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三郎さんの昔話・・・地獄の門(一)

2010-12-23 | 個人の会員でーす
  地獄の門(一)
 
 見た事のない物を見たい、さわった事のない物にさわって見たい、これは人間の本性で、幼児の頃から人の一生持ち続ける好奇心と希望であると思われる。

この世の中では、希望があれば見たいと思う書物や美術の展覧会も、知らぬ彼方此方の名所や雄大な外国や都市も、テレビや映画芝居まで、見たいと思ってなに一つ見ることの出来ないものはない。と思うが、たった一つだけ見ることの出来ない事がある。

それは人々が現世を離れて他界していくあの世とやらである。
聞くところによると極楽あり、地獄あり、天国もあると言うが、一度見てみたいと思うが誰も知らない。それもそのはず、あの世とやらへ行って帰って来た者がないから、聞くこともできない。

そこで目を閉じて心の目で見ることにした。夜寝ることにし、床に入り電灯を消す、真暗いなにも見えない、ただ闇の世界。しかし少し間をもつと、とじた瞼を通して闇のなかで窓の明るさが薄っすらと見えてくる。

真っ暗いタイムトラベルの空洞を何時とも無しに進む。どのくらいたったか時間が無いので計り知れない。

やっと空洞を出たのであろう、闇の明るさがはてしなく広がった。

よく見ると幼児から小学生、青少年に働き盛りや老人に至るあらゆる男女が、色々な出で立ちで空中に点在しているが、此処には色が無いから昔の黒白映画のごとく無声で声もなく静かで、欲も得もないので無表情にただ平然として、皆んな先を競うことも無く、あの世に来た順に、宇宙の中央に偉大に聳える地獄門「天安門か羅生門」に向かって、扇のごとく空中に点のごとくに散らばった老若幼男女の霊が、扇の要め地獄門へいつとも無しのタイムで吸い込まれるように消えてゆくが、後が切れることなくあの世を求めて次から次へと、老いも若きも続いて来る、不思議なこと無の世界。

 




【体験イベントのお知らせ】大豊町で楮(こうぞ)剥ぎとクラフトづくり体験

2010-12-05 | れいほく地域のイベント情報

楮(こうぞ)は和紙の原料です。  

    楮の生産は、かつては高知県の山間部の基幹産業のひとつでした。 

大豊町産の楮は品質が高く 

紙幣用として高値で引き取られていた歴史があります。

  こうした和紙づくりの歴史や伝統を知っていただき、 

  体験いただけるイベントを開催します。 

平成22125日(日) 午前10時から午後3時まで

大豊町立川仁尾ケ内カミオク

 
  地図はこちら  

 

◇参加費◇

 

小学生以上1,000円 幼児 500円(昼食代 クラフト代)

◇定員◇

 

25名程度(先着順) (雨、小雪決行 屋内で体験を行います)

◇会場までのアクセス◇


無料送迎バスをご利用ください!

 高知市はりまや橋商店街東入口 発着

「行き」午前8時40分集合  「帰り」午後4時30分解散予定 

現地集合される場合は、イベントが始まる10時までに
   以下のルートでお越しください。


 高知自動車道大豊ICから川之江方面に「県道5号川之江大豊線」を車で約20分行くと

立川の刈谷地区(旧立川番所書院のある集落)に到着します。


刈谷からは県道と分かれて西方面(奥工石線)に進みます。 

分岐に案内人を配置します。 

約3km先の仁尾ケ内バス停にも案内人がいます。 

そこから会場まではすぐです。 


◇スケジュール◇
 1000 楮をコシキに入れ蒸し上がる迄のお話

※紙芝居でご紹介します。  


 1020  楮へぐり(皮剥ぎ)体験、
            剥いだ楮の殻などを使ってクラフト作り体験

※楮へぐりは和紙の製造工程のひとつです。

※楮の殻や木の枝など山から取れる材料でクリスマスオーナメント
                    などを作ります。
  


 1230  昼食、交流

                ※山の今昔メニューをご提供します。お楽しみに!

                ※お食事を楽しみながら参加者同士でわいわいと交流しましょう!
 

1330  一万円札ができるまでのお話と自由時間

         ※大蔵省OBの方にお話しいただきます。

※引き続きクラフト作りや散策など、

各自ゆっくりのんびり山を感じながらお過ごしください。  


  1500  体験終了 みんなで後かたづけ、閉会

◇お申し込み、お問い合わせ先◇

   立川体験交流の会(代表 長野永子)電話 0887-78-0453


   大豊町役場総務課交流班 電話 0887-73-0811

     (平日の午前9時から午後5時まで)


 

HN高知県地域づくり支援課

HN:地域づくり支援課 さんの記事 

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「日本一の大杉」駐車場に、大杉小学校児童と都築将子さんが壁画完成

2010-12-05 | Weblog

栄ちゃんの大豊大好き!  

「日本一の大杉」駐車場に、大杉小学校児童と都築将子さんが壁画完成

 

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12月2日の高知新聞でも紹介されましたが、「日本一の大杉」駐車場に、大杉小学校児童と都築将子さんが壁画を完成させました。

地元在住の画家・都築将子さんがデザインし、下描きしたものに、大杉小学校の児童らが色を塗って完成させたものです。

素晴らしい出来栄えです。是非一度、「日本一の大杉」を見に来て、ご覧ください。

大豊町・八坂神社 日本一の大杉 に関するページ

大豊町在住・都築将子 絵画集

 

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大豊町在住・都築将子 絵画集

栄ちゃんの大豊大好き! に関するページ

栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ

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私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景13 故郷の朝

2010-11-26 | 大豊町内の記事

栄ちゃんワールド・・・

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景13 故郷の朝

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栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ

高知の自然・環境

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私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景12 定福寺の紅葉

2010-11-19 | 大豊町内の記事

栄ちゃんワールド・・・

私の故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景12 定福寺の紅葉

 

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jyo-0002.jpg大豊町の定福寺  さんの記事


栄ちゃんワールド・・・我が故郷 大豊町・梶ケ森周辺の風景 のページ



三郎さんの昔話・・・はんこ(印鑑)

2010-11-18 | 個人の会員でーす

はんこ(印鑑)

昭和七、八年頃の田舎の町はまだ開けてなくて、道路は一間半の狭い土の道路、その道端に一抱えもある大きな杉丸太の電信柱が五十メートルぐらいおきに立って電線が張りめぐらされていて戸々の家に送電され、暗くなると、きんちゃくなすを少し大きくしたような透明の電球が灯って、電球の芯は横文字を書いたように赤い線が明るく、家中を照らしていた。

 
 道路の片側には電話線を張った小丸太(直径五、六寸)で、送電柱の半丈程の電信柱がやや近めに立っていた。当時の電工さんは、電気の方は会社の工夫さん、電話の工夫さんは郵政省のお役人で少し鼻が高く偉そうにしていた。

 その当時電話があったのは、町内では官公署、病院、大きい商売人の一、二軒で、遠方への急な連絡は郵便局に出向いて電話を掛けていた。

 電線や電話線の工事の時、工夫は電柱に上がるに、体をゆわえるロープ(親指の太さ)と、たくり上げのロープを肩に、腰にペンチやナイフの小物入れの袋付きのベルトをしめ、柱に突き刺さる金具を靴にくくり付けてコツコツと電信柱に上がると、足を決めて体をゆるく柱に束ねて、吊り上げのロープを下げて作業となる。

 さて電工さんが仕事をするに電線や碍子、ボルトなどの金具を吊り上げるに、下に手伝いの人夫がいる。
 青葉の繁った六月の下旬に電話線の工事があり、駐在員の工夫さん一人は町内にいたが、沖(高知)から応援が来て工事が始まった。

 その時に、下での手伝い人夫に雇われ、仕事に行って一週間程した時、「郵政の支払日は決まっているので、今まで働いた賃金を支払うので、今夜宿で書類を書いて判をついてお金を渡すけ、判を持ってこい」ということで、近い家に走って、前に父から貰っていた使い古しの少し欠けた小さな木判の認め(印鑑)を持って行って渡し、依頼した。

 夕方から梅雨上げの大降りで、しけ(台風)のようになった夜、日が暮れて遅い夕餉。二親に弟らと膳をならべて食べながら、賃金貰うが嬉しくて判こを渡したことを話した。

 とたんに親父の雷が落ちた。「判を自分で見て押さずに、人に渡す馬鹿があるか。判(印鑑)というものは実証の証拠じゃ、お金を借りる時とか、受取の金を確認してから押すもので、人任せで押させたら、何をせられてもわかるまい。
 
これからすぐ行って取って来い。電信の役人に、こう言え。父が、判こは人に貸すものではない、書類を見た上で押しますと。」

 夕飯もそこそこに大雨の吹きぶるなか、破れ蓑笠で中古のぼろ自転車に乗り、カンテラに蝋燭つけて出掛けたが、横降る雨で明かり火はすぐ消えまっ暗闇。

 荒雨に叩かれて石ころの道路は吉野川に沿い、山のうねさこでくねり回って大杉の宿まで三里半。大杉の手前の高須の峠は難所、登り下りで一里余はあろう。
 自転車に乗ったり突いたりしながら二時間余りかかって、やっと大杉の三宮旅館にたどり着き、宿の女中さんに電工さんを呼んでもらった。

 二階から降りてきて、私の濡れぼっちゃの姿を見て、おくれた声で、「この大雨におまんどうしたがぞ」と言うので、泣きそうな声で父に言われた通り話すと、「それがたまるか、判は押して出すだけで、ごまかしたりはしやせんに、お父さんは堅い人じゃのう、済まざったと言うちょいて。
 
気をつけて帰りよ」といたわりのような言葉に励まされて、雨に濡れ寒さに耐えて歯を食いしばり、暗闇に目を光らして道を見据えて、自転車に乗ったり歩いたり、苦闘のすえ夜中前にやっと家に帰りついた。

 判を取り帰ったことを話すと、父は「よう行ってきた、判の大切さを忘れるなよ。体を拭いて風邪ひかんよう早う寝え」と言ってくれた。

 この話は私が十七才で、今から六十余年も前の出来事である。当時父は、金の貸し借りや土地の登記に関連した仕事が多かったので、はんこ(印鑑)の大切さを痛感していた。若輩の私に印鑑の大切さを伝授してくれた。

 お役所の机の前に座っていると、朝から晩まで判(認め印)を押すことがほんとに多い日本の社会である。判こは手軽に扱うが、本来は大切なものである。

 あの時のうるさかった出来事は身に染みて、生涯忘れることはない。今も小さい欠けの木判を宝物として大切に持っている。この印鑑である。

 

 

 
 

三郎さんの昔話・・・家伝の名灸

2010-11-18 | Weblog

                                            家伝の名灸

 今どき、やいと(灸)をすえるなんて言うたら、医学や薬学、治療の進んだ現代人に笑われるが、さてふと病気になって入院したり通院で大体の病気は回復するが、病気によっては再発したり癖づいて持病になって、お医者さんと仲良しになって体病に苦労する人があります。


 外科的な病気は手術で根が切れることが多いが、内臓の病気はなかなかに根絶が難しいです。
 病魔に住み着かれて悪くなれば入院し、良くなれば家と繰り返して、何とかして良くなりたいと「溺れる者が藁をも掴む」気持ちで名灸を探してすえに来る。痛さを辛抱してすえる。

「良薬口に苦し」「喉もと過ぎれば熱さ忘れる」とか。お灸の少しの痛さ熱さを辛抱して病を治したら、病魔は根絶し元の健康体を取り戻す。お灸とはほんたい体にきくもんじゃと感服する。

 祖父の寿太郎爺さんは父の豪傑の体躯に似ず、母の体に似て骨の細いすらっとした痩せ形で、子供の時は病身で喘息を患い、昔のことでお灸をしょっちゅうすえ詰めてやっと一人前になったと。

 それで俺らも仕事だけでなく灸点を覚えて少しでも人助けしようと古老から喘息と心臓の名灸の伝授を受け、病身な数々の人に灸をおろしてすえさして治した。

 その名灸は父に伝わり、子やらいの中年の婦人で喘息の持病で、ヒーッコンコンと夜も満足に寝れず、窓を開けてヒューヒューと呼吸に苦しんでいたお方が、お灸を知っておろしに来て一週間ほどすえつめたら、こっとり治って大変喜んだ。

 大川村の若い大男が心臓を患い、嶺北病院に二年間入院して養生していたが治らず、父の名灸を聞いてやって来たのでおろし、母が二日すえてやったら調子がえいとすぐ退院して帰った。

その後十日ほどすえたらしい。それで全快して、何か用があって本山に出て来たら必ず立ち寄って「お陰で命びろいした」と礼を言いに寄った。

 父も喘息や心臓の悪い人で灸をすえて治したいという人にはおろして治し、後で喜んでもらった。
 心臓病で心筋梗塞という名称が出来た時期に、六十過ぎの父がその病気にこっとり罹り、何かしていてもああしんどい、胸が締め付けるように苦しいとその場で横になること度々、灸おろしでも自分の背にはおろせれず、そのとき私に伝授して私が父の背におろし母がすえた。五日ほどすえると治ってしもうた。父はその後三十年近く長生きしましたが、心臓病のけはありませんでした。

 家伝の名灸を伝授引き継いだ私も、仕事の関係で嶺北一円を回りましたが、話していて心臓が悪くて医師の薬を飲んでいるが良くならんと言う方で、治れば痛くてもお灸をすえてみるという人には灸をおろしてあげた。

 辛抱してやいとをすえて治った人は数々あり、心臓が停まったら人は死ぬのでほんとに恐い。一度心臓を患い、やいとで治った方はお灸の効果を知っていて、一、二年に一度お灸をすえて体を大切に保っている。

 やいと(灸)はもぐさに火を付けて直接体を焼くのでほんとに痛いと思うが、さほどでもない。たばこの火をさし付けたら飛び上がるほど痛いが、もぐさの火は人間の知恵で、こらえ切れないほどは痛くない。

 けんじょう(肩)の凝った人にお灸をすえていたら、大方の人は気持ちが良くなってうとうとと眠りだす。腕や足の神経痛は痛むところを押して、そこに灸をすえたら治る。

 私の経験談。仕事がら昔の重い自転車で荷を積んだ重いリヤカーを十年余り踏みつめた過労で、四十過ぎに重い座骨神経痛に罹り、腰から足へ痛みつめてウンウン唸って夜も昼も眠れず、お医者さんに日に二、三回来て貰い、注射を打ち薬を飲んでも痛みはとまらず、一週間で患う右足は老人と同じ骨と皮にひすばった。

 この痛みは病知らずには感知できない。痛みはとまらず堪え切れず痛いところを押して、やいとをすえつめた。

 家内に朝早くから夜中まで、学校往きの子供の炊事食事以外の時はずうっとすえ続けた。神経痛の痛みよりやいとの痛さがこらえやすかったので、痛むところに灸をすえていると、そこの痛みが治まり痛むところが変わっていく。

 変わったところを追うて毎日朝から晩遅く迄灸を一ヶ月ほどすえ続けて痛みも無くなり、神経痛は治ったが体が衰弱して、痛んだ足は細り歩行不能になりましたが、徐々に訓練してまともに歩けるようになるに半年掛かりました。

 銭湯で私の灸跡を見てみんな驚きました。その筈、片足に灸跡が二百箇所あまり、点々が蜂の巣のごとく隙間なしでした。

 その二年後、左足も神経痛になりましたが、やいとをすえ続けて治しました。灸の傷痕は時がたつに従って次第に消えて無くなりますが、背中の跡は少し残ります。

その後三十年余り、患った足は少し弱いのであしらってはいますが、やいとで治った神経痛は再発しません。

 お灸とは熱くて少し痛いが、痛いだけよくききます。が、やいとを私は人に薦めはしません。痛いことなので。それでも話を聞いて来る人がたまにあり、灸をおろしてあげます。
病気が治ったらケロッとしています。

 さて現在の高知市でもお灸の好きな人がいます。元酒屋の奥さんで、今はご隠居さんで退屈しのぎにたばこを売ったり縫物をしていますが、その人の言うこと。

「私はお医者さんと病院が嫌いで、月に一回は必ずお灸を色々とすえております。お陰でこの通り元気で病気はせず、風邪もろくに引きません」と。やいとは健康法じゃと力んじょります。

 


栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園"20 紅葉

2010-11-17 | 大豊町内の記事

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園"20 紅葉

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                           マルバノキ

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                           マユミ

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                           ニシキギ

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                           コマユミ

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                           コマユミ

 

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" に関するページ 

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栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 19 カエデ②

2010-11-10 | 大豊町内の記事

栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 19 カエデ②

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                           カジカエデ

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                           コハウチワカエデ

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                           コミネカエデ

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                           トウカエデ

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                           ノムラ

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                           ハウチワカエデ

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                           ヒナウチワカエデ

conv0211.jpg                           ベニシダレ

 

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栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 18 カエデ① 

2010-11-03 | 大豊町内の記事
栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 18 カエデ① 



イロハモミジ



ウリカエデ



ウリハダカエデ



エンコウカエデ



イタヤカエデ



アオシダレ




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栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 17 ホトトギス

2010-10-18 | 大豊町内の記事
栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 17 ホトトギス



キバナツキヌキホトトギス



ジョウロウホトトギス



ジョウロウホトトギス



ジョウロウホトトギス



タイワンホトトギス



シロバナホトトギス



ヤマジノホトトギス




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三郎さんの昔話・・・大蛇と万次

2010-10-18 | 個人の会員でーす
大蛇と万次

 大石の奥の万三能山のふもと、集落では一番の山奥に、万次という男が、嫁はんと五つになる可愛いお花という女の子と三人で、畑を少々作り、大方は山仕事でほそぼそと暮らしていた。

 夏も終わりに近い。嫁はんは次の子供がお腹でつわりがえらい。
 万次は今日も山へ薪切りに行く準備していたら、嫁はんが、「お前さんわたしゃ今日は具合がよけえ悪いが、ひいといだけ、お花を連れていてくれんかよ。」

 万次は、「おおええとも、おんしは大事な体じゃ。大事にして、ええ男の子を産んでくれ。」言うて、親子の弁当を持って二人は山へ行き、お花を見ながら仕事をし、やがて昼になった。

 万次はお花に、「そこの小道をちょっと行ったら、お水が出よるけ、お茶瓶に水汲んでき。」言うたら、お花は「うーん」言うて、茶瓶持って小走りに走っていった。

 すぐに帰れる距離じゃのに、なかなか帰って来ない。万次は少し心配になった。ころんで怪我でもしたのかな。そのとき万次に不吉な予感がした。

 万次は押っ取り柄鎌で水場へ走った。着いて見たものは、小丸太ほどもある大きな大きな蛇が水場に横たわり、その中ほどが一回り大きくなってうねっている。

 万次は驚いた。とたんに冷や汗がじーっと身体に回り、震い上がったが、歯を食いしばり目を閉じ、山の神、八幡、三宝様、お花をお助け下さいませと、悲鳴に似た声で念じて目を開き、怖さを捨てて、心を鬼にして大柄鎌を振り上げ、大蛇のふくれの脇を見さだめて、日ごろ鍛えた木切りの枝で、やーっと満身の力を込めて切り下ろした。

 大柄鎌は寸分たがわず大蛇を切り裂いた。腹からお花の身体が滑るように出て来たが、早や、こと切れていた。

 万次はお花を抱き抱え、山の神八幡、三宝様、お花の命お救い下さいと、子供の身体を揺すりながら念じ続けたら、静かに目が開き、胸うちだした。

 万次はお花を抱き締め手を合わし、山神様の方に正座して涙ぼろぼろ落としながら、ありがとうございましたを繰り返し、お花良かったなあと、万次の涙は止まらなかったと。

 お花が成長してからも、大蛇に一度呑まれたせいか、人並みより頭の髪の毛が少なかったと。
 子への愛は強し。


三郎さんの昔話・・・作者紹介

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三郎さんの昔話・・・侍小平太

2010-10-18 | 個人の会員でーす
侍小平太


 時は江戸末期、小平太は伊予西条の藩士で、剣道、居合共に人に勝れた達人で、その容貌は色白な顔、眉濃く頭髪は多くふさふさと、背丈は人並みより小柄でガッチリとした体で、身なりはややおしゃれだがキチンと着こなし、腰に差した大小のうち大刀はやや長く、小平太の出歩く姿は人に目立ち、城下でも有名な侍であった。


 その小平太が城主の参勤交代のお供で江戸へ出た。当分の間は役務多忙で出歩けなかったが、やっと暇になり休みをもらって、今日は待望の江戸見物と、小平太せっぱいのおしゃれをして、例の大小を腰に江戸のお町に出かけた。


 町は活気があり人も多く賑やか、中でも歌右衛門の忠臣蔵はなかなかの人気。

 小平太この芝居を見ろうと、芝居小屋に入る。大入りで座れず立ち見になり、立ったまま芝居を見ていたら、後ろに雲助のような大男が来て、小侍が体に似合わん長刀を差し駄じゃれちょる。

 どうせ田舎侍じゃと侮って、大男吸っていた煙草の火を、小平太の頭の真ん中にぷーと吹き落とした。


 煙草の火は小平太の頭の上でジュウジュウ煙りよる。見物の芝居客はあきれて、芝居より小平太を見よるが、小平太は声も出さず、びくとも動かず、やがて頭の火も消え芝居も済んだ。その時・・・
 小平太後ろを向いた。とたんに大男の頭の上で長刀がピカピカと光った。

 帰る人のどよめきで人々が揺れたとき、立っていた大男はばっさりと倒れた。
 見ると、大男は頭から空竹割りに斬られて即死。人が斬られたと騒ぎ出す。

 やがて役人が二、三人来て、出口で刀を取って見て、血のりを調べる。小平太出掛かる。役人「その刀よこせ、見る。」と。


 小平太「刀は武士の魂じゃ。他人に渡すわけにはいかぬ。とくとご覧あれ。」と、小平太の手が刀の柄に掛かったかと見えた。

 とたんに役人の眼前でピカピカと光った。役人目をまばたいた。
 小平太の長刀は鞘に納まっていた。役人おくれて後ずさり。小平太は静かに帰って行った。
 役人は小平太の居合の早業に度肝を抜かれて、ただ茫然としていた。

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三郎さんの昔話・・・古狐おさん(二)

2010-10-18 | 個人の会員でーす
古狐おさん(二)
 御殿場の下の集落に、兵七という三十歳の夜相撲もとる小元気な、すけべえな男がいた。
 嫁はんもあるが、小柄で百姓がえろうて病身なひ弱な人じゃった。

 そのせいもあったろう。兵七は夜が来ると、きょろきょろと出歩きよった。 秋も終わりに近い小寒い晩に、後家やらへらこい娘を捜してそちこちしたが、ええ口も無うて、夜半も過ぎて一本松へもどりかかったら、向こうからとぼとぼと人が来よる。

 大松の下でばったりと向かい合った。兵七が見た顔は、年は四十ともいかん、若年増のええ女ごじゃ。
 兵七とっさに、「おまさん、今頃どこへ」と聞いたら、「わたしゃ、上関の知り合いを尋ねていったが留守で、夕方まで待ったがもどらんけ、あきらめての帰りじゃが、しょうだれた。」言うて道端へ座り込んだ。

 兵七見れば見るばあ、ええ女ごじゃ。兵七日頃のくせが出てもやもやとした。「おまさん、嫁はんか、後家かよ」と聞いたら、「わたし、去年の春に亭主が死んで若後家で、しょうむごいぜよ。」

 兵七、これがたまるか、むらむらっとして女に飛びかかろうとしたとき、若後家に、「おまさん、汗臭い。そうあわてずに、そこのゆ溝でちとゆすいできいや。」と。
 兵七あわてて横の兼山掘りへ飛び込み、水をシャブリ掛けてザブンザブン。そのうちに若後家は消えて居らん。

 おさんにこじゃんとだまされちゅう兵七、夜が明けるまで、ぶるぶる震えもって水をザブリザブリと。
 そこへ名主の与兵衛さん、急ぎの用で朝も早いに通り掛かってこの様を見て、

「こりゃ兵七、おんしゃー何しよりゃー」言うたら、兵七やっと気が付き、正気にもどって溝から上がり、ガタガタ震いよる。

 与兵衛さん大きな声で、「おさんの古狐のやつ、すけべーの兵七化かしよったわ」言うて行った。
 しわい古狐の化かすがは、てこにあわんぜよ。


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栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 16  アキノキリンソウほか

2010-09-29 | 大豊町内の記事
栄ちゃんワールド・・・大豊町・梶ケ森麓の"ミニ植物園" 16  アキノキリンソウほか



アキノキリンソウ(09/10/17)



アキチョウジ(08/10/10)



アケボノソウ(08/10/10)



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