったのか、解ったが口に出さなかったのか
分からない、と主治医。
パラパラと早く画像をめくっておられた、と。




長く脳の画像を診てきたんだ
きっと解ったにちがいない・・・・




本人のメモには 3~5時 Pain 

朝方2時間、痛んだんだね