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1310 逸翁美術館 茶の湯交遊録 小林一三と松永安左エ門

続いては池田


逸翁美術館

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「茶の湯交遊録 小林一三と松永安左エ門-逸翁と耳庵の名品コレクション-」
期間:10月5日(土)~11月17日(日)
「逸翁と同じく近代茶人の一人として知られ、逸翁の生涯を通じた友であった松永安左エ門(耳庵)を取り上げた展示を、耳庵が遺した作品を所蔵する福岡市美術館と共催で行います。(中略)この展覧会では、逸翁と耳庵のコレクションの中から、二人の茶道観を表す道具の取り合わせや、茶の湯の枠を超えた蒐集品の数々を紹介します。」(公式より)
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金剛般若経開題残巻 空海筆
十三行書。他にもいくつかの残巻がありそこには加筆訂正の跡がある事から、空海の自筆草稿本であるとされている。弘法大師の草書をよく伝える一品。
禁中御茶会記 千利休筆
天正13年(1585)関白に任ぜられた秀吉は御礼を兼ねて10月7日に禁中菊見の間で茶会を催した。
秀吉の茶頭であった千宗易は利休居士号を賜り共に参内し、この時の様子を大徳寺の春屋宗園に書き送ったのがこの手紙。秀吉自ら正親町天皇に献茶したこの茶会の後見役であった利休は「一世之面目不過之」と感激した様子を認めている。
唐物肩衝茶入 銘 松永
やや小振りの茶入。茶褐釉の上から柿釉がかけられ明るい景色となっている。松永久秀が所持した事から銘名され、またその名から松永耳庵が求めた。
日課観音図 源実朝筆
昭和32年1月25日夜半、小林一三(逸翁)が亡くなった知らせは翌26日松永安左エ門(耳庵)に届いた。その夜一睡も眠れなかった耳庵、翌27日には茶会を開く予定があり耳庵は密かに逸翁追善茶会とする事にしたが良い案が浮かばなかった。当日の朝、新聞の「今日の歴史」欄を開いた耳庵はそこに書かれた鶴岡八幡宮で鎌倉幕府三代将軍・源実朝が公暁(実朝の兄頼家の子)に襲われ落命の記事を見て、この源実朝筆の日課観音図を茶席に掛ける事を閃いた。三月に行なわれた正式な追善茶会でもこの日課観音図が用いられている。
江戸時代には琳派の酒井抱一が所持した。
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