モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

感謝

2020-11-24 05:42:36 | 福音について
非難や批判を受けるとき、感謝するのは難しいものです。
しかしそれが‟どこから出る”ものか知ったときに、
祝福をもたらすこともあります。

自分の高慢や不注意に気付くこともあります。
相手の心の状態を知るきっかけになることもあります。
平穏な中では気付けなかったであろうことが見えてくるのです。

イエスでさえも非難されたのです。
不完全なわたしたちにそれがあっても驚くには及びません。

あるとき啓示を受けました。
「これから試練が来ます。
しかし御霊を失わなければ、あなたに損失はありません。」

その後に、驚くほどの非難と批判を受けました。
もしもその啓示がなければ、
不安と怒りによって御霊を失っていたことでしょう。

非難や批判そのものに感謝することはできません。
しかしその経験によってもたらされるものは
感謝に値するものかも知れません。
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感謝

2020-11-23 06:06:23 | 福音について
「わたしにとって感謝とは何だろう」と考えたとき、
まず一番に思い浮かぶのはこの福音との出会いです。
わたしの人生は大きく変化しました。
どのような変化が起きたのでしょうか。

自分の言葉、行い、思いを振り返るようになりました。
それだけのこと、ほんの小さなことですが、それはわたしの人生を大きく変えました。

それは、御霊によってもたらされます。
悔い改めに導いてくれます。
自分が変わることができるという希望を与えてくれます。

このことにどれだけわたしが感謝しているか
どんな表現を使ったとしても、表すことはできません。
でも、同じ経験をした人には、充分に伝わっていることでしょう。
イエス・キリストの御名によって、アーメン
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教義

2020-11-22 08:03:19 | 教義と聖約
「教義を確実に知るために、わたしの言葉…岩…を得るまで…待ちなさい」教義と聖約11:16

主の教義を理解するためには‟証”を得る必要があります。
人は証を得ると、その証を強めるために熱心に努力するようになります。

祈りに証を持つなら、常に、熱心に、真心から祈るようになります。
なぜなら、祈るとき、その心は神の前に立っているからです。
祈りに証を持つ人が、いい加減な祈りをするなどできるはずがありません。

モルモン書に証があるなら、モルモン書を熱心に研究するでしょう。
安息日に証があるなら、安息日を心から喜び、どのように過ごすべきか考えるはずです。
御霊に証があるなら、常に御霊に従うことを願い、それを喜びとなるでしょう。
その思いと行い、努力は証を強めます。

そのような願いと望み、努力に応えて主はその教えを与え、
その人は主の教義を理解するに至ることができます。
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召し

2020-11-21 05:39:50 | 教義と聖約
「召しを受けるまで、教えを説くために召されたと思うには及ばない」教義と聖約11:15

「誰でも鎌を入れて刈り取ろうとする者は、神から召されている」教義と聖約14:4
この召しは‟自らの望み”に応じて与えられるようです。
それは教会からの任命ではなく、‟御霊から直接に下されるもの”と理解しています。

その時、その瞬間に語るべき言葉が与えられることがあります。
自分の口から出た教えの言葉に驚いた経験はないでしょうか。
ある人は「自分の中にこんな考えがあったのだろうか」と感じたそうです。

御霊からの召しに気づかないままに、いつの間にか自ら行動しており、
後になって振り返ったときに気付くことはよくあります。
御霊からの召しはそのようなもののようです。
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願い

2020-11-20 05:39:26 | 教義と聖約
「信仰をもって…願うことで、義に関わることは…すべて知るであろう」教義と聖約11:14

心に信仰による願いがある時点で、その人は御霊を受けています。
御霊によって求めるものは、何であろうと与えられます。
それを求めることが、主の御心だからです。

「求めよ、そうすれば与えられるであろう」マタイ7:7
求めるものが義にかなっているなら、そこには御霊があり、
御霊は「あなたにはそれを受ける資格があるので、祈り求めなさい」と言っているのです。

日々、御霊を受け、それに従って生活しているなら、
そのような促しは‟露が下りる”ように、その人の心に潤いを与えるものとなるでしょう。
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