糖と戦うぞ!

糖尿病食事療法との戦い。
・・・だったはずなのだが・・・??

沖縄報告2

2008-03-29 22:40:44 | 日々のこと
がーーーーーん。


すごくたくさん書いたのに、き・え・た・・・


 また書くの???




     @@@@@@@@@@@@@@@@





朝食   ウインナーパン、レタスサラダ、コーヒー



昼食   すき屋の牛丼・・・らしい。



夕食
バリバリキャベツ


海ぶどう


ポークソテー







       @@@@@@@@@@@@@@@@




沖縄についてすぐに
ひめゆり学徒隊の生存者による講演があった。

ひめゆりの塔で、知ってはいたけど
やはり体験者の声は心に響く。
まだ、少女という年齢の彼女たちが
どんな環境にあったか、そしてどんな運命に流されたのか
とても重い話だった。



次の日は
「糸数壕(いとかずごう)アブラチガマ」という
南風原(はえばら)陸軍病院の糸数分室として使われた洞穴に
沖縄ではこのような鍾乳洞が数多くあり
戦時中は住民の避難所や陸軍の指令地になったらしい。
ひめゆりの生徒たちもこの壕にやってきて、働いたという。
が、光はなく、水滴が滴り落ちる環境で
600人とも言われる病人が収容されて
薬などの物資もなく、ただただ死を待つだけだったのだろう。
撤退を余儀なくされた時、置き去りにされた負傷兵も数多くいたという。



「県立平和祈念資料館」
すごくきれいな施設
沖縄ってお金持ち???
沖縄戦の実証を伝えるという立場ながら
日本兵が壕に非難している住民を赤ちゃんがうるさいと
銃で脅している場面が
ただそばにいて、立っているだけになっている。
証言と違うということで、論議をかもしたことがある。
実際は、泣き止まない子供の口をふさいでそのまま外に出て
帰ってきたときには子供はいなかった・・・と。



「韓国人慰霊塔」
本土の人から差別を受けた沖縄の人たちも
自分より下だと思って差別をしていた。
その韓国人たちは、劣悪な状況で祖国にも戻れず
その沖縄で命を落とした。
今、沖縄の地にこの慰霊碑があるということは
韓国人の御霊に謝り続ける沖縄の心があがるように感じた。
差別はいけない。



他にも
「ひめゆりの塔(ひめゆり平和祈念資料館)」や
「魂魄(こんぱく)の塔」(魂魄・・・さまよえる魂という意味らしい)
「対馬丸記念館」(疎開のために宮崎に向かった子供がちが乗った対馬丸。
         アメリカの潜水艦からの攻撃を受けて沈没)
「嘉手納基地」(沖縄の20%をアメリカの基地が占める。
        本当に日本なのか???)

などを見学。



重いテーマの旅だったけど
記憶に残る旅でもあった。
コメント (5)
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