SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1902 大阪城天守閣 戦国『名人』劇場

今回は大阪
007
大阪城天守閣
meijin
企画展示 「戦国『名人』劇場」
期間:1月26日(土)~3月19日(火)

千利休画像
有名な長谷川等伯筆を写したもので、明和二年(1765)豊後岡藩家老・中川広安の依頼で土佐光芳が描いたもの。賛は表千家八代・啐啄斎。
小堀遠州画像
赤袍の束帯姿の遠州像で、江戸時代中期の儒学者であった細合半斎(方明)の作。
上部には遠州辞世の和歌「きのふといひ けふとくらしてなすことも なき身のゆめの さむるあけぼの」が記されているが、これは「古今和歌集」所収の春道列樹の和歌の本歌取り。
細合半斎は遠州像の他にも松花堂昭乗像を描いているが、その松花堂昭乗の流れを汲む滝本流の書を善くし、中興の祖とされる。また伊藤若冲と親交があり若冲画に賛や跋文を書している。
藤堂高虎所用 紅糸胸白威二枚胴具足
高虎が大坂冬の陣で着用したと伝える甲冑。兜の吹返には藤堂家の家紋である蔦紋が打たれている。
続く大坂夏の陣では長宗我部盛親勢と戦っている。
小堀遠州書状
(寛永3年)極(12)月十七日付、藤堂高虎宛。今回の目玉展示で「大坂幕府」構想に関しての書状として紹介されている、遠州が高虎に大坂城の庭石の献上を勧めるくだりで「大坂は、ゆくゆくは御居城にもなさるべきところ」とあり大坂城が将来的には大御所秀忠や将軍家光の御居城になるかもと述べている。

今回は「大坂幕府」構想の書状が注目でしたが、さすがにこれだけで「大坂幕府」と直接結びつけるのは難しいかと思いますが、興味深かったです。


名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

最近の「探訪」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事