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モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

言い伝え

2020-09-26 05:47:38 | 新約聖書
「あなた…はなぜ昔の人々の言い伝えを破るのですか」マタイ15:2

主の教えは”改心=心と生活を変える”ように勧めるものです。
これまでの生活を変えたくない人は、言い伝えをその言い訳にします。

福音を否定する目的で言い伝えが使われることは少なくありません。
それは善いものを求める心よりも、サタンの誘惑が勝っていることの表れかもしれません。

素直な心で、言い伝えについて、その意味と価値について吟味してみるとよいでしょう。
言い伝えが善いものであるなら、福音の中にその説明を見出すことができます。

「あなたがたは自分たちの言い伝えによって、神の言を無にしている」マタイ15:6
こだわりを捨て、素直な心で主の教えを学ぶなら、そこに何が見えるでしょうか。

「神の言」に神の愛を見出すことができるなら、
何を選び、何に従うのか、自ずと定まってくると思います。
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兄弟姉妹

2020-08-10 06:22:19 | 新約聖書
「天にいます…父の御心を行う者は誰でも…わたしの兄弟…姉妹…である」マタイ12:50

弟子ではなく、友でもなく、天父の子として同じ立場ということでしょうか。
主と同じ立場で天父の前に立てるとしたら… どのような思いがするでしょうか。

「わたしが…来たのは…わたしを遣わされた方の御心を行うためである」ヨハネ6:31
主と同じように「わたしが生きているのは天父の御心を行うため」と言えるなら幸せでしょうか。

わたしたちにはこの世で生きていくために必要なことがあります。
仕事もあるし、食べることも休むことも、他にも色々と必要です。

しかしそれらのことに全ての時間と労力を奪われて、
”天父の御心を受け入れる余地がない”としたら、人生は何のためにあるのでしょうか。
ただ”生きるだけ”で一生を終えるのでしょうか。

主から「わたしの兄弟姉妹」と呼ばれるために必要なことをわたしたちは教えられて知っています。
それは意志さえあれば、誰にでもできることです。
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しるし

2020-08-09 06:50:33 | 新約聖書
「邪悪で不義な時代はしるしを求める」マタイ12:39

神を信じるなら、聖典の言葉や神の教えは「しるし」となりますが、
神を信じないなら、それらを「しるし」とは認めず、疑いの心を抱きます。

神を信じるなら、「しるし」を喜び、教えに従うための道を探し求めますが、
神を信じないなら、自分が従わないだけでなく、
”「しるし」を否定し、打ち破ろうとする”ことさえあります。

「しるし」は信じる者にとって確かな証拠であるのに、
信じない人にはそれが争いの種になることさえあるようです。

「聖なるものを犬に…真珠を豚にやるな…それを足で踏みつけ…噛み付いてくる」マタイ7:6
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言葉

2020-08-08 06:17:52 | 新約聖書
「心から溢れることを口が語るものである」マタイ12:34

自分の口から出てきた言葉で過ちを犯し、後悔した経験はないでしょうか。
「心にもないことを口にしてしまった」という言葉がありますが、
”心のどこかにその思いがあったので、つい出てしまった」ということのようです。

心に怒りがあるとき、その感情は言葉に表れます。
心に愛情があるときに、それは言葉に表れます。

心にサタンの思いがあるとき、やはり言葉に表れ、
心に御霊があるときには、御霊の言葉を語ることができます。

「自分の言葉によって正しいとされ、また自分の言葉によって罪ありとされる」マタイ12:37
「言葉の上で過ちのない人があれば…完全な人である」ヤコブ3:2
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木の実

2020-08-07 06:24:38 | 新約聖書
「木が良ければその実も良い…木はその実で分かる」マタイ12:33

最後の裁きにおいて昇栄が与えられるなら、
この世での行いが正しかったと認められたということです。

「良い実がつけば良い木」と判断されるように、
「善い結果があればそれは善い行い」と判断されるようです。
”結果良ければすべて良し”ということでしょうか。

「木が悪ければその実も悪いとせよ」マタイ12:33
結果として昇栄が与えられなかったとしたら、
人生の中で何かを間違えていたということになるのでしょうか。

果樹園での果物の栽培と同じように、
実が結んで、それを収穫するまで、安心はできません。
順調に育っていても、嵐や災害によって台無しになることもあります。

正しい信仰と忍耐、希望、そして主の守りが必要です。
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