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三郎さんの昔話・・・やっこさん(はやり仏)

2009-11-05 | 個人の会員でーす
やっこさん(はやり仏)



 「やっこさんだね」と聞くと、ユーモラスで愉快な踊りが頭に浮かぶ。
 田舎の町本山で、やっこさんと言えば、上の坊(昔の寺跡で、住職の墓)さんの裏側にある捨て墓のはやり(流行り)仏さんである。

 やっこさんの墓に、婦人が悩み事や婦人病の平癒を願掛けすると、不思議と効果があるので、昔からずうっと現在に至るも、やっこさんの墓前には、しきびと花が絶えることなく線香がただよっている。

 それだけ人を引き付ける魅力のある不思議なやっこさん。この不思議な霊魂と薩力はどうしてできたのだろうか?

 さて話は明治末期から大正の初期の頃に、阿波から貧しくて仕方なく本山の料理屋に売られてきた器量よしの若い女で、呼び名は「やっこ」と付けられ、気も優しゅうて愛嬌よしで「やっこ」「やっこ」と人気があって、料理屋は繁盛した。

 飲み屋の女は客に好かれて、人気があればあるほど引き回されて身体の疲れがひどい。三年目にふと病気になったが、栄養も足らず病は治らん。

その病弱体でも夜の仕事は休ましてくれず、難儀な仕事と身の不幸に身も心も疲れ果てた。

 自分を可愛がって育ててくれた母も年老いて昨年亡くなり、身寄りもない病身で、こんなにむごい暮らしの身の不運はつくづくいやになり、死を決して店じまいした小雨の夜中に、こっそりと料理屋を抜け出して、下町の側を流れる吉野川の淵(大箱淵)に身を投げて水死した。

 夜が明けて朝になって料理屋では、やっこがおらんと騒ぎよる。そのうちに人々が、「下町の大箱淵へ女の身投げがあって上がったぞ」と、噂が町中に流れた。

 料理屋の主が駆け付けてみたらうちのやっこじゃ、「死ないでもよかろうが」と人前はつくろうたが、心うちは哀れさもなくおおちゃくなやつと仕方なく引き取って、簡単な仮埋葬で共同墓地に葬った。
 その埋葬の時、棺の中へやっこの下着や持物全部を投げ込んだ。その中にやっこが大切にしていた、母がお四国巡礼で得たお納経があったと。

 町の人々も、人の貧しさと不運不幸を哀れと思い、春秋の墓参の時は皆んなやっこさんの墓にしきびや線香を手向けた。

 すると不思議な力というか魅力といったらよいか、何時ともなしに婦人の守り仏やっこさんになって、今日でもお参りが絶えることなく、花やしきびが青々と線香の香りが漂っている。

 昔は小さかった石碑も、今は誰か篤志家の寄贈で立派な石碑がお堂の中にある。
 人としてのこの世では貧しく哀れであったやっこさん。あの世で霊は、多くの人にお参りされて安らいでいることと思う。
 人の哀れか、はやり仏のやっこさん。


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