ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

アフガン韓国人拉致に思う

2007年07月24日 | Weblog
 韓国人のボランティア団体がタリバンによって拉致され、捕虜との交換条件に今その命との交渉が行われており、タリバン側の要求をどう受け入れるかの必死の交渉が行われている。

私自身も4年前、アフガンに学校を作るとのことで、数回北西部の都市ヘラート州とバドギス州に行ったが、当時は別段危険だとは感じることなく、むしろ現地に行く道路への危険を感じた程度である。

又、政状的に不安定なだけ、現地の状況をよく把握するのと、一旦現地に行けば、その緊張感よりアフガンの置かれている実情をみて、ついつい多くのことを、してあげたいといった、気持ちにさせるのが現地へはいればそんな気になり、

この教会の行動に対し、非難する向きもあるが決して功を焦って又興味本位からだけではないとも、私の経験からしても思う。

ただ考えなければならないのが、アフガンは厳格なイスラム教を実践する人が多く
特に、キリスト教団体がいつしか、いつしか施しのような思いで支援などを行っているといった意識で活動を行うのは大変危険であり、間違いであるといいたい。

いわば、偽善的な奉仕活動はアフガンの人達からは、見抜かれてしまう。

また、タリバンすなわちテロ集団の大元といった、これまでの西側中心の視点もこれまた問題であり、アメリカの軍事介入後のアフガンの混乱は収まりそうもなく、

イラク同様、アメリカの正義の押し付けと、民主覇権主義なる内政干渉の生んだ結果ともいえ、正義の視点をアフガンの側に置いたとき見えてくるものがある。

ともあれ、純粋にアフガンの窮状を見て、何かしてあげたいとの、この若者達の命をなんとしても救済するのが、当局の最大の責任でもあり、派遣したキリスト教会の関係者の責任は大きい。