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旧二条城跡
永禄12年、織田信長が室町幕府15代将軍・足利義昭のために建てた居城。三重の「天主」を備えた堅固な城塞で、内装には金銀をちりばめ、庭には泉水・築山が構えられていた。
義昭追放後は「二条御所」として使われていたが安土城築城に際して、解体されその部材として使われている。
さらに北上すると
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旧富岡鉄斎邸
小川流煎茶の家祖小川可進の居宅を富岡鉄斎が買い上げ、明治15年(1882)に転居。その後隣接する画家の横山崋山邸宅跡の空地を購入し改装したもので、大正13年(1924)の没年まで居住していた。
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富岡鉄斎は明治・大正期の文人画家で、京都市美術学校で教職に就いてもいる。
本人は「私は画家ではない。儒者(学者)である。」と自認し、画はあくまで余技であると考えていたようだ。
それでは邸内へ
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茶室「福寿庵」
小川家時代には離屋であったものを、鉄斎が煎茶室に改造した。
全体八畳で、一畳分を踏込床とする。庭側に貴人口をあけ、天井は竿縁天井を張る。
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袖壁に円弧状の刳り貫き設けている。
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床柱は釣束で、瘤付きの材を用いる。
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和室
2辺に縁を廻らせた六畳の室。
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既存の押入れを水屋仕様に転用している。
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画室「無量寿仏堂」
鉄斎が大正11年に建設した十畳の座敷兼画室。
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欄間
鉄斎下絵による彫刻が施されている。
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床
縁部分まで伸びる袋床形式。妻側に八角窓を、床脇の地袋上に円窓をあける。
また落掛が二重に打たれている。
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縁と踏込床には口が開く。
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「月」の引手
桂離宮に使われた意匠で有名。
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庭園
石灯籠と蹲踞は回想記によれば「八幡の松花堂にあったものを、鉄斎が珍しく数百円を投じて骨董屋から買い、大切にしていた」と記載されるものか。
旧富岡鉄斎邸は鉄斎没後に京都府が購入し、府議会議員宿舎として活用されてましたが、新たに「文化と産業の交流拠点」として活用を始めようとしているようです。