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三郎さんの昔話・・・一つおぼえ

2010-09-09 | 個人の会員でーす
一つおぼえ


 田舎の町に男の血気盛りで、年は二十五、六歳で体はお仁王さんのやぅに赤黒いえい体格の好馬とゆう頭の抜けた気違いでもない男がいて、

身なりは黒木綿の半じばんに猿股で地下足袋、大きな腕と腿を荒はに出して、日よりには必ずひと握りもある大きなさす(棒)の両端に青い刈り草の束を突き刺して担いで、朝の日だけと夕方に通る。


 通る道々なにかモゴモゴと言ぃながら大足で歩いているが、誰か人に出会うと大きな手の親指を、人差し指と中指の間にはさんで手まめをかざして

「チ〇ポ、チ〇ポ、イ〇コ、イ〇コ」と言ぃながら顔をゆるめて通る。草刈りの行き帰り出会うた大人でも子供にでも皆んなに手まめのしょしゃをするので、男の子は皆な知って好馬と行き違う時には小さい手で、手まめを好馬に向けて「チ〇ポチ〇ポ、イ〇コイ〇コ」、と言ぅて通り抜ける。


 しかし女の子はお仁王さんの様ぅな大男がみょなこと言ぅので、怖がって好馬が見えたら皆んなすぐ逃げた。子供等は皆な親に、好馬はこまい時に病気してあんなになったがじゃけ、いらんこと言ぅて手ゃわれん怒ったら怖いけ、とゆわれていた。


 子供心にどうしてあんな人になったのかなぁ?、と不信に思っていた。ところがある日、大人達の話をそっと聞いた。

たねやんが物知りのさかやんに「半気ちのあの好馬はいつっもチ〇ポじゃイ〇コ、イ〇コ言ぅて、こども等にしょう為がよぅないがどぅしてじゃろう」と聞くと、

さかやんは「たねやんは知らんのかょ、好馬の家は元は大家じゃったが今は、お母は小んまい店でそばゃすし一杯のみ屋の飲食店、親父は馬喰しよるろぅ」、うぅん、「好馬の弟も結構 人並みに渡世をしよる、二親はあの好馬がこまい時えい賢い子で特に可愛かった、処がはやり病の熱が高ぅて下がらず頭がぼけてしもうたが、体は丈夫であのとおり立派に成人した。


 親は並にない子ほど可愛いとゆぅが、その通りで二親は好馬の体は人並み以上に立派な男じゃのに病気のからでこんなになった、人並みなことも知らずにこのままで残して自分らが死ぬのはむごい、一度だけでもえぃことさしちゃりたいと、私案の挙げく、こっそりと貧しい若後家に「絶対秘密にして他言はせん、おれいは十分にするけ」、と無理にくどいて話をこぎつけた。


 二親は好馬にくどくどと言ぃふくめて、ある晩実施した。薄暗い部屋で、若後家は顔を見られるのがいやで布で顔を覆うて身をまかした、好馬のやつは体力が強いので長いことしてやっとすんだ、若後家が逃げるように帰ろうとした時に、好馬はさっと若後家の覆ぅいをむしり取って顔を見たと、それでたまるかゃ、あんなことを言ぃもって毎日日にち若後家を追い回しだしたは、秘密もなにもあったもんじゃない人は皆な知って、その若後家は恥ずかしいのと追い回されて家にも居れず、こっそりと 夜逃げして何処かへ行ってしもた。


 貧乏したとはいえ後家さんは惨いことよのぅし、好馬のやっはあほぅの一つおぼえで、それからあんなことしか言ぅことを知らんよぅになったがょ」、たねやん「そんなことがあったの初めて知ったわ、うっかり何も知らん半気ちや馬鹿には大事なことは教えられんのぅし」、さかやん「親は子がなんぼぅ可愛ゆぅても、馬鹿や、たらん者にはいらんことを教えたら後で後悔し、人も皆んなぁ困るぜょ」、たねやん「ほんとじゃのぅし」。私しゃ子供のくせに 聞かんふりして聞いてしもぅた。


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