れいほくファンクラブ

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三郎さんの昔話・・・大六と弁当

2009-03-31 | 個人の会員でーす
大六と弁当
昔、本山郷「嶺北地区」を治めるのに土佐城「高知城」から、本山の御殿場「上町公園」に、志和、千頭、高橋とゆう三人のお侍が来て、お上の仕事をして治めていたが、お城からのお手当だけではなかなかなので、下男を雇い畑で色々な野菜を作って暮らしのたしにしていた。
 志和のお侍の家に、大六とゆう大男の下男がいた。体が大きいのでたくさん食べて、よく働く下男でした。
 ある朝、奥方が大六に、「お前はよう仕事も出来るが、よう食べるけ、弁当が仕事をするがじゃのう。」と、ゆうと、大六は「へえー」と言いながら大きな弁当を鍬に掛け肩に担いで、のっしのっしと畑へ出かけて行った。
 昼頃になって奥方が町に用があって出かけて、帰りに畑がどんなに出来よるかと、寄ってみたら、畑の真ん中に、弁当をくくりつけた鍬を立てて、大六は木陰で「ゴゥーゴゥー」と大いびきをかいて寝よる。奥方は声もかけずそっと帰って来た。
 日暮れになって大六が帰って来た。奥方が大六に、「今日は天気が良かったのでよう仕事が出来たかの。」と知らぬ顔で聞くと、大六は、「今朝奥様が、弁当が仕事するおっしゃるけ、鍬に弁当くくりつけて畑に突き刺し、一日中見よりましたが、弁当は仕事はせんし、わたしゃ腹がへってペコペコです。」と。
 奥方は大六に、今朝の言いかたは私が悪かった、これからは食べることでとやかく言いませんで、うんとよう食べて、よぉう働いて下されや、と。大六は、ヘェイと頭下げよる。
 この話は何時ともなしに、町の人達に伝わっていったと。

三郎の昔話・・・作者紹介

三郎の昔話

三郎さんの昔話・・・作者紹介

2009-03-31 | 個人の会員でーす

昔話の作者
  本名北村寿雄1916年(大正5年1月28日)
  高知県長岡郡本山町本山生まれ
  ペンネネーム三郎(病床にてお三倉様より名前をいただく
  元日本専売公社を定年後、昔話の制作を始め現在までに
  200作近く制作している。
  現住所は高知市東秦泉寺515-110
  TEL 088-875-8202 妻澤子との2人暮らし。

※ 北村寿雄様は、2008年3月17日ご逝去されたそうです。
  ご冥福をお祈りしながら、「三郎の昔話」を多くの方にお知らせすることで   北村寿雄様の偉業を称えたいと思います。


かたりべ
「かたりべ」とは祖父母や父母が小さい子供に生きて行く上での、注意事項や危ないこと、経験談に昔話を添えて、面白く楽しく話し聞かしてくれた。
 明治になって小学校が出来て、庶民が読み書きを習うようになった、それまでは、字の読み書きが出来たのは神官、坊さん、学者、武士に商人の一部で、 貧しい一般庶民は文盲で読み書きできなかったので、大切なことや注意事項などに面白い話しを加えて、子供や孫へと話しで語り伝えてきた。
 其れが「かたりべ」であり、これは庶民の知恵であり歴史の一旦でもある。
 七,八十年も昔、祖父母や父母の「かたりべ」を懐かしく思い浮かべて、昔話を書き綴ってみた。(北村寿雄)


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