Aさんと和風お食事処で
大分の名物 団子汁 りゅうきゅう が加わった懐かしい味を堪能した後
街を歩きました。
当時小2だった頃の息子の描いた絵地図見ながら、
「そうそう、ここにアーケードあったよね」
「このジャングル公園が子供の遊び場だったわ.昔はジャングルだったのに、
すっかり木や下草がなくなちゃたわねぇ
「この大分銀行社宅跡が 今は美術館になったのよ。この建築が斬新で、
建築を勉強する学生が見に来るって 言うわ」 とAさん
話は尽きません。
そして、私が住んでいた社宅跡にきました。
平屋だった社宅は、今は5階建ての介護施設になっていました。
「このあたりに門があったね。門の横にはくちなしの花が咲き、いい香がしていたわ」
と話すと Aさんは
「ここに 〇〇ちゃんの足跡があったのに 介護施設ができた時 なくなちゃたのよ」
と残念そうに 話してくれました。
確かに 介護施設の前あたりです。
長男の足跡があったのです。
Aさんの言葉に切なくなるほどの思い出が 蘇ってきました。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
あれは、長男が2年生頃だったと思います。
家の前の側溝を市が修理し、セメントを塗り替えたことがありました。
「乾くまで 乗らないのよ」
そう言っておいたのに、
知らぬ間に チョン チョン チョン と足跡をつけてしまったのです。
「どうして こんなことをするの!」
息子のいたずらに 私は 声を荒げました。
「だって また転勤するでしょ。 大きくなったらここに足跡を見に来るもん。
ぼくさ、芦屋にも 足跡つけてあるよ。大人になったら足跡をみてまわるんだ・・・」
その言葉は衝撃でした
息子の深い想いを知り ぶわ~と涙が湧き上がり、
私は必死でこらえました。
そうだったのか・・・ 前任地の芦屋の社宅にあった
あの自転車置き場の足跡は
息子のものだったのか・・・
私は 不思議なくらいあの足跡を 覚えていました。
息子が小1になるかならない頃だったと思います。
社宅の自転車置き場のセメントを塗り替えたことがありました。
子供たちは 左官さんの手さばきをおもしろそうに 眺めていました。
「ぼくたち、乾くまで乗らないでね」
「は~い」
みんな一斉に いい返事をしていました。
しかし 翌日
そこには チョコ チョコ チョコと一列に並んだ足跡がつけられていました。
社宅の奥さんたちと、
「あ~あ やっぱり やちゃったわね~」
私も やれやれしょうがないなあ・・・と 眺めました。
あれは息子の足跡だったんだ。
大分に来てから それを知りました。
ここに立って、あの日に涙をこらえ 長男の足跡を眺めた日が
蘇ってきます
Aさんも「〇〇ちゃんの足跡みるたびに 思い出していたのよ」
忘れられない足跡でした。
芦屋の足跡も 阪神淡路大震災でなくなり 大分の足跡も今はなく
その息子も40才後半になりました。