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三郎さんの昔話・・・火 玉

2009-05-24 | 個人の会員でーす
火 玉 


夏の暑い盛りにはできるだけ涼しく過ごしたい。 現代では働く職場はほとんど冷房が利き、一般家庭でも九十パーセント以上冷房が普及し、涼しく過ごせるようになった。

 外で働く人だけは、暑さをまともに受けねばならないが、冷たい食品も多く、半世紀前に比べると、お話しにならないほど世の中が進み、涼しく過ごせるようになった。

 昔はラジオもテレビもなく、夕飯がすむと小さい家の障子を開け放した縁側とか、庭に据えた床几台に、近所隣の仲良しグループが四、五人、毎晩々々集まって、団扇でバコバコあおりながら、怪談話に花が咲いた。

 「こないだからねや、おなごしが何人も火玉を見ると言うが、それがしょう人によって、太かったり、細かったりぞ。安んくのねえが見たがはねや、おひつの回りばあのが一間ばあの尾を引いて、ゆーらりゆーらりとゆっくり、上へ下へと、こういうふうにしながら、南山のあの新墓のへんへ行て、ぽっと消えたと。

 その火玉の色が黄色うてうす赤い。人間の作った提燈や何かの火とはぜんぜん違うと。火とを吸い込むような、誘うような、何とも言いようのない、しょう怖うて体がゾーンとして身震いがしたと。 それから安んくのねえは、夜は一歩も外へ、よう出んと。

 あの墓はだれの墓なら?」「ありゃーねや、下町に阿波か何処かから来て、夫婦で小商売しよって二三年前に亭主が死に、骨は里の方へ持ち帰ったらしいが、その女房がこないだ死んだが、誰も身寄りが無うて、近所のもんが、そこそこに始末して、南山の無縁墓地に葬ったということじゃ、で、よそもん一人で寂しゅうて、誰かとぎ(伽)が欲しゅうて、夜がきたら火玉になって、ふらふらと、そーつきよるんじゃなかろうかのー。

 まっことおなごじゃのうても、新墓で旗がゆーらゆらしよるがを、晩かたでも見たら、男でもめっそーええ気がせんけのう。 火玉は気の弱いおなごにゃー、どうもよけえ見えるらしいぞ。」
 ではまた明日の晩にしようか、お休みよー。

  こないだ(この間)、おなごし(女衆)、
  しょう(甚だしく)、ねえ(姉、嫁)、
  おひつ(飯びつ)、ばあ(ばかり)、
  よそもん(他所者)
  そーつきよる(そちこちする)、
  めっそう(あまり)、

 今晩は。夕べいんでから、おっ母あと話しよったら、おっ母あの言うことにゃ、おまん等火玉じゃーとふざけよるけんど、ただ知らんだけで火玉はほんたいあるぜよ。

 おっ母あが、おまんの兄ちゃんが出来た時、みょうに日だちが悪うて、お父ちゃんや皆の夕食の支度もそこそこに、あの南の間で横になり、うつろに南山の方を見よったら、小盆の丸さばーの大きさで、色は蛍の光を大きゅうしたと言うたらええかのー、その火玉がながーいしっぽをひっぱって、ゆーらりゆーらりと東から西の山の方へ飛びゆうじゃ。

 私しゃおくれて、おとやん火玉じゃーと悲鳴をあげたら、おとやんは、何処じゃ何処じゃと、そばへ来てくれた。

 あそこをほら、飛びゆうろう、言うても、おとやんは、何処をや何処にや言うたが、どこにも見えざったと。

 私があとから思うには、昔から産ん火は死に火より悪い、神様も嫌うけ言いよったが、そのとうりぜよ。魔物は人の弱り目につけこむけ、気をつけにゃーいかんぜよ。

前から火玉は見た人は数々おる。馬鹿にしたらいかんぜよ、いうておっ母あに、おらー睨まれた。
 そんならまた明日の晩、お休み。

  いんで(帰って)、ほんたい(真実)、
  日だちが悪い(産後の回復が悪い)、  
  おくれて(おじけづいて)、

今から二十五、六年も前、ある男が中学二、三年の頃、江の口川の向いへ英語を習いに夕方行って、宵闇を自転車で帰りかけてふと空を見たら、淡い火の玉が、ゆらゆうらと宙に浮いていて、橋を渡って下知のアパートに帰るまで頭の上の空を細長い尾を引いて、ふーわりふーわり付いてきて、家に帰り付くと家から三、四軒行ったところで火玉はぽーと消えた。

 家に入って火玉の話をしたが、誰も取り合ってくれなんだ。
 そのうち、近所の人達の間で誰も彼もが、火玉を見たという噂が広がっていた。

 そしたら人が、死んだのか殺されたのか、埋葬もせんと家の床下に埋めてあったのが発覚して、警察沙汰になり大騒ぎした。

 人は、安心して向こうへ往けばよいが、不意に往ったり、心残りが多すぎると、魂が落ち着かず中ぶらりんで、空中をふーわふーわするのかなあ。

 最近は、科学も知識も発達しているが、蛍の光と火玉の火はなかなかわからんねえ


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