いまどこ ―冒頭表示2
キーボードの2段めと3段目はなぜ互い違いになっていないの - 教えて!goo:
に答えてってな形で部分統合しようかナとも思う。
http://blog.goo.ne.jp/raycy/e/c11db5b33d4a1d67900e568ab0dc6273ではちょっとスレ違うと思う。
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
http://www6.atpages.jp/~raycy/Q/ を http://www6.atpages.jp/raycy/blog2btron/door やらの作業経過を取り入れつつ、ふくらませるようなかんじで、、
知らずして、のちにいたって徐々に評価を高めることとなったタッチ・タイプ法に適した基本的な設計になっていたこと(山田尚勇)
市場購買選択市中、タッチタイピングに最善。
他は、面積の割りに複式キーが多すぎる、当時のキーボードの面積なら50鍵が限度。
シフト機構の洗練。
スペースキーが左右に結構キーボードの小文字キーから離れて分かれていたり、
タイプホイール式は応答が悪い、、
「タッチ」タイピングという改革は、その出自においてレミントンのQWERTYキーボードに適応していたため、決定的なものとなった。(P.172)
っていう風に、QWERTYにおけるタッチタイプの発明こそが、ロックインを生んだとしています。しかし、現実にはタッチタイプはQWERTYの専売特許じゃなくて、他のキー配列(たとえばCaligraph)でもおこなわれていた。となると、1890年代にQWERTY配列が優位にたった理由を、タッチタイプによる「ロックイン」に求めるDavidの説は根拠がなくて、別の根拠(私の場合はこれをTypewriter Trustに求めてるわけです)を考えるべきだろう、ということです。その初期、市場選択肢中のタイプバー式でタッチタイプに適合していたのはシフト式QWERTYだった。というのがDavidの主張では?(それが初期ロックイン要因なのかな?)
Davidのいう、QWERTY配列の、タッチタイプ淘汰圧下での初期優位性は否定するのでしょうか?
カリグラフのQWERTYキーボードには最善的には「適応してい」ないっていうか、レミントンの(小指)シフト式QWERTYキーボードに市場購入可能選択肢中最善的に「適応していた」のが、タッチタイプで、
カリグラフの大文字小文字両文字フルセットダブってならべてる
ダブり式複式機では、キー鍵盤数がタッチタイプで使うには多すぎた、、
マシン機構も洗練されていき、タイプバー式が手動タイプライター世界では、機構の面でも、最善とされていった、、索引型機械やタイプホイールに、機構応答的にまさ優った、、
この、優った機構に抱き合わせでついていたのが(小指)シフト式QWERTYであった、、
シフトの操作指に小指が指定席になった時期をmy知らず、括弧を書き加えてみた。打鍵の反対側の手指たなごころ?で操作、てな感じだったかも知れず、、
http://www.ccad.sist.chukyo-u.ac.jp/~mito/yamada/chap6/2/index.htm
タイプライタ入力法の発展
ホール( Hall 1883 )、ワールド( World 1886, 図1( a ) 参照)、モリス( Morris 1988, 図1( b )参照)、オデール( Odell 1889 )といった商標をもつタイプライタが、索引型機械のうちでも特に好評を得たようであった。たとえば、ホール・タイプライタは発表の翌年に5,000台も販売した。それによって、発売10年後にようやくそれだけの販売台数を出し得たレミントン・タイプライタとは比すべくもない好評を得たことがおわかりいただけるだろう。
下って1904年、職業的タイピストたちの間でやっとタッチ・タイプ法が認識されだしたころ、索引型タイプライタで最高のものと思われるミニヨン( Mignon )タイプライタ(現在のオリンピア( Olympia )の前身、図2参照)がドイツで発表され、続く3年間に空前の売行きを示し、1933年に製造中止になるまでの30年間にわたって、総計実に350,000台の販売に成功したのである。第2次世界大戦後期、イタリアに侵攻したアメリカ軍は、イタリアにおいてこのミニオン・タイプライタがまだ少なからず使われていたことを、関心をもって報告している。
索引型タイプライタのこうした急増と販売の好成績は、一般的にはより安価な価格に起因することも事実であるが、一方、文字鍵盤方式とタッチ・タイプ法に対する一般の人々の好悪の情が重要となっていたことも否定しえない事実なのである。これに加えて初期においては文字鍵盤方式の機械は故障しやすく、動かなくなってしまうことがままあったことにもよるのだろうが、そうした一般の人びとの好みは、機構的な問題が解決した後までも持続した。
こうした一般の人びとのキーボードに対する偏見は、タイプ技法を習得することと、それよりさらに困難なピアノ奏法の特技を習得することとの皮相的な類似性に起因する、心理的障壁といったようなものがあったのではないかと推測することも可能である。
いずれにせよ、タッチ・タイプ法の受容が、ついには索引型タイプライタの凋落をもたらしていくのである。
Dickerson ジョーク Dickerson ジョーク typewriter
http://etceterarehr1.googlepages.com/ETC.06.pdf#page=6
Richard E. Dickersonの文献[476]
Another theory about the origin of the QWERTY keyboard, which deserves even less credence, is that the letters of the word TYPEWRITER were all placed on one row so that a salesman could rattle off the word in short order to impress a customer.
The silliest manifestation of this "pre-programmed message" theory is the assertion,
For example, if the NABOT program were given the three words TYPEWRITER, TYPE‐WRITER, TYPE WRITER, it would count one EW letter pair in the first example but not in the other two, because the E and the W were not adjacent.
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いっそう少ない信用に値しているQWERTY配列キーボードの起源についての別の理論は、顧客に感銘を与えるように、言葉から離れてセールスマンが直ちにがたつくことができるように言葉TYPEWRITERの手紙すべてが1つの列に置かれたことです。
この「あらかじめプログラムされたメッセージ」理論の最も無分別な明示は主張です、
EとWが隣接していなかったので、 例えば NABOTプログラムが3語の言葉TYPEWRITERを与えられた TYPE-WRITER 、TYPE WRITER、それ、 他の2において最初の例けれどもnotにおいて一方のEW手紙ペアをカウントします。
Dvorak配列以外の改良配列を無視して(Dvorak陣営の陰謀の下に、問題を二項対立化して)いるわけではなくて、Dvorakが2番手としてよく知られているから取り上げられているだけだと思いますよ。それに、Dvorakよりよい配列があるのなら、なぜそれがDvorakよりは流行らないのかと、結局同じ疑問が続いていきますから。
親指入力、の怪、
携帯の、いつでもどこでも性
片手操作制約下、テンキー制約下側からきてるのかな?
キーは増えるだろうか?
キー以外のインターフェース、十字キー、ジョグダイヤル、タッチパッド、スタイラスの付属
でも、両手になっちゃう?
For recent computer keyboards with very “thin” strokes, Dr. William Wilson Nelson’s idea of “The Combinational Keyboard” (Science Progress, Vol.16, No.62 (October 1921), pp.307-318) seems better. Why don’t you try other better alternatives?
Why don’t you try other better alternatives?
seems superior than
seems better.