ざっきばやしはなあるき  

雑記林花或木 Since 2005-01-01 
美術とか映画とかなんとなくぶろぐ 

水戸市水道低区配水塔

2011-03-21 15:08:13 | Weblog
 地震から10日、余震も頻度は減ったが、まだまだ油断はできない。昨日は風呂掃除をした。掃除のために風呂の水を抜いている時に大余震があったらヤバイなぁ、と、すごいスピードで掃除をしてまた水を張る。ある意味病んでいる。本当の所は知らないが原発事故も良いほうに向かっているように見える。北関東のほうれんそうなどから放射性物質検出のニュース、健康に影響しないと必死に報道してはいるが、これもまた風評被害の的になりそう。

 天気のいい街を歩くが、人通りは極端に少ない。本来なら梅まつりでうんざりするほどの人出のはずなのに。外食店はときたまやっている店をみつける程度。やっている店でも食材の入荷状態が悪いので、特別限定メニューのみという場合も多い。コンビニはさまざまだが、弁当などの入ってきている店もあるし、棚がまだ隙間だらけの店もある。

 破損して休館中の弘道館、脇にある梅園は普通に歩けるが、人影はまばら。外を歩いていると余震に気付きにくいが、ちょっと危なそうな建物や塀の傍を通る時は緊張する。屋上からなにやらぶら下がっているビルの下などは、さすがにテープ張って立ち入り禁止にしてある。本震では持ちこたえたが、余震で古傷をえぐられて崩れることもある。

 弘道館の裏道に不思議な円柱の建物が見える。水戸市水道低区配水塔、1932年(昭和7年)に建てられた高さ21.6m、直径11.2mの配水塔。水戸低地部分に給水を行うために作られたもの。2000年まで稼働していたようだ。2005年に塗りなおしてある。威厳のありそうな入り口、上部に見える浮彫彫刻、ちょっとお洒落な窓、威圧感はなく、ふと目に入った時に感じる軽微な違和感や、独特のデザインと柔らかな色合いが心地よい。水道技師後藤鶴松の設計。登録有形文化財となっている。

HDRアート レベル3
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地震1週間後

2011-03-18 21:53:27 | Weblog
 地震発生から1週間が過ぎた。頻度は減ったが相変わらずの余震。どうなるかわからない原発。精神的に安定したとは言いづらい心境のまま連休に突入する。先週末は電気もない水もない人生最悪の週末だったが、この週末も気分は重い。週末だけでも実家に帰ろうかと思っても、ガソリン不足や道路の状況、電車不通などで、どうもいまいち動きづらい。余震におびえながら水戸をさまようぐらいしかできそうにない。

 計画停電で電車も止まる騒ぎの中、25日のナイター開催宣言に非難集中。買いだめに品不足、被災地では窃盗も起こっているようだ。日本人はすばらしいと言っても、例外は必ずいる。風評被害で物資が届かない。被災地に追い打ちをかけるように雪が降る、寒くても燃料がない、薬がない、水がない、食料がない、避難所で亡くなる人もいる。

 原発では関係者が必死の努力をしてくれているが、数値に素人がわかるような顕著な違いが表れてこないので、不安はつのるばかり。「直ちには健康に影響の無いレベル」と報道されているが、今日の所はそうでも、明日は、あさっては、どんどん上がるのかそうでもないのか、どうなの? 直ちには健康に影響の無くても、時がたてば著しく健康を損なうのか、そうでもないのか、どうなの?

 つい先ほどTVで番組を中断して菅総理が発言していた。言ってることは大して中身の無い型どおりの励ましの挨拶だったので、TV局のほうも飽きたのか、途中で中断していた番組に戻ってしまった。聞きたいのは挨拶ではなく直近の方針なのだが。
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地震6日後

2011-03-17 21:57:16 | Weblog
 経験したことのない大地震と、数えきれない余震、原発事故という見えない脅威に脅かされて、言い知れぬ不安で精神がどうにかなってしまいそうな日々。

 ほらまた来た。揺れに敏感になっていて、ちょっとした隣室の振動やドアを閉める音などでも、来たか、と緊張する。座った時の筋肉のピクピクでも地震かと勘違いする。

 家にいて大きく揺れると、冷蔵庫の扉が開かないように、冷蔵庫の前に待機する病気にかかってしまったようだ。

 仕事場にいても、大きく揺れるたびに崩壊の不安がよぎる。どこにいても心安らぐ場所がない。感じ方は人それぞれ大小の差はあるだろうが、今日あたりは東北から東海までどこにいる人でも不安は拭えない状況だろう。

 安心してトイレに行けない。安心して風呂に入れない。安心して街を歩けない。街角のブロック塀に段ボールやテープを貼って「倒壊の危険があります」と手書きしてある家がちらほら。下を向いて歩いていると見過ごしてしまうが、気付いた途端に歩きづらい街になる。

 原発事故が解決しなかった場合、最後にはどうなるのか、どこに住む住民がどうすればいいのかわからない。
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地震5日後

2011-03-16 23:01:47 | Weblog
 昨夜はまた大きな余震が来たと思ったら、富士宮で震度6強。御殿場でも震度5弱と聞いて驚いて実家に電話したが混みあってなかなか通じず、何度かかけてようやく連絡が付いた。特に問題はなかったので安心した。富士宮ではけっこう被害があったようだ。富士山の近くで地震が起きると妙に不安である。ここへきて中部で事が起こると、ますます救援物資の搬送が困難になってしまう。

 水戸はほぼライフラインも復旧してきたが、他の街にはまだまだ過酷な避難生活をしている人たちがたくさんいる。物資が届かず飢えと寒さに難儀している人たちもいるようだ。家も何もかも失ってしまった人たちを思うと胸が痛む。彼らにライフラインが戻ってくるのは何カ月も、何年も先になるかもしれない。

 こんな状況で暴動も略奪も起こらない日本人を、世界の人々が驚きの目で見ているようだ。逆に日本人から見れば、アメリカなどの災害のたびに商店街がめちゃめちゃに破壊されて、よってたかって品物を持ち去る映像に驚くのだが。

 今日も朝から仕事。昼は昨日やっていたガストに向かうが、なんと今日はやってない。昨日で品切れになったのかも。中華料理屋で弁当を食べた。通りすがりのローソンで夕食用にサンドイッチを買えた。そうして職場に戻ってきたらまた大きく揺れた。念のためいったん外に避難したが、すぐ戻った。千葉東方沖で起きた地震だった。今日もまた大きな余震の嵐。
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地震4日後

2011-03-15 21:45:14 | Weblog
 TVで茨城県知事が「被災地域の一番広い茨城で真っ先に計画停電を行うのは遺憾である」と怒っていた。千葉の避難所が計画停電で暗くなっている映像も流れていた。東電は言い訳もできずに謝っていた。

 そのおかげで、茨城県は計画停電エリアから外され、朝から普通に仕事。昼はガストが開いていて、ハンバーグランチを食べた。夜のために配給のバナナとクリームパンを確保。

 とはいえ世間は400ミリシーベルトとかいう話題で大騒ぎになっている。外出せず屋内に待機せよ、などと言われてもできない人にはできない。話が交錯しているのでどのくらいの距離にいる人々が屋内待機すべきか、どこにいる人たちがどれだけ速やかにどれだけ遠くへ避難すれば大丈夫なのか、あるいは逃げ出す必要はないのかがよくわからない。20km圏内は避難完了のようだが、その他の人たちはどうなのか。早くも西へ逃げ出した東京の自由人たちもいるらしい。仕事があれば自分だけ逃げ出すわけにもいかない。ほとんどの人がそうだろう。

 「ほうしゃのう、ほうしゃのう」などと言いながら暗くなった道をアパートに帰る。「身体は洗い流して」と言っても水は出ないし、と思って蛇口をひねるとあら不思議! 水が出た。あまりにも不思議だったのでお湯を出してみたらお湯も出た。

 「ありがたや、ありがたや」などと言いながらシャワーを浴びた。5日ぶりである。でも余震が心配で、湯船にのんびり浸かって鼻歌、などという気になれない。困ったものだ。ライフラインの復旧で一息つけたものの、心配の種が多すぎて心から落ち着けない。常磐線も回復していない。

 ところで東北地方大平洋沖地震と名付けられたはずなのに、NHKなどは東北関東大震災と言っている。名前が変わったのか、変えたがっているのか、どうなってるのか? たしかに茨城は北関東ではあるが。
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地震3日後

2011-03-14 20:19:23 | Weblog
 徒歩15分で朝から出勤、とはいえ、12:40以降に計画停電ということで、職場のコンピュータを止めて昼過ぎに帰宅。計画通りやらない無計画停電のようで、結局アパートでも電気は止まらなかった。明日からどうなるんだ?

 計画停電は電車も動かなかったりして都心でも大混乱しているようだ。実施有無も曖昧で肩透かしを食らうぐらいなら、計画通り時間通りに有無を言わさず実施してくれた方が関係者も精神的にいいと思う。アパートは相変わらず水が出ない。同じ水戸市でも水の出ている地区もある。そんなに離れてない地区なのにどうなっているんだか。

 本震から24時間は停電のため冷蔵庫も止まっていた。中には紀文の厚焼玉子、うずら玉子の水煮、三杯酢もずく、ヨーグルト、紙パックの飲みかけオレンジジュースなどが入っていた。紙パックやペットボトル以外は、地震で床に投げ出されていたのだが、すべてプラ容器に入った食品だったので、そのまま冷蔵庫に戻しておいた。こりゃダメかなと思っていたが、食料調達のことを考えるとダメにできない。

 電気が戻った夜、それらを恐る恐る味わいながら食べてみた。特に違和感はなかったし、腹も壊さなかったので日曜の朝も、月曜の朝も食べている。食品で無駄になったのは、辺りに赤いしぶきを撒き散らしながら床に這いつくばっていた大粒のイチゴ数個だった。

 計画停電で冷蔵庫の中身に気を使わなくてはならなくなり、みんな困惑気味。生ものは気をつけないとね。今日はイオンに並んでクリームブランやエンゼルパイなど、冷蔵庫と関係ないものを買ってきた。イオンの人が言っていたが、パンやご飯類は仙台・福島に回すような指示が出ているとのこと。しばらくは我慢するしかない。

 避難所にもなっている水戸芸術館ではパイプオルガンのパイプ5本が崩落したらしい。他にも展示室の天井落下、ガラスが割れるなどしたため復旧まで休館となる。八分咲きになっているはずの偕楽園も液状化、地盤沈下、好文亭の土壁破損などで当分閉園となった。弘道館も破損のため観覧中止。茨城県近代美術館も安全確保ができるまで休館。笠間日動美術館も計画節電のため休館。そういう場所に行く気分ではないということもあるが、この1か月の間に見てきた場所があちこち傷ついてしまったのは残念なことだ。
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地震2日後

2011-03-13 20:43:26 | Weblog
 マグニチュード9.0の地震から2日、水戸市。まだ水道とガスは復旧していない。昨日の朝、街を歩いた時には、電気も使えず日本がいったいどういう状況に陥っているのか、この地震で自分がどの「位置」にいるのかがよく把握できなかった。そんな状態でひっそりとしたよく知らない街をさまよい歩いていると、いったい何のために歩いているのか、なにをしているのか、これからどうすればいいのか混乱してしまった。それでも避難所に立ち寄ったり、コンビニに並んで買い物したりして、気を紛らわせて帰宅すると、電気が来ていた。

 すぐにTVをつけて不足した情報を補い始めた。そこには信じられない光景が次々と映し出され、事の重大さに慄然とする。茨城県にいるということで、たくさんの人たちが心配してくれたが、津波のあった町に比べれば、水戸市はほぼ大丈夫である。道路のひび割れは多々あり、窓ガラス破損、屋根瓦の剥落、損壊家屋もときどき見かける。しかし津波によって町が消滅した映像を見た後では、自分は運が良かったと思わざるをえない。出張が水戸でよかったと。

 今日も快晴の街を歩いたが、明らかに昨日と気分が違っていた。精神的に安定してきて、いろいろと前向きに考えることができた。市役所に行くとソバや御飯を配っていた。水を入れるポリパックももらったので、最寄りの給水所で10リットル入れてもらった。昨日は入れる容器がなかったのでチラ見しただけだが、給水所には長蛇の列ができていた。ポリパックを手に入れて行列覚悟で給水所に向かって見ると、給水車が増えたせいで、今日は少しも並ばずに水がもらえた。

 大きな道路の左折路線があちこちでやたら渋滞していた。交差点を2つ曲がった先にあるガソリンスタンドに入るクルマの渋滞だ。やっているスタンドが限られている上、クルマでないと移動できない地域であればこうなるのもしかたない。信号機は回復していた。

 街のあちこちで、復旧工事を始めている人たちもいた。和菓子屋が普通に営業を始めていて、なんか嬉しくて、いつもは買わない和菓子を買った。まぁ食料の代わりでもあるのだが。TVを見ていても水戸市のニュースは出てこない。もっと深刻な地域があまりにも多いから。

 ときどき携帯電話がヒュイーンヒュイーンと鳴る。緊急地震警報である。9.0の本震の時にはうんともすんとも言わなかったが、余震が多くて夜中に鳴る。音に気付いて携帯を確認する頃には、既に揺れているか、揺れは治まっている。ソバをもらう行列に並んでいるときには、みんなの携帯電話がいっせいにヒュイーンヒュイーンと鳴った。

 水があって電気があるのでカップラーメンも食べられる。今日もコンビニで3個買っておいた。でも今夜は昼にもらった御飯を食べた。ビニール袋に入れられた200gくらいの何もついてない御飯をただ黙々と食べた。味がないから口直しに和菓子を食べた。「ごきげん水戸さんマロンケーキ」・・・別にごきげんってわけではないのだが。

 余震も心配だが原発も心配だ。
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東北地方大平洋沖地震

2011-03-12 17:40:58 | Weblog
 2011年3月11日 14時46分、出張で来ている水戸にあるビルの5階で仕事中に揺れ出した。あぁまた地震か、という気でいたら尋常ではない揺れ方。動き出そうとするコピー機を押さえるので精いっぱい。棚を押さえる人、PCを押さえる人、誰も机の下に潜らない。潜るだけのスペースもないとはいえ、あれだけ揺れると潜れない。ニュージーランドの地震報道を見ているから、床が抜けるのではないかと戦慄が走る。停電しダンボールが散乱する廊下を通って駐車場に避難した後も何度も大きな揺れが来た。

 なすすべもなく明るいうちにアパートへ帰った。幸いに会社が借りてくれたアパートは徒歩15分。帰ってみるともちろん停電、水も出ない、電子レンジやらポットやら冷蔵庫の中や棚の上からすべてのモノが持ち場を離れて床に散乱。水浸し。呆然としながらもささっととりあえずかたずけた頃には室内は真っ暗。そうこうする間にも、かなり厳しい余震が繰り返されるので、普段着に着替えて寒いのでジャンバーまで着た状態で布団に入るが、居心地のの悪さと間断なき余震のため眠れない。そのうえ何度もトイレに行きたくなる。懐中電灯がないのでケータイの画面の光に頼らざるをえない。トイレに行くたびに狙いすましたように揺れ始める。もう生きた心地がしなかった。

 翌朝は晴天。これで雨だったらどうなっただろう。何かを見つけに市内を歩きまわる。なんか空しい。ちょっとだけワンセグで見た宮城県、福島県の惨状からすれば水戸はましなほうだが、いくつかの古い建物が倒壊していて、道路の陥没や塀の倒壊が多数見られた。信号も消えたまま。JRは止まっているので南北をつなぐ駅の通路は閉鎖され、南北どちらにもある歩行者陸橋は通行禁止になっていた。避難所でビスケットをもらったり、コンビニに並んで買い物したり。しかし水やご飯類、ケータイ充電器などは売り切れていて、菓子類を買うのが精いっぱい。

 午後になってアパートに戻ると、電気と水道が復旧していた。ものすごく喜んだのだが、水道はまた止まっている。復旧した時に風呂に水を溜めておいたので少し安心。とはいえいまだに軽くない余震が時々やってくる。余震のたびに「今度は大丈夫か」「今度こそか」とひやひや。地震から24時間、ようやく見られたTVでは福島第一原発がやばいようなニュースが流れてきて、これからどうなるのか、ものすごく不安な土曜日を過ごしている。明日も不安な日曜日だ。

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笠間日動美術館

2011-03-06 21:52:09 | 美術[か]
笠間日動美術館

 水戸から国道50号線で30分程度で笠間に着く。ここに来たのも十数年ぶり。いろんな画家のパレットを展示してあったのが印象的だった。今も展示してあるが、展示数は少なくなってしまった。5階建ての日本館はなぜか3階以上は会議室になっている。いったい何があったのだろう。

 フランス館には外国の近代絵画を陳列。エルンストの《夢創りの達人》とジム・ダインの《ビーナス・テクニカラー》が好き。

 企画展示館では、昨年そごう美術館で見た「没後25年 鴨居玲展」をやっていて、再び《私の村の酔っぱらい》に出会う。この美術館には鴨居玲の所蔵作品が多い。

 企画展示館から谷を渡って行くと野外彫刻庭園だったり、フランス館の屋上は彫刻のあるテラスになっていたり、起伏に富んだ面白い作りの美術館である。


 


 美術館からクルマで5分くらいの所に鳳台院というお寺がある。ここにはデカイ達磨大師がいる。モシャモシャのヒゲとデメキンのようなギョロ目でこっちを睨んでいる。平成13年建立で、台座も入れて9m~11m程度(曖昧)の像だが、世界一の達磨だそうだ。もちろん頭の上には登れない・・・


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くれふしの里古墳公園

2011-03-05 22:21:15 | Weblog
 水戸市内原にある「くれふしの里古墳公園」は「牛伏古墳群」といい、前方後円墳や円墳など16基の古墳が点在する公園になっている。湖もレストランもない単なる公園だが、ひとつだけ妙なヤツがいる。それは巨大仏像ならぬ巨大埴輪。「はに丸タワー」の高さは17.3m、頭が展望台になっていて、背中の階段を上ると内原地区が展望できる。出土したハニワをモデルにして10年くらい前に造られたようだ。

 両手を腰に当てて偉そうにしているが、顔つきは偉そうじゃなくて柔和というか自信無さげである。我こそは日本一のハニワであると言いたそうにしているが、内心は、いつ、もっと大きなハニワが現れるかとビクビクしているといった風情だ。が、まぁ心配ない。そんな大きなハニワを作ろうと思う人は、日本にはもう他にはいないのだから。

 どっかに30mぐらいの土偶はいないか?


お馴染みのウマ


はに丸タワーの背中は階段になっていて頭頂部に上れる


前方後円墳


ぐるりと並んだ壺がアーティスティック

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